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自分だけの薬

今回は久しぶりに随分と下の方へ来てしまったようだ。アサガオの観察日記みたいにつけている躁鬱チェックリストの日数を数えてみると、真ん中にいられたのは3週間ほど。薬を減らしてから、明らかに真ん中にいられる時間が減っている。つまり薬はちゃんと効いていたということだ。改めて薬ってすごいなと感心したと同時に、やめられなくなる恐怖心も抱いた。薬が効いて生活が楽になると、やめなくてもいいのでは?と考え始めてしまうからだ。減薬している状態と増薬している状態の比較ができてしまうと、身体はどうしても楽な方へ行きたがる。減薬していく中で大変なのは、この比較対象が生まれていくことではないだろうか。

だから薬が効いている間にやっておかなければならないことがあって、それは自分だけの薬を作っておいてあげることだと私は思っている。薬は一時的な安定期間を作り出してくれているだけで、何の解決もしてくれない。いわば魔法がかかっているようなもので、シンデレラが魔法で変身している間に王子様と出会ってその後の人生が変わったように、薬が効いている間に何かしらのアクションを仕掛けなければ現実は変わらないという分かりづらい例え…。抗うつ薬を3〜4年服薬しながら、頓服薬をお守りのように持ち歩いていた頃はやはり何の解決もできず、最後はその無意味な行為に憤りを感じ、夜中の公園で残りの薬を投げ捨てていた(※良い子は真似しないでください)。

私が魔法にかかっている間にやっておいた自分だけの薬作りは功を奏して、1年前よりかは穏やかに過ごせている。自分だけの薬とは、薬に頼らなくても回復できる生活スタイルやリフレッシュ方法を身につけることで、私の場合は自然の近くで過ごしたり、身体にいいご飯を作ったり、定期的な仕事を持たずにいつでも休めるようにしたりなど、今では薬の代わりになっていることがたくさんある。医者はただ薬を処方するのみで、薬の代わりになるものを教えてはくれない。自分だけの薬は自分自身で探して、調合して、試して、時間をかけて作り上げていかなければならない。だから薬を飲むということは、自分だけの薬を作り出すための猶予期間をもらっていると私は考えている。

昨日、珈琲豆の販売をしている躁鬱人に出会った。不定期で店を開けていて、自分にとって働きやすい環境を得るために開業したのだと言う。お客さんも不定期営業を前提で来ていて、そのおかげで店主は心置きなく休める。それが店主にとっての、自分だけの薬になっているのだろう。薬の作り方は人それぞれにある。

躁鬱人の割合は100人に1人はいるとされていて、自覚していない人を想定するともっと多いのではないかと言われている。100人に1人が薬を飲まなければならない社会の仕組みになっていると思うと、自分だけがおかしいわけではないと感じてしまうのは私だけだろうか。経済を成長させるために一定のクオリティで働ける人間が必要だった時代、そうした人材を教育で量産してきた結果、その社会システムに乗っかれなかった人々は精神疾患や発達障害などの名前を付けられて、「普通」ではないとされてきた。社会はそういう仕組みになっているのを理解した上で、薬を飲んででもそのシステムに乗っかっていくのか、自分だけの薬を作っていくのかを選ぶのは自分自身だ。99人の枠の中に入るのをやめても、自分だけの薬を作りながら社会との接点を持っている人間は知らないだけでたくさんいる。だけど100分の1の確率でしか出会えないから、圧倒的に情報不足なのは否めない。だから私もこうして開示をすることで、どこかの躁鬱人の生き方のヒントになるかもしれないと思いシェアをし続けている。私が珈琲豆屋さんから元気をもらえたように、どこかの誰かのためになるかもしれないから。

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