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月刊コグマ#4 1つのコップに注ぐラプソディー

もう1ヶ月が経ちますね。

早いなぁって。毎回言ってると思いますけど。

ラプソディーは狂詩曲の英語で、
叙事的で幻想的な曲想のことをいうらしいですよ。

今回はこの1ヶ月にあったことを叙事的に?叙情的に?(そんな雰囲気で)書いていきたいと思います。

〈心と共にあるような〉

この1ヶ月は、春らしく

『「出会いの季節」で染めたかったのに』

出会うからこそ別れるんだと改めて思わされました。

今回は記憶に残った4つのお別れについて話したいと思います。

3月30日 離任式とさようなら

別に興味も無いような知らない先生が
またよく知らない学校に行くんだろうなぁと

そう考えていました。

まぁ、案の定
全く知らない先生がほとんど居なくなりましたよ。

けど、去年自分がお世話になった先生もいて
少し、寂しくなったり。

まぁその、授業自体は
寝てる人の多いようないわゆる「つまんない授業」でしたけど、

話し方とかテンポとか好きでしたね。

僕が1年生の頃に3年生の担当をしていたこともあって、とても頼りになりましたし。

その先生が行った学校では、

新1年生の担当で1クラス24人ほど、だと言っていて

自分のクラスの半分と少しだと考えると
とてもびっくりします。

これからのご健康とご活躍をお祈りしております。


4月6日 新学期・始業式・桜の味

ほんとうに、初めてなんじゃないかと思います。

体育館で始業式をしました。

今まで体育館に、学校にいる全員が揃うなんてこと無かったのに。

なのに、3年生だから部屋の端に並ぶと
何故か物足りなさがありました。

「物足りなさ」というと伝わりにくいかもしれませんが

やっぱり何かが足りない感じがしました。

自分がもう最高学年なんだという自覚も、
もう先輩はいないんだということも、

しっかりと分かっていなかったんだろうなと思います。

今も、そうかもしれません。

これが「甘え」なんですかね。

ワカラナイですけど。


4月8日 今、思えばきっと

『 前回の月刊コグマを書いているときにはもう

もしかしたら、予兆があったのかもしれない。

認知症って気づいたとき、
「もう時間が少ないのかも」
って思うことが出来れば良かったのに。

あの日の前日は様子がいつもよりおかしかったのに、

「まだ大丈夫でしょ」なんて思って普通に寝てしまった僕を後悔してる。 』

その日の朝、5:00くらいでした。

「メーちゃんが死んでる。」と親に言われて起きました。

(家のペット、ポメラニアンで名前はメープルです。)

すぐに彼の寝床に行きました。

そしたらすぐ側にあるトイレで横たわっている彼を見つけました。

始めは「いや、寝てるだけでしょ」と思い、耳を近付けてみると息をしていませんでした。

ショックの方が大きくて、なのかな。
前までは、「泣いちゃったりするのかな?」とか
思ってたんですけどね。

なんにも。本当になんにも。
思うことが無かったんです。

その時の感情は頭が真っ白になったという言葉が一番ふさわしいと思います。

言葉が悪いですが、
その後に、あぁ死んじゃったんだな。
と一言、思いました。

その日は学校でテストがあるので休むに休めず。
親も今日は抜けられない仕事があるということで、

18:00辺りにペット霊園の方に来てもらおうということになり
学校に行きました。

学校って良いところですね。
初めは、「ずっと気持ちが沈んで今日1日はポテンシャルがダメな日なんだろうなぁ」
みたいなことを思っていたのですが、

テストが、部活が、僕を夢中に誘ってくれました。
ちょうどその日は、
新1年生でチューバに入りたいと言ってくれた子が見に来てくれた日でもありました。

元よりこうゆうのは信じないタチだったのですが、
死者が感謝として幸福を連れてくるということがあって。
とっても嬉しかったです。
大事にしたい。

家から帰ってくるともう家に彼はいませんでした。

母から14:00くらいに連絡が入っていて

本当に良かったと思いました。

やっぱり家に置いてきてしまったことが不憫で仕方がなかったので良かったです。

中学2年生ぐらいのときに、
「後、半年も無いうちに亡くなります」
と言われていて。
それで死ななかったから。

今回も大丈夫と思っていた自分に、注意を送りたい。

今までの自分に「写真の1つも残さなくていいの?」と言いたい。

今でも彼の死んでいた顔を思い出せます。

横に倒れていて、顔の面に接している部分が
血のような、それよりも黒い液体で濡れていた顔を。

母にも言われましたが、

看取ることなんて実際には難しい。
彼の亡くなった時刻に「家にみんながいた」
そのことがまず良いことなんだ。

欲を言えば側にずっといたかったけど、
その言葉は心の支えとして充分でした。

13歳って長生きですかね。
でも、認知症になってもおかしくなかったし、
いつ死んでもおかしくなかった。

本当に天国があるならそこに向かって彼に伝えたいですね。

長い間、一緒にいてくれてありがとう!って。

ネットって向こうも繋がってるのかな。


4月12日 余談:1年とちょっと

最後のお別れは同じ部活の人でした。

1年とちょっと、
同じ部活仲間として頑張ってきたので

やっぱり相手も何か理由があるのは分かるけど

途中で退部は寂しいよなぁ…なんて。

ここ最近部活にも来てなかったので、そうなんだろうなぁとは思ってましたけど。

まぁその子に何か思い入れがあるのかと言われれば全く無いので、

これは余談です。

また校内で会えたら話したいですね。

話す内容とか思い付きませんけど。


まとめ:1つのコップに注ぐ

今回の話の数、少なくないか?

という疑問を、書いていてずっと思っていたのですが、言ってしまえば4つの話が内包されてる訳ですし。

今回の題名は

初めは、心と共にあるようなだったんです。

この言葉のどことなく感じる温かい雰囲気だったり、寂しさみたいなものが好きだから。

まぁ第一候補だったわけですよ。

そしたら急に授業中にピン!と思い付いて。 

それが1つの器に注ぐラプソディー

でもなんか泥臭すぎるなぁと感じて、器をコップに変えました。

ラプソディーはきっと語感が良いから選んだんでしょうね。

もうあのときの僕を覚えてませんけど。

いろんな別れが立て続けにあって、
ちょっと気持ち的に
少しナーバスになってたところもあったかも知れませんし

ここで全部吐き出せて良かったです。

酔ってるようなことを言うなら、

空っぽになったコップに水を注ぐように

空いた心に暖かさとかそこら辺を
少しずつ少しずつ足していった。

そんな感じです。

…上手く無いな。


そういえば、最近行ったところがあって。

その話も出来たら良かったんだけど。

めっちゃ桜の花びらの道がキレイでした。

では、さよならバイバイ。





余談:もう葉桜。

カンザンザクラ(関山桜)

この桜はまだ葉桜じゃないですけど。

やっぱり話します。

最近、桜の名所と呼ばれているところに行きました。

いって4月も中頃だったので、
まだ咲いてるでしょ!と思い見に行ってみたのですが、

思いっきり葉桜でした。

桜のピンクと葉の緑が混じっていてリアルで見る分にはそこそこって感じでしたけど、
写真で見るとごちゃごちゃし過ぎていて汚く見えてしまいましたね。

上に載せたカンザンは遅咲きの桜なので、
この撮りに行った日でも満開でしたね。

初めは梅かな?
とも思ったのですが、そもそも時期的に違いますね。

ここの近くにある文化会館の花壇にネモフィラの花らしきものがあって、

なんか嬉しく感じました。

キレイでした。

では、また来月。

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