月刊コグマ#4 4/1-ツチノコ大捜査線
そういえば、彼とお別れをしてからもうすぐで1年が経とうとしている。
静岡までかえって久々にあの坂を上るのもいいが、いかんせん今は東京にいるので気楽には戻ることもできない。
しかし、2022年の総集編でも似たような話をしたが、今でも別れの時の彼の顔を思い出すことができる。
もっと一緒にいればよかったとか、大切にすればよかったとか、後悔の念は積もるばかりだが、思っていても仕方がない。
それに、彼と別れた日はちょうど、大切な後輩に出会った日でもあるので、その出会いは彼が連れてきてくれたと考えると不思議と感慨深いものがある。
この時期は「嬉しい」や「悲しい」という気持ちがたくさん集まる季節。
改めてそうだと感じて、彼のたった一枚の写真から視線を外した。
SUIT
春。
いつもは毎日の通学路を歩きながら、駅の階段を上る人を眺める。
そして何故か上から目線で、新生活頑張れよ、と心の中で唱えている。
しかし、今立っているのは今までとは違う道。
そして服装も普段のようなラフなものではなく、まだおろしたてのものだ。
辺りを見回してみるが、同じような服を着ている人が見当たらないどころか歩いている人自体見当たらない。
近くには高校や大学が多いというのに、まだこんなにもいないということは、今から入学式の自分はとっても早い方なのだと身に染みて感じる。
この服を着るのは、昨日以来だ。
昨日はこの服を着た自分がどう見えるのか気になってたくさんの写真を撮っていた。
最近からしっかりとインスタグラムと向き合うことにしたので、自分の思うオシャレをお届けするために。
少しキリッとしてみたり、穏やかな雰囲気を醸し出してみたり。胸のポケットにコグマを入れて可愛がってみたりもした。
それを見返して、自分でバカなことしてるなぁと嘲笑のような笑いが思わず顔に出てしまう。
そんなことを思い出しながら、もっといい感じに撮れたよなと反省し、足のサイズより大きな靴を鳴らして駅の階段を上る。
自分は今、初めてスーツを着ている。
そんな気分だ。
年度の始めに着る服は不思議と新鮮な気持ちになると思う。
思えば、小学校の卒業式で中学校の制服を着たときよりも、中学校の入学式の方が制服が硬かった。
小学校までは私服だったのが中学校から制服になり、違和感を感じながら、見たことのある道を通る。
見たことのある道のはずなのに、初めて見た感覚で胸の奥がムズムズする。
嬉しくて、わくわくして、少し怖い。
小学校までは自分が大きく見えていたのに、いざ中学に入るとなると改めて、自分は小さいんだなぁと思い知る。
あの頃の自分は、小学校との違いにおびえながら、新たな出会いに期待をして、あの制服の袖を通したのだろう。
では高校入学のときはどうだったのだろうか。
中学校を卒業して、心身ともに成長をして、引っ越しの先にある出会いにおびえ、心の内に閉じこもって。
あまり良い始まりではなかった気がする。
しかし、高校の制服にもその3年間で大切な思い出が詰まっていった。失敗も成功もたくさんの感じた気持ちも触れた心も。
その始まりがあったおかげで、自分と改めて向き合うことができ、やりたいことややるべきことが明確になってきた気がする。
旅行にまで誘ってくれる仲間、いや、友達がいてくれるようにまでなったのだから。
気づくと電車が目の前に来ていた。
ここから遠くまで向かい、都心のほうへ近づいていく。
今から大学の入学式だ。目の前の足元のベビーカーには、赤ちゃんが笑顔で両親を眺めている。
その光景が自分も笑顔にさせる。
大学生活、とにかく楽しもう。
楽しいと思うこと。「面白い」を探すこと。
それが自分の中の幸せの近道だと
たくさんの春を、あの服たちと共に越えて迎えて学んだのだから。
電車が開いて人が流れていく。
自分もその流れについていく。
広く眺めてみるとスーツ姿の同年代らしき人がたくさん見えた。
この人たちは同じ大学の学生だろうか。
そこでふと気づいた。
ここは降りるべき駅じゃなかったと…
アパートメント
去年までは一軒家で暮らしていた。
それが今は懐かしい。
愛知県から静岡県へ引っ越してくるときに建てた夢の一軒家だ。
では、引っ越してくる以前は一軒家ではなかったのかという疑問が沸いてくるだろう。
その通り。愛知県で暮らしていた頃は駅に近いマンションに住んでいた。
今回、静岡を離れるにあたって引っ越しを考えていたとき、ふとそのマンションのことを思い出したので、その話をしようと思う。
一番幼いころの記憶で言うと、このマンションの思い出といえば、保育園の運動会前日だ。
当時、スーパーヒーローである、「獣拳戦隊ゲキレンジャー」がやっていたことから、そのごっこ遊びにハマっていた。
保育園の帽子(クマのプーさんの耳付き)をかぶりながら、ヒーローに変身して親に攻撃を仕掛ける。
親はその様子をビデオに撮りながら、凄いと褒めている。
今思い出すと、とても保育園生らしい、可愛い思い出だなと感じる。
この他にも、ごっこ遊び自体にハマっていたのか、当時好きだった恐竜のティラノサウルスを真似して親に襲いかかったり、はたまた怪人になりきって親に襲いかかったり。
…親に襲いかかってばかりだ。
そもそもの話、自分はごっこ遊びが好きだった。
ヒーローなら出来ること、恐竜なら出来ること、そして怪人なら出来ること。
それぞれの役割をごっこ遊びは自分自身が行うことが出来る。
誰かに成りきるということが、誰かにしか出来ないことが自分にも出来るということが、楽しかったのだろう。
この遊びが自分の中で演じるということにつながり、中学の大きなイベントで主役をすることが出来たのではないか。
そう思うと、ごっこ遊びで親に襲いかかって良かったなぁ…としみじみと感じる。
小学生になり、このマンションには同級生が自分を含めて3人いたことを知った。
一人は、短い間は保育園で一緒だったが、途中で近所の幼稚園へ転園(?)した子。
一人は、(たぶん)それまであったことはなかった子。だけれど、どこかで会ったこともあるような気がする子。
小学校では、住んでいる地域/場所ごとにまとまって登下校をしなくてはならなかったため、1年生で早く授業が終わると、そのメンバーと+周辺に住んでいた人とで一緒に帰っていた。
自分の地域では、男は自分を含めて2人ほどだったため、肩身が狭かったのを覚えている。
今でこそ、その状況を「ハーレムだ!!」と喜ぶことが出来るが、当時はまだ幼かったため、ただただその状況が怖かった気もする。
その2人ほどの内の1人が引っ越しでいなくなり、同級生の男は自分1人になってしまうなどのことはあったが、そんな状況は中学でも続いた。
仲は良いが関わり過ぎない関係といえばいいのだろうか。とても心地のいい関係の友達だと思う。
そして、引っ越しなど紆余曲折あり、今に至る。
小中のどんな光景にも心の奥では必ずあのマンションが映っている。
たぶんそれは、自分の学生生活はいつもあそこから始まったからに他ならない。
つい最近のこと。
大学の講義が終わり、家に帰る。
ふと、怖い配信が見たくなり眠る前にアーカイブを流しながら、色々と考えて布団に潜っていた。
気づくと、自分はそのマンションのエントランスにいて、エレベーターを待っていた。
昔は903に住んでいたため、そこへ帰ろうとしていたのだろう。
エレベーターが来る。
自分の他に知らないおばあちゃんも乗って、一緒に9階まで登っていく。
9階までたどり着くと、そのおばあちゃんは
「ありがとうねぇ」
と言って901の部屋へと帰っていった。
そこで自分は、
既に引っ越しをしていて
903の部屋には別の家族が暮らしていることを思い出して、その部屋の前で呆然と立ち尽くしてしまう。
自分だけはぐれてしまったような感覚になり、寂しくなったのか、怖くなったのか、
飛び起きると自分の布団の上だった。
昔、暮らしていた思い出の残る部屋が今は別の家族が使っていると考えると、少し悲しくなってしまう。
あの壁が、あのキッチンが、あの玄関が。
すべてがフラッシュバックのように頭によぎっていく。
今、あの部屋たちが大切に使われていると良い。
そして、今暮らしている家族にとっても忘れられない大切な思い出として残ってくれれば、僕としては何よりだ。
今は、そうなるように願っておくとしよう。
そしていつか、今住んでいるこの家にも思いがたくさんこもっていくように、思い出を残していきたい。
あの、アパートメントのように。
4/1-ツチノコ大捜査線
今日は4月1日。
明日は大学の入学式で、ここから大学生活が始まるので、そのために散髪に行ってきたところである。
それとは別で、4月1日とは有名なあの日。
その日の正午まで嘘をついていいという風習。
そう、エイプリルフールだ。
話は変わるが、
去年の夏ごろ、とあるツイートをみつけた。
これを見てほしい。
つちのこ学会という素敵な目標を掲げた(わけのわからない)学会が、捕まえた、と報告をしたのだ。
このツイートは案の定、嘘だったのだが、ツチノコ自体はもしかしたらいるかもしれないと自分は思っていた。
さっきも言ったとおり、今日は4月1日。
嘘をついていい日。
たくさんの企業が嘘のツイートと、本当のような画像を上げて、僕らをだましにかかる日。
強引に解釈すると、
つまりは、嘘がホントになる日だ。
ここで、自分は思いついた。
もし、このnoteでツチノコを見つける話を書いたら、本当に姿を現してくれるのではないかと。
そしたら、さっそくツチノコを探しに行こう!と美容院を出て、ここまでくる途中に見つけた公園に寄ってみることに。
まずは、園内のマップを見てみる。
ツチノコは何処によく生息しているのだろう。
やはり蛇なので、そこまで日当たりの良いところではなく、木陰に隠れた涼しい場所のほうがいるのかもしれない。
その推理に従って、まずは、その場所からツチノコを探すことにした。
とはいえここも良い感じに日が当たっている。
これは何の花だろうか。
近づいて見てみる。
すると横でがさがさと音がした。
歩く音ではなく、地面を這うような音だ。
まさか、ツチノコなのか?
胴体が普通の蛇よりも膨らんでいて、まぶたがあって、日本酒が好きなあの!?
気のせいだったみたいだ。
あのくぼみや草の方に伸びる細い部分がツチノコの胴体に見えたのだが、違ったみたいだ。
悔しい。
ツチノコだと思ったのになぁ。
気を取り直して、さらに奥へと進んでいく。
我らツチノコ探検隊、といったところか。
…1人しかいないけど。
あれは…なんだ?
怪しいものを発見した。
これはまさか、あれじゃないのか。
ここにあるにはおかしいものが、ここにはある。
あってはならないものがある。
もしかしたら、これはツチノコの手がかりかもしれない。
そう考えると、即座にその場所へと近づいて行った。
近づいて数分観察してみるも、何の反応もない。
ツチノコのお家かと思ったのだが。
悔しいが、別のポイントへ移る他ないだろう。
そうして、陽当たりの良いポイントへと移動した。
ふと思ったのだが、まさかツチノコとは蛇では無いのではないか。
そもそもツチノコの特徴である、胴体の膨らみであるとか、長い距離の跳躍が出来るであるとか、そういうのに当てはまるやつがいるではないか。
胴体の膨らみはあの立派な胸筋が物語っている。
跳躍は、跳ぶという字が入っているが、これは 跳ぶ = 飛ぶ ということ。
つまり、羽があるのだ。
それに該当するのはこいつしかいない。
そう。
ハトだ。
違うに決まってるじゃん!!
と、読んでいるあなたはそう思うだろう。
しかし、これを裏付ける情報が公園内にあったのだ。
これを見てほしい。
君らは知っているだろうか。
ツチノコは猛毒を持っているという言い伝えがあることを。
ハトに餌をあげてはいけない理由は色々あるが、その1つとして、つつかれてしまう(噛まれてしまう)可能性があるからなのではないか。
ハトがツチノコだとしたら、つつかれてしまうと、人の体に猛毒が回ってしまい、死に至らしめるだろう。
そのためにこのような貼り紙を出しているのだ。
では、なぜツチノコをハトと偽っているのだろうか。
その答えは、「つちのこ学会」のWebサイトが既に握っていた。
ツチノコは絶滅危惧種なのだ。
(その割にはよく見かけるが)
絶滅危惧種は、大切にしていかなくてはならない。なぜ今いる動物たちは絶滅危惧種になってしまったのか。
それは、僕たち人間が起こしてしまった環境や出来事が原因だから。
今回の探索で自分は色々なことを学ぶことが出来た。
ツチノコには特徴がたくさんあること。
ツチノコはハトと呼ばれているということ。
そして、絶滅危惧種を大切にしなくてはならないということ。
辺りにでトコトコと歩いている彼らに、居てくれてありがとうと心の中で言って、公園を出た。
向こうには、1匹のツチノコが足元を眺めながら、何か食べ物はないかと歩いている姿が見える。
あんなところには木の上にツチノコの友達の像が飾ってある。
……それにしても、本当に絶滅危惧種なのかと疑いたくなるほどたくさんいるな。
このツチノコは。
桜の海
とある事情で近所にある公園に散歩に来ていた。
先ほどまで歩き回っていたので、足がとても疲れている。
のども乾いた。
辺りは桜に囲まれて、まるで桜の森のようだ。
そんな森の中で子供たちははしゃいで、走り回っている。
良い感じのお花見日和なのだろう。
自販機を探すが見つからなかったので、ベンチに座って休憩することにした。
なぜこんなに歩いていたのか理由はよく分からないのだが、何かに突き動かされるように、とある生き物を探していた。
散歩をしっかりとするのは、思えば去年の春ぶりな気がする。
この時期は毎年、定期演奏会を行っている。そのリハーサルのために、この地域の文化会館に来ていた。
昼休憩の時間。外に出て、歩くハトを眺めながら弁当を食べている。すると、遠くから桜の花びらが風を漂って足元に落ちてきた。
近くに桜が咲いているみたいだ。
ご飯を食べ終わり、ハトたちに別れを告げて、楽器の元まで戻る。
荷物を整えると、即座にホールを飛び出し、公園に向かう。
そこの公園はお城の跡らしく、そこが桜の名所と呼ばれているらしい。
去年の定期演奏会の時にここを見つけて、そこから桜を見に来ることが少し楽しみになっていた。
まだ練習再開まで時間がある。そこまで散歩に行くことにした。
入口からすでに見えている桜の木が、入る僕たちをお出迎えしてくれている。カメラを構えている人も多く見かけ、自分も桜を写真に収めた。
中まで進むと、大きな花を携えた桜のような木を見つけた。
これは桜なのだろうか。
このとき見つけた桜が、去年紹介した関山桜のことだ。
ほかにも桜を探してみるが、既に桜は葉っぱと入り混じっていて、桃色と緑色がないまぜになっている。
気づくと道は桜の花道になっていた。
風にあおられ、花びらが散り、歩く道が彩られていく。
まだ新年度は始まったばかりだったのだが、色々とあり疲弊していた自分は、なぜかそこでウルっときてしまった。
そのあと、たくさんの写真を撮った自分は満足をしてホールに戻った。
そんな光景を思い出し、改めて辺りを見てみると、今いるここはその光景にひどく似ていた。
たくさんの家族を包む桜の森は、とてつもなく幻想的で本当に惑わされているみたいだ。
近くに鬼でもいるんじゃないだろうか。
風が吹いていることを感じないのだが、どこからか、桜の花びらが流れてきた。
足元を見てみると、そんな不思議な色をした花びらが辺り一面に散らばって、まるで海のようだ。
いつか、またここで桜を見たい。
それは来年でも再来年でも。
友達や彼女を連れてきても。
いつか自分が家族を持ったときに行くのもいいだろう。
この桜の海の雰囲気をまた味わいたいし、感じさせたい。
この満開の下でお弁当を広げてみたい。
想像と同時に謎の高揚感が体に走る感覚がした。
桜の不思議な色を見ていると、胸のうちがおかしくなる気がする。
長い時間眺めていると囚われてしまうようで、少し怖くなり、頭にのった桜の花びらを払いながら、ベンチを後にした。
イコイ
午前の大学の講義が終わり、お昼の時間になる。
次の講義が始まるまでの時間を見てみると、なんとあと1時間半もあるじゃないか。
お昼はどうしよう。
大学内から出ると周りには高いビルが至る所に立って、今の自分を囲んでいる。コンクリートジャングルという言葉がふさわしいぐらいだ。
自分は、今までとは比にならないほど、身の丈に合わないほどの都会で生活をしている。
そういえば、この都会に来てやりたかったことの一つに、ビルに囲まれた街にポツンとあるであろう公園でコンビニのおにぎりを食べてみたい!というものがあった。
ということで、さっそく散歩のお供であるGoogleマップを開き、近くにある公園を探してみることにした。
すると、なんとここから約5分で着く公園があるらしい。
大学内にあるコンビニで、もちろんおにぎりを買い、外へ出発をした。
急なのだが、おにぎりについて話をしたい。
それもコンビニのおにぎりだ。
この頃の価格高騰の影響なのは分かっているのだが、それにしても高い。シンプルに鮭のおにぎりが好きなのだが、まさか150円以上もするとは。
久しぶりにコンビニでご飯を買ったがびっくりした。
さすがに150円以上では手が出ないので、もっと安い、ツナマヨや、(少し高いが)たらこを買ってその日は公園に向かった。
つい一昨日のこと。高菜のおにぎりが食べたくなった。
その日は昼の休みが少ししかなかったため、先にお昼を買おうとコンビニに寄った。
高菜を探すが、おにぎりの棚には「たかな」の文字が見当たらない。しかし、その代わりに見つけたものが、「しそ昆布たくあん」。
たくあんは好きだし、ほかに代わりになりそうなものも無かったのでそれと、他のおにぎりを買って講義のある教室へ向かった。
お昼の時間になり、大学内の窓から外を眺めながらそのおにぎりをほおばってみる。おいしい。いい感じのシャキシャキとした歯ごたえと昆布の香り。
良い感じのマリアージュというのだろうか。
食べていて、嬉しい・楽しいと思うのは久しぶりだった。
この感覚は先日、お昼を食べに行った公園で見た光景に近いものがある気がする。そう思った。
大学を出て、マップを見ながら、前を向くとたくさんの人の流れが目に入る。道を曲がり目を凝らすと、遠くに公園らしきものが見えてきた。
公園の様子を見ると急に、なぜか嬉しいような感動にも近い感覚が自分の中であふれる感じがした。
自分以外にも公園でお昼を食べている人がこんなにいるなんて。
僕の理想の「都会の中の公園」の雰囲気じゃないか。
お弁当を持ってきたり、コンビニで買ってきたものであったり、食べているものが様々なのが、またいい味を出している気がする。
自分も座れそうなところを探して、持ってきたおにぎりを食べることにした。
イコイというのはこういうこというんだろうな。
と、心の中でふと、そう感じた。
考えてみれば、「イコイ」という字は人と人が一つの場所(ここでいう公園)に集まっているように見えてくる。
また、漢字の「憩い」は舌と自と心からきている。
これも、自分も周りの声も心もすべてが同じ場所に集まっているような成り立ちで、このイコイを現しているようだ。
そんなことを考えていると、講義の開始まであと30分近くの時間になってしまった。
ゴミをしまい、急いで公園を後にする。
会社も大学も違うし、食べているものも違う。
全く違う人同士が、同じ場所でご飯を食べている光景は、同じ食卓を囲んでいるようで、嬉しくなった。
過去にもここで食べる人はいただろうし、未来にだってたぶんいるだろう。気持ちが集まる、というのはこういうことを言うんじゃないだろうか。
そう考えるとやっぱりイコイはいいなぁと思い、大学の構内へと戻った。
そいうえば余談なのだが、一昨日の話の大学の帰り。
構内のコンビニに寄って何か残っているかと探していたところ、おにぎりの棚に一種類だけ5、6個も余っているものがあった。
そのおにぎりの種類が何なのか気になり、覗いてみると、それはお昼においしいと感動した、あの「しそ昆布たくあん」のおにぎりだった。
少し悲しくなった。
まとめ:オシャレって、なに?
4月ももう半ばを過ぎようとしている。
この期間はとっても長かった気もするし、反対に「もう」そんなに過ぎたのか、とも驚いてしまう。
大学生になるにあたって、先月の月刊を投稿し終わったあたりから始めたことがある。そしてそいつの扱いに手こずってもいる。
それは、SUITでも話したと思うが、インスタグラムだ。
去年の6月から月刊のインスタグラムについては動かしていて、去年の夏休みあたりから個人で使う用のアカウントも作っていた。
しかし、どうも他人に紹介する気にはなれず、好きなミュージシャンやおいしそうな写真を眺めるだけになっていた。
3月のある日。
今までネタにしてきた、「連絡先を消してしまった人たち」ともう一度繋がろうと思い立ち、すでに繋がっている人たちに声をかけてみた。
要するに、人海戦術を仕掛けたのである。
すると以外にもたくさんの人と繋がることが出来て驚いた。
が、思えばそもそも繋がっている人も少なかったので、いかんせんこれはよくないと感じる。
どうしようかと考えたときに白羽の矢が立ったのがインスタグラム君だった。(Birthdy massageを渡していたときに、友人から、最近はインスタだよと言われたこともこの時に思い出した)
ここでも流行りの人海戦術で、色々な人に「フォロー」をしてもらう。
しかし、まだ足りない。
自分が学生生活の中で関わってきた人たちはこんなに少なくないはずだ。
怖くて仕方がなかったが、人違いも承知の上で、たぶんこの人だろうな~という人に「フォロー」をこっちから仕掛けに行った。
そんなこんなで、今はインスタを6割ぐらいは活用できている気がする。
最近の悩みはそこだ。
「オシャレって、なに?」
これに尽きる。
元々、この月刊で書くために、どこかへ行った際は写真に収めるようにしていたので、写真自体には事欠くことは無いのだが、
周りの人たちの投稿と見比べると、どうもそのオシャレさが足りないように感じてしまう。
2.5次元の誘惑から学んだことを使うならば、被写体だけが美しくあれば良いのではなくて、写真を撮るこちらも相手を何かしら意識して取らなくてはいけないのだろうか。
難しい。近年のSNSの使いかたくらい難しい気がする。
そういえば、インスタに関係した話ではないが、最近変な夢を見ることが多発している。
この前は、中学校の頃に好きだった子と再会して、なぜか過去に住んでいた町を一緒に探検していた。
アパートメントで書いた夢も少し怖かった。
少し前になると、なぜか自分は監視カメラを見ていて、小さい人間に殺されてしまう夢を見たし。その夢では、死んだ人間は3つの数字になるとかいうちょっと面白そうな内容だったし。
ちょうど昨日は、また中学校のときに好きだった女の子が出てきて、僕の心を試そうとしてくるし。
とにかく思い出に訴えかけてくるようで、心地よく眠れもしない。
なんなら、その女の子は結局僕が迷惑をかけてしまって(気がしている)それ以来、連絡はとっていないおろか、先に話した友人同様消してしまっているので謝ることもできない。
(後に繋がることも出来ていない)
夢っていうのは自分の願望だったり、心の内と直結しているみたいな話を聞いたことがあるので、余計申し訳なくなってしまう。
今はその子が幸せであってくれることを願うばかりだ。
どうでもいい話だが、また下ネタにまつわる話を書きたいと思っている自分がいる。
本当に深い話は大々的に話すことが出来ないので、これはただの願望なのだが、自分の中に渦巻く欲の話が途轍もなくしたい。
それでいえば、桜の海で話した高揚感はそんな気持ちの暗喩的な表現にしたつもりだし、梶井基次郎の「櫻の樹の下には」をイメージしてかいたところもある。
とにかく、いまの自分には何かを表現したい欲があふれそうだ。
今、4月の月刊が終わる時点で、ネタの案をまとめたノートを見てみると、すでに9つはたまっている。
これは今までの自分からすると珍しいことのように感じる。
この熱が冷めないように、来月まで暖めなくては。
そんなところで今月の月刊を終えるとしよう。
それでは、
月刊コグマ 大学生編 スタート!!
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