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無敵なアイツと私の関係

先日まで躁状態だったらしい。気がついたのは数日後だった。好奇心が止まらず、頭の中からどんどん言葉が湧いてきて、あれもこれもと話しまくる。自分の意思とは関係なく、口が勝手に動いているような感じ。まるで別人のようだねと言われた。悩み相談をされた時には、そんなに深刻に考えても仕方がないというリアクションしかできず、不安や悲しみを全く共感できない。極めつけは、やたら人前で歌いたい衝動が止まらず、数ヶ月後に何かプロジェクトをやりたいと考え始めた。その時の私は無敵だ。脳みそがパカッと開いたように思考は覚醒し、世界の全てを理解したような感覚すらある。私は全知全能の神だ!とまではいかないけど、なれそうな気持ちではある。

抑えきれないエネルギーが体内からふつふつと湧き上がってくるこの感覚は、実はそんなにいいものではない。空腹な自分の目の前に置かれたケーキをずっと我慢しているようなもの。手に入りそうという期待を持たせるドーパミンが異常に放出されているのが躁状態で、その期待によってやる気が出たりするけれど、何かしなければという焦りにも繋がる。今まではその焦燥感を原動力に、若さと勢いで何とか乗り越えられてきたのだろうけれど、幾度となく押し寄せる異常な状態に、心も身体も耐えられなくなってきていると感じる。

何かをやり始めたい自分に何度も問いかける。お前は数ヶ月にもその状態でいられるのか?どーせまたいなくなって全部すっぽかすのだろ?返ってくる答えは、絶対大丈夫!だ。そろそろ信用できない。でもあり余るエネルギーを持て余し続けるのも辛い。カメハメハを打とうとしているのに、カ〜メ〜ハ〜メエェェ〜〜〜で止めている状態。一度作ってしまったカメハメハはもう仕舞えないから、どこかに打つしかない。

そこで考案したのが、普段より大きな絵を描くことだった。絵を描くという行為自体はいつもと同じなのだけど、サイズを大きくすると難易度が上がり、集中しなければならない時間も増えるため、躁の自分をある程度は満足させられるらしい。もう一つ重要なのが、いつでもやめられるということ。躁が終わったフラットな私がその大きな絵を描こうとした時、あまりの細かさと紙の大きさに絶句し、描き上げるのはかなりしんどいと感じた。やる気満々で描き始めたのは自分なのに、その自分は今ここにいない。引き継ぎをしてくれないのは相変わらずだ。これが何の用途も決まっていない絵だったからいいものの、期限が決まっていたり、継続しなければならないものだったら大変だった。動かしていたのは脳みそと指先だけだったおかげで、今のところ躁の反動はないままフラットな状態へ戻って来られている。副作用なく大きな成果物が得られるという、ノーリスクハイリターンなプロジェクトを考案することができて、この1年間探り続けた躁鬱人研究の成果を得られたような気分だ。

フラットな私が大きな絵を見た時、それはまるで躁な私が可視化されているようだった。あの脳みそがパカッと開いているような、高揚感や全能感は跡形もなく消え去り、紙の上に引っ張られた線だけがその痕跡を残している。存在を知ってはいるけれど、一度も顔を合わせて会ったことがない知り合い程度のアイツは、私にはできないことをやってくれている。すごいやつだ。ようやくそう思えるようになってきた。私たちの本領発揮は互いに認知し合って、共存していくことを約束したこれからなのかもしれない。

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