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【UPDATE】楽しい!初めて思った6年生(自己紹介14)

皆様、こんばんは!
埼玉県越谷市で、がやてっく株式会社という小さな会社を経営している小栗義樹と申します!

本日は僕の自己紹介記事「ちょうどいいハンデだ」のUPDATEをします。

本日アップデートする元ネタはコチラです。

アップデート記事とは何かというと、
・当時書いた本文(下線部分内)を少しだけ修正・加筆する。
・冒頭の挨拶文(これ)を完全リニューアルする。
・文末は有料パート。過去に書いた自己紹介を読み直し、思ったことや違った視点・別の切り口などを加筆、思い出した新たなエピソードなども追加します。

有料部分はかなり尖った話をします。その話の先に、皆様の日ごろの生活に役立つ何かがあればいいなぁと思っております。

さて、今回の記事ですが、有料パートは無しになります。

読み返してみて、これは補足が必要ない記事だと判断しました。6年生の話をする上での序章みたいな感じになっていますので、状況説明が主軸となっています。明るいし、自分でいうのもなんですがよくまとまっています(笑)

加筆して、イメージを崩す可能性があるくらいならば、このまま進めた方がいいでしょう!

本編の最後には、ちょっとしたお知らせを書きますので、最後まで読み進めてもらえると嬉しいです。

それではいきます!

この記事は、2023年1月11日に投稿した、僕の14本目の自己紹介記事です。


5年生では担任+生徒からのいじめのダブルパンチで、精神的にとっても大きなダメージを受ける事になりました。

真っ黒新聞のウワサは学校中に広まり、僕はクラスに厄介者のイメージを与えたまま、6年生に進級することになります。

5年生最後の厄介者にされた記憶はあんまりないです。でも、やったことに後悔はまったくありませんでした。これは今もそうです。

何度も言いますが正当化するつもりはありませんよ(笑)

当時の僕は、暴力以外の方法で反発すると決めていました。酔っぱらった父が母に暴力をふるっていたのを見ていたので、それだけはしたくなかったのだと思います。ちなみに、スケベおやじからもたまに殴られました。あの頃は、ギリ体罰OKだったのでしょうかね(笑)

結果的に真っ黒新聞は、目には目を歯には歯をみたいな方法での仕返しになってしまったけれど、生きていくためには行動で示すしかない。そういう覚悟を持っていました。

6年生に進級した僕は、「大人嫌い」を超越して「人嫌い」になっていました。問題児として扱われるなら、徹底的に問題児になってやる。そんな風に思い、6年生に進級します。

そして、進級初日に火遊びが他校の先生に見つかって大目玉を喰らいます。

なんで火遊びなんてしたのでしょうか?今考えると謎なのですが、荒れていたのでしょうかね。

次の日、新しい担任の先生に呼び出されて怒られました。

スケベおやじとの言い合いで無駄に口が達者になっていたのでしょうか。僕は余裕で言い返していました。

この時の内容は覚えていないのですが、担任の先生が最後に「言いたいことはよく分かった。戻っていい」と言いました。

そこから親に連絡が言って怒られて、色々と大変だったのですが、担任の先生だけは、それ以降、この件をぶり返すことはありませんでした。

僕、この時のこのセリフをすごくよく覚えています。今まですごく怒っていたのに、このセリフだけはすごく冷静に納得したように言い放ったんです。

僕はこの先生に「あ、なんか今までの先生と雰囲気が違う」と感じました。直感的なものです。

そしてこの直感は当たります。

僕は、今でもこの6年生の頃の担任の先生を尊敬しています。気持ち的にすさんでいた僕に最後まで手を差し伸べてくれた恩師だからです。

僕の心が雪解けするまでには、かなり時間がかかったと思います。でも、諦めずに最後まで面倒を見てくれました。

問題児だった僕を、普通の道に戻してくれたのです。感謝してもしきれません。

僕が6年生を手放しで楽しめたのには2つの理由があります。

1つは、先ほどご紹介した恩師の存在です。

そしてもう1つは、初めて理解者に出会えた事です。

僕はここでもう1人。かけがえのない友人と巡り合う事になります。友人「R君」です。今でもよく遊びます。彼は、以前出てきたY君やA君、H君とのグループとは違い、少し変わったジャンルの友人となります。

唐突ですみませんが、前回の真っ黒新聞の回を読んで頂いた方、僕に対して「変わっている」という印象を持ちませんでしたか?(笑)

小学5年生の抵抗方法として「真っ黒新聞」って珍しいと思うんですよね。

そう。

自分ではあんまり自覚していないのですが、僕やっぱりちょっと変わってるんですよね。いじめられる原因が僕にあるとしたら、根本的にちょっと変なところがあるからなのだと思います。

実際、普通の同級生が出来ることができなかったり、ちょっと違う考えを持っているかもしれないと感じる場面が、幼稚園から5年生までの間に、何度もありました。

今では誇りに思っていますが、当時感じていた劣等感の中にこの要素は確実に入っていたと思います。

そんな中、このR君。

ぶっちぎりで変なんです(笑)

いや、僕と似た変さを持っていたんです。

ただ僕と彼の大きな違いは、彼はそれでも明るかった。だから、割と周囲に友達?というか人が集まっていたんです。僕は、この変というものを武器にして、戦うという道を選ばざるをえなかったのですが、彼は他者と共存する事が出来ていたんです。

僕にとって彼はまぶしい存在でした。ちょっと嫉妬めいたものを持っていたと思います。でも、彼は変だった。だから、全力で考えている事を打ち明けても笑ってくれるんです。

彼とは、本当に一瞬で仲良くなることが出来ました。

仲良くなったきっかけは今でもはっきり覚えています。

当時、社会の授業で歴史をやっていたのですが、教科書の他に資料集なる本がありました。その資料集に偉人カードが付いていたのですが、僕はこの偉人カードに数字を記入しました。

遊戯王カードのようなものです。これでデッキを作って1人で遊ぼうと思っていました(笑)

今考えると当時の僕、何してるんでしょうかね(笑)

「デュエルしよう!」

僕の背後からR君がいきなり声をかけてきました。彼も偉人カードに数字を記入していたのです。僕は戸惑いと感動を覚えました(笑)

こんなしょうもない遊び、6年生にもなってやってる奴はいない。そう思っていたから、声をかけられたとき、自分の価値を認めてもらえたと思ったのです。

R君と意気投合した僕は、給食センターの隅の用水路みたいなところで偉人カードを使ってデュエルをしました。そこが、遊戯王のアニメでデュエルしてるっぽい雰囲気を持っていたのです(笑)

これまで、一度も楽しいと思えなかった小学校生活でしたが、この時初めて、全力で遊ぶことができたと思えました。あの感動は今でも忘れられません。

R君と恩師のおかげで、僕の6年生は楽しいものになりました。

先に言っておくと、この6年生もいじめというかクラス内でのやっかみみたいなものは、若干ありました。ちなみに家では、父と母が言い争う回数も増えました。それでも、そんな事が気にならないくらい6年生は楽しかったんです。

僕にとって、全力で話せる相手と全力で考えを共有できる友達がいたからだと思います。

あと、6年生はR君以外にも、ちょっと変わった面白い連中が沢山いました。A君が本格的に登場するのもこの6年生です。

僕にとって中学・高校はまた違った意味で地獄です。小学1年生の頃の冷え切った家とは比べ物にならないくらい寂しい出来事が満載です。(注:ところどころ楽しい出来事もありますよ笑)

だから、6年生の振り返りは、少しだけ楽しいエピソードを織り交ぜながら進めます。ここで僕は自分の性格や考え方を見つめなおすことができました。武器を正しく認識し、その後の活動にも大きな影響もたらします

これから少しだけ、ポップな「ちょうどいいハンデだ」にお付き合いください。大丈夫、ちゃんと恥ずかしい出来事も満載ですから(笑)


はい、ありがとうございました!

ちょうどいいハンデだの中でも異色の、明るい兆しが見える記事になりました!

読み返した感想は「先週の記事とは大違いだなぁ~」です(笑)

先週の記事はきつかったです(笑)
よく書いたなぁって思いました(笑)

捨てる神あれば拾う神ありではないですが、ここから僕の人生に少しだけ光が差し込んでいきます。

この先も、軽い気持ちで読み進めてもらえると嬉しいです!

最後にお知らせをさせてください!

今週、短編集を発売しました!

「きっかけ」に纏わる7本の物語を収録しています。物語のバックボーンには、ちょうどいいハンデだの中で培われたものも入っています。

ぜひ読んでみてください。

宜しくお願い致します。

それでは、また明日の記事でお会いしましょう!

さようなら!


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