見出し画像

ハーバード大助教さん天野友道の「ゲーム・経営」寄稿が良すぎンゴの話

寄稿は日経ビジネスで、ゲーム遊び内における「勝ち体験」とはそのまま経営における「イノベーション創出=勝ち体験」のメタファーであり、応用できるという話です。

日ビジの趣旨的には「誰もが遊ぶゲーム内での優劣こそ、経営やイノベーションに応用できるって知ってっか?」な感じなんだろうけど、ぼくは逆に「へぇーゲームの考え方ってイノベーションにすら使えるんや、なら……」という具合にゲームの課金モデルへの理解を深めるための知識として天野の話を享受した。ヘッダ画像をお借りしています。


ゲームの不確実性はスキルで制御しろ

多分このかたは、ぼくが以前言い表そうとした現行の集金型オンゲーの特徴について一言で説明なさっている。

それが「スキルで制御のできる不確実性」です。

このスキルを「課金」に置き換える。つまり、金次第で運営企業が「ユーザという集金先」に与える「許してやる」権限、単なる「許可」こそがゲーム内のスキルである。コンシューマにおける実績解放に特典があるとしたら似たようなものかも

※スキルって言うけどこの文脈的には非常に意味が広いことにご注意ください。単にゲームにおける技術ってだけではない。そのまま、プレイアブルキャラクタが片手に持ってた剣が両手で扱えるように増え、打撃の数値が単純に上がるならそれもスキルだし、課金で「よくわからんが非常に有利な道具」をプレイアブルキャラクタに使わせられるようになり、一回敵にぶっ殺されてもその場で即生き返れるならそれもスキルだ(その道具を使わないと、死んだプレイアブルは永久にロストするとかペナルティ=不確実性が生ずる)。

(余談だけどオンゲーはオートセーブが基本……といいますか大量にユーザが同じゲームで同一のパイから何かしら奪い合っているなら尚更、リセットボタンぽちーでやり直せてはならない=強制的な不確実性が保証できてしまう。コンシューマとの大きな違いである)

つまり始めからゲーム内にその機能は存在してるんだけど、ユーザに不便を自覚させるべきだから一般解放はされていない機能だ。

それがあればゲームを「クリアした」という状態に持っていける。いきやすくなる。

つまりスキルとは「餌」でもありますよね。「スキルで制御のできる不確実性」とは、言い換えれば「本気出せば手に入れられる確実性」のことだ。本気度とは財力だ。「金を出してまで買う価値」をユーザに見いださせるための餌だ。

企業運営上においては、その「餌を買わせる行為」こそまんまと顧客の財布から金をむしるのに成功することを意味するんだから、コンバージョンを引き起こすための最強の飛び道具とすらいえる。飛び道具とは便益だ。「それがあれば悲願だったあれができるようになる」ってことをユーザにわからすってことは便益を伝えるってことですよね。

無料で何でもできる期間をユーザに結構与えがちなアプリゲー、ブラウザゲーとは「無料でユーザに遊ばせてやってる」っていいますか、「ゲーム内では何が不便だったり、何をどうすることができれば有利なのか」を、大量の時間をゲームに投与させることで解らせることを第一目標としている。

ゲームの無料部分とは見事なまでにフィールドセールスの一貫なわけです。

勝ち負け・優劣←金で解決

確実性とは天野の表現におけるゲーム内勝ち/負けにおける「勝ち」以外の何物でもない。あるいは「勝ち」の可能性が上げられるパーセンテージの積み上げが文字通り「確実に」できるなにかのことだ。

ゲームには勝ち負けが有り、経営には、ビジネスには、イノベーションには勝ち負けがあるのだろう。成功が勝ちで失敗が負けか。成功は即、金が懐に入ることを意味するだろうか。

となると、ビジネスとはどこまでいっても金が入るか逃げていくかという優劣でしか語られない世界であることの証左でもあると捉えられてしまい悲しくなる。まさにゲーム開発・運営企業は上記の「餌買わせ行為」で勝ちをしている。

とはいえぼくはもともとビジネスの世界に興味がなさすぎるし、優劣みたいな比較、比べること自体がインターネッツにおける異常事態だと思っているので、今更という感がなくもない。

だってオンゲーの「クリアできたか、できないか」も優劣になっちゃいますもんね。あまりにもくだらない。SNSで自慢するためだけのスクリーンショットを撮影する行為自体がUGC・第三者ユーザ=見込み客に対するコンバージョン喚起行動であり、結局まんまと資本主義に組み込まれていることがくだらない。コンシューマゲーに比べ、見事なナッジ理論で向こうが望む行動変容を既存ユーザは促されていて、まるで泥人形みたいだ。

このかたはぼくが普段から参考にしてるチクセントミハイのフロー理論にも言及していてなるほどと思う。負ける可能性もあるけど、「『勝ち』筋」が見出だせる時、人は熱中してしまう。それこそがゲームが遊ばれる理由だ。「ゲーム会社の術中」だ。

天野はゲームにおける勝ち負けの定義がはっきりしているなら、経営やイノベーションでも勝ち負けの基準がはっきりすればイケルで!みたいに言うけど、ことオンゲーはそもそもその勝ち負けを「餌」が食い込む余地があるように設計する企画商品であるため、開発者の手のひらの上に左右される成功と失敗ありきな時点で応用がしづらい気がする。

経営やイノベーションには正解がなさすぎる。ゲームにおける完全なマスター(主人)である「開発者」的な存在が経営やイノベーションにおいても存在するのだとすれば、それは意思を持った神とか超常現象的な存在になってしまうから。

だからマーケティングではとにかく生活者の便利、不便を調べまくるんでしょうね。そうすれば最初はどんなにおぼろげかもしれないけど需要がわかるから。その需要を満たす便益を付与した商品を創って流せば売れて会社が持続するから。

あんまこじつけみたいなことは言いたくないけど、つまり生活者に便利を与えないとものが売れない時代に「不便を強いて金をむしろうとするダークパターンマーケティングモデル」はまさに時代を逆行していると言える。言っちゃえばオンゲーだって、課金しないと一生不便なままなんだってことを強いている時点でそれに近いんじゃないか?

不確実性と集客

天野はゲームの不確実性とは不便を強いることでもあると言及していて、ぼくはまったくもってその通りと思う。

思うような結果にならないこと、ダウンサイドリスクと天野は表現する。そいつらとユーザは戦わされるわけだ。それを楽しむ。ぼくはそれを楽しめないことは過去に話した通りだ。

前者はコンシューマゲーの世界観をもっと味わっていたいから惜しい、というものだったけど後者のそれはゲームの課金モデルが「時間奪い型」に脳死で進化しているから。こっちは他にやりたいことがあるわけです。だったらもうゲームを卒業する要件がぼくには備わっているのかも知れない。そんな奴にとっては、こっちこそ脳死で遊べるゲームにしか魅力を感じないというわけです。

天野の言い方を借りれば、

勝ち負けがあまりに不確実過ぎるゲーム(例えばサイコロを転がして6の目が出るかどうかだけを競うようなゲーム)

にばかり市場が席巻されてしまってるんじゃないか的な気もする。

でもそれはフロー理論におけるルードな状態であり進展がないとされる。一方、もうこっちはゲームと自分の何らかの接面において、以後の進展を見いだせないからこそ、自分がルードになるしかないのだろう。

ゲーム内でPDCAを回して、思い通りの結果を手に入れる(可能性を増幅させる)。それが楽しめればいいんでしょうね。

「その不確実性はなぜ不確実な性質なのか?」「不確実性を不確実性たらしめる成分とは何か?」を調べる行為が楽しめればいいんでしょうが、いちいちゲームごときにそんなことを考えたくなくなってしまった。

ゲームで思考する時間があるなら一冊でも本が読みたい。ゴールデン・ウィークにいつも寂れたモールが満車にならないためにどんな施策を打つべきか、みたいな将来に渡って利便性が見出だせる事象について考えたい。

PDCAがガチっと決まったら多分「俺がゲームを支配してやってる」みたいな気持ちになれるのだろう。だけどゲームに1秒でも時間を使った時点で、圧倒的にゲームに支配されているのだ……

もっとも、ぼくが普段読む(割合が比較的多い)日経クロストレンドがマーケティングとか広告のニュース寄りなのに対し、日ビジはおもくそ経営向けだから興味が持てなくても(天野の話はこの通り好きだ)仕方ないと言われてしまえばそれまでなんだけど。

この記事が参加している募集

#自己紹介をゲームで語る

2,966件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?