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旅の思い出 14

旅の思い出 14

いつも、そんなに旅に出たいのか。と最近は考えている。なぜ、建築を選んだのか。一つには、映画の影響で、冒険したり旅行したりしていて、自分もしたくなっている状態がずっと続いている。思えば、中学生の頃、少ないお小遣いを使って、知らない街を彷徨っていた。例えば、隣町の住宅街とか、小田急線に乗って、新宿まで出てから、京王線に乗って、適当な街に降りてただぶらぶらする。お金がたくさんあったわけでもないから、ひた

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旅の思い出 13

旅の思い出 13

「サンマローがいいよ」

と言われたのだ。スペインを一周してきてまたバルセロナの日本人宿について歓談しているときに。フランスを回ってきた人に勧められた。後はこのnoteでも書いたシトー三姉妹もこの時にいこうと思ったのだ。もう一人の建築青年は街から遠くて断念した時いたので。一先ずはパリまで北上しそこから西に向かった。レンヌに向かった。そこから乗り継いでサンマロに向かった。モンサンミッシャエルも行ける

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旅の思い出 12

旅の思い出 12

イタリアといえばローマ。ローマは多くの映画のロケ地にもなり、かつての帝国の力を偲ばせる遺跡の宝庫だ。至る所に映画で見た街並みがそのままに残っている。美味しいお店も沢山あるけれど、観光客のための店も沢山あって、こういう時は地元の人で溢れかえっている店に行けば間違いないとよく言う。この時は何せ貧乏旅行、空腹が治ればそれでいいのでスーパーで、パンと果物、水、ハムを買うことばかりしていた。ローマの宿は少し

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旅の思い出 11

旅の思い出 11

アンコーナからヴェローナに到着した。ここはご存知の方が多いかと思いますが、ローマの遺跡が沢山ある旧市街。スカルパの建築がある町、そして、ロミオとジュリエットの舞台であります。建築青年としてはここは外せない町で、ヴェッキオ美術館や銀行のファサード、スカルパ本で見た写真の実物が目の前にあった。
宿は旧市街を囲む川を望む斜面の上にある古い建物を改装したところだった。受付で二泊すると手続きを済ませると、食

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旅の思い出 10

旅の思い出 10

思い起こせば小学生の頃まで溯るだろうか。当時小学6年生だった頃に「西田ひかるの痛快人間伝」という番組が好きで見ていた。西田ひかるさんに惹かれていたと言うのもあるがそれ以上に伝記が好きで読んできたので、毎回偉人が出てきて紹介する番組だった記憶がある。子供の頃の記憶は曖昧なものだが、ガウディの回、ロルカの回、特にスペインの偉人になぜか惹かれていました。もちろん縁もゆかりもない。その後、大学で第二言語に

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旅の思い出 9

旅の思い出 9

シトー三姉妹の修道院を巡ることに成功した。

次は南仏と言えば外せないのはカップマルタンの休暇小屋だ。

ル・コルビジェが作った最小限の小屋だ。マニアックと言えばマニアック。ここで小屋の下の海でそのまま帰らぬ人になったのだ。フランスの国鉄で言えば、モナコの隣だったはずです。カンヌもニースも通り過ぎてモナコによりも市内でカップマルタンです。駅から歩いて少し行けば小屋があります。本当に小屋です。事前に

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旅の思い出 8

旅の思い出 8

セナンクから戻り、次の日はエクス・アン・プロヴァンスの街に繰り出した。時期はクリスマスで、シンプルな電飾で家族連れが沢山歩いていた。本場のクリスマスは日本と違うなと12月24日生まれの自分は思ったのでした。

次の日はいよいよ、本番、ル・トロネ修道院に向かいます。上にウィキのリンクがあるので見てください。行き方を考えるために、駅で時刻表と地図で考えた。

このまちから、LesArcsという街に移動

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旅の思い出 7

旅の思い出 7

その日、ついにセナンク修道院に行くことになった。この時は若くて何も考えもしなかったけれど、車で旅行すればよかったということです。電車やバスの移動も駅の待ち時間とか出会いがあって面白いけれど、思い切って車にすればよかったと思います。貧乏旅行なに?と言われそうだけれど、このセナンクもそうだけど、すごい便の悪い所に見たい建築物は大体建っているもの。そこにたどり着くまでに、時間とお金を使うことになる。特に

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旅の思い出 6

旅の思い出 6

エクスアンプロヴァンスからシルヴァカンヌ修道院へはバスで近くまで行ける。バス停で色んな人に話しかけて、バスに乗る。この日は行き過ぎてしまって、終着駅についてしまう。とても小さな町で、ここどこだって感じになった。町で見かけた人に声をかけていくと、いつの間にかおばさんの家で、またお茶をご馳走になった。その人は介護士か何かのようで、一緒にお爺さんの介助をして、其の後、おばさんが来るまで送ってくれた。おば

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旅の思い出 5

旅の思い出 5

その日、イタリアのアドリア海に面したアンコーナに私はいた。今思うとなぜその町に寄ったのかわからない。アドリア海は少し荒れ模様だった。

特にみどころないよと、同室になった日本人の方と話していた。彼は当時30歳くらいだったと思う。何年か前からイタリアで暮らしていて、この町でまたイタリア語の勉強をして通訳を目指すのと言っていた。彼の下宿先に一緒に行き、帰りに地元の食堂によって食べたパスタが私が食べたイ

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旅の思い出 4

旅の思い出 4

南仏にある修道院があって、これは日本人が勝手に呼んでいる名前かもしれないが、シトー三姉妹と言われていて、コルビジェ、安藤忠雄も最も影響を受けたと言われる、ルトロネ修道院、シルヴァカンヌ修道院、そしてセナンク修道院の三つだ。三姉妹とはいえ、三か所は離れている。旅行中はここに行こうなんて思っていなかった。バルセロナで会った。同じく建築青年がルトロネに行けなかったと話していて、ならば俺は行ってやろうと思

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旅の思い出 3

旅の思い出 3

ビアリッツから一気にレンヌまで北上する。
ボルドーの手まで、コルビジェのペサック住宅地を車窓から眺めながら。今思えば、ボルドーきちんと観光しとけよと。

レンヌで一泊して、サンマロに到着。ここからモン・サン・ミシェルもバスか何かで行けるだろうとたかをくくっていた。もちろん甘かった。

サンマロ自体は、バイキングの時代からある潮の干潮を利用した城塞で、人も少なくて兵どもの夢の後と言った趣があった。メ

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旅の思い出 1

旅の思い出 1

私たち夫婦はテレビをほどんど見ない。子供たちは主にアニメと、恐竜、動物の番組を見る。そう話すと、会話に困らない?とかそれ以外にも色々言われるが、テレビの地位は高いのだと改めて思う。見なくてもそんなに困らない。テレビを見ない代わりに、YouTubeをよく見ているってこともあるんですが。家にいるときは、私の携帯は長男がずっと動画見たり、ゲームに使っています。それ仕事でも使うんですが、、、

そんな私で

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西への妄想。

西への妄想。

コロナで旅行にいけないので、妄想の中で西へ西へと進んでいく。いつのころからシルクロードが気になって仕方がなくなってきた。中学生の時にモンゴルにあこがれて、確かNHKで18時50分くらいに放送していた、蒼き狼白き雌鹿みたいな題名の5分くらいの番組を食い入るように見ていた。当時外国に行ったこともなかったけれど、親父が年間何日も海外出張で家を空けていたので、身近に感じていたし、自分も海外に行くことになる

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