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生活すること

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生きるって何だろう?それは生活することなのではないだろうか────30才で伊東市にある海の街へ移住して感じたことを書いています。
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#躁鬱人

私の処方箋

私の処方箋

今の暮らしになってから1年半以上が過ぎた。ここでの日々は静かに、穏やかに流れていく。ありとあらゆる存在が私を支えてくれているおかげだろう。打ち寄せる波の音も、どこまでも続いていく地平線も、季節と共に色を変えていく山々も、朝陽と共に歌い始める鳥たちも、今日は天気がいいねとご近所さんと交わす会話も、おまけでもらった干物も、日常の中にある全ての出来事が私の支えとなっている。

以前の私の支えは音楽しかな

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深く息を吸い込めば

深く息を吸い込めば

東京から帰宅。伊東の駅へ降り立った時、引っ越してきたという新鮮さよりも、帰ってきたという安心感が沸くようになってきた。まろやかな伊豆の空気を身体へ取り込もうと、いつもより大きく深呼吸をする。ふと思えば、意識して呼吸をすることが増えた。やっぱり排気ガスにまみれた空気よりも、自然の香りがする空気を取り込みたい。躁鬱が酷かった時、知り合いに呼吸の仕方を教えてもらったことがあり、ゆっくり深く呼吸をすること

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バックミラー越しに映る景色は

バックミラー越しに映る景色は

呼吸をするたびに、伊豆の柔らかい空気が肺を包み込む。意識しなくても、つい深呼吸をして体内へ取り込みたくなってしまう。伊豆の空気で充満した私の身体は緩やかに分解され、そのまま空気中へ溶け込んでいくような感じがした。私の躁鬱の波を穏やかにしているのは薬ではなく、きっと伊豆の空気なのだろう。

躁鬱の波にのまれて、生き方を変えると決めたあの頃から約1年が経った。当時について振り返ろうと何度も文章を書こう

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無敵なアイツと私の関係

無敵なアイツと私の関係

先日まで躁状態だったらしい。気がついたのは数日後だった。好奇心が止まらず、頭の中からどんどん言葉が湧いてきて、あれもこれもと話しまくる。自分の意思とは関係なく、口が勝手に動いているような感じ。まるで別人のようだねと言われた。悩み相談をされた時には、そんなに深刻に考えても仕方がないというリアクションしかできず、不安や悲しみを全く共感できない。極めつけは、やたら人前で歌いたい衝動が止まらず、数ヶ月後に

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輪郭がぼやかされた世界は退屈

輪郭がぼやかされた世界は退屈

ここしばらくは落ち着いた日々を過ごしている。減らした薬も身体に馴染んできたのだろう。医者には元々の量が少ないから一気に100mg減らしても大丈夫と言われたけど、怖くて50mgにしてもらった。そしてちゃんと減らした分だけ波の揺れを感じた。私は人より敏感なところがあるみたいだから、薬も効果を感じやすいのかもしれない。

どうやったら薬を飲まずに躁状態を抑えられるのか、という質問を医者へした時に、薬を飲

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頑なに引っ張らない

頑なに引っ張らない

ここ1ヶ月の間に何度か落ちた。でもすぐに真ん中へ戻すのが上手になってきた。真剣に休めば数日で元に戻せる。転ぶのを怖がっていたらいつまで経っても自転車に乗れないように、揺れるのを怖がっていたらいつまで経っても暮らしを楽しめない。一時期は心の揺らぎが怖くて誰かに会うのも、どこかへ行くのも躊躇していた。薬で初めて知った安定した自分に寄りかかりたくなってしまうのだ。だけどいつかは補助輪を外して自転車を漕が

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無敵ではない人

無敵ではない人

風景画展が始まり、少し慌ただしい日常を送っていた。お店での搬入作業をし、初日ではたくさんの方が来てくれて、テレビの取材も2本受けた。そして私は今、鬱に入って動けなくなっている。スマホの今月のギガ数が足りなくなるみたいに、キャパオーバーになってしまっているようだ。以前までは波があるのを隠していたから、側からしたら上手くいっている部分しか見えず、無敵な人に思われていた節がある。移住して1年も経たないう

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脱皮

脱皮

気のせいだったかもしれないと思うほど、身体から抜けていく苦痛。もうすぐ鬱が終わるらしい。ご飯も作れなくなるほど大変だったのに、この日々の感覚はきっと忘れてしまうのだろう。毎回、真新しく生まれ変わるかのように過去は綺麗さっぱり消去されて、不安なんて微塵も感じず、何事もなかったかのようにまた未来へ向かって走り出していく。私はこれから、この鬱抜けの過程を「脱皮」と呼ぶことにしようと思う。

脱皮中は自分

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自分だけの薬

自分だけの薬

今回は久しぶりに随分と下の方へ来てしまったようだ。アサガオの観察日記みたいにつけている躁鬱チェックリストの日数を数えてみると、真ん中にいられたのは3週間ほど。薬を減らしてから、明らかに真ん中にいられる時間が減っている。つまり薬はちゃんと効いていたということだ。改めて薬ってすごいなと感心したと同時に、やめられなくなる恐怖心も抱いた。薬が効いて生活が楽になると、やめなくてもいいのでは?と考え始めてしま

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過去の精算

過去の精算

私の生き方は、躁鬱人としてあまり参考にならないかもしれない。自分のために住む場所を変えて、どこにも勤めず、作りたいものを作りたい時に作って、波が来たらその通りに過ごす。それは私がたまたまアーティストをやっていて波を活かせる職業だったからできていることで、マイノリティーだと自覚している。躁転したら大きなプロジェクトをやって、鬱転したら曲を作って、躁になっても鬱になっても全て活かせてしまうのがアーティ

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海の上で暮らしているようで

海の上で暮らしているようで

どうやら数日前からフラットな世界へ戻ってきたようだ。躁と鬱の両方を体験した約1ヶ月半はかなり危険な旅だったけど、無事にまたここへ戻ってこられて安堵している。波のある生活を受け入れることにしているから波があること自体に問題はなく、どんな旅で、どうやって戻ってきたのかが分かれば次の波もそれほど怖くない。躁鬱はまるで、海の上を漂う船に乗っているようだと思った。追い風を受けて加速しすぎれば、戻ってこられな

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落ち込まない鬱

落ち込まない鬱

身体が少し楽になってきた。心臓の鼓動がゆっくりになりつつある。降ってきた階段の一番下は通り過ぎたらしい。建てつけの悪い危険な階段だったけど、降り方はなんとなく分かってきた。心臓が苦しいと一つの動作をするのがすごく大変で、重たい身体を引きづりながらご飯を作ったり、洗濯をしたり、よくやったなと我ながら思う。最下層を通り過ぎた今からは、しばらく真横に進んでいく。ここから無理に上がろうとすると、まだ身体が

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生き延びるための観察

生き延びるための観察

朝起きて、キッチンをデフォルトに戻し、コーヒーを淹れて、文章を書く。いつもと変わらないことをしているけれど、身体は重い。その重さの要因は手足や腰などではなく、中心である心臓から来ているように感じる。心臓が疲れているっぽい。走り終わった後みたいな感じ。そのせいで全ての動作が遅くなっている。脳みそは至って冷静で、体調とメンタルを紐づけないようにそれぞれを分けて考えるようにしている。この体調に流されて心

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刹那に生きること

刹那に生きること

躁鬱人は、人生をどこか刹那的に考えていると思う。私は鬱状態なうなわけだけど、躁状態のことをあまりよく覚えていない。自分がどこで何をしていたのかくらいは覚えているけれど、その記憶に対して感情が付属していない状態だ。お酒で酔っ払った次の日に似ているかもしれない。あれは何だったんだろう…と頭の中を探しても見つからなくて、なくしたというより、スッと消えてしまったような感覚。過剰に出ていたドーパミンが出なく

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