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旅の思い出 5

その日、イタリアのアドリア海に面したアンコーナに私はいた。今思うとなぜその町に寄ったのかわからない。アドリア海は少し荒れ模様だった。

特にみどころないよと、同室になった日本人の方と話していた。彼は当時30歳くらいだったと思う。何年か前からイタリアで暮らしていて、この町でまたイタリア語の勉強をして通訳を目指すのと言っていた。彼の下宿先に一緒に行き、帰りに地元の食堂によって食べたパスタが私が食べたイタリア料理で一番の美味しさで、特に思い出になっている。ここ以上のパスタは今までにない。思い出補正もあるかもしれないが、衝撃的だった。

彼はイタリア語をかなり話せていたけれど、イタリア人に認めてもらえるレベルじゃないとしきりに言っていた。その食堂でも、いつまでたっても、席に案内してもらえないし、注文も取りに来てくれないと。実際、軽く差別を受けているのかもしれなかった。アメリカ人は特別扱いを受けている、英語を話せる人はいいお客だから、特別なんだとか。あれから10年以上たつが今はどうなんだろうか。差別について、されないように努力するという姿勢はいいと思うが、これの問題は、されるほうの問題ではなく、するほうの問題だから堂々としていればいい。差別してる人は病気なんだと私は思っている。

宿に戻るとイタリア青年二人が、さらに同室になった。二人はその次の日に飛行機のパイロットになる学校の試験があってここに来たそうだ。イタリアは仕事がないから嫌だと言っていた。だから使える資格を取るためにここに来たそうだ。今思えばアンコーナという町は、色々な学校のある学術都市なのかもしれない。飛行士志望の一人は、絵画の修復士になったそうなんだが、それでも仕事がないと言っていた。イタリアで絵画、建築、工芸品の修復と言えば、仕事はありそうだと当時思っていた。それでも、限りがあって新しくその職にありつくのは大変ということだった。今もそうなのかわからないが。イタリアにはイタリアなりの、事情があるのだろう。お気楽な旅行者にはそれはわからない。

次の日、朝早い時間の汽車に乗るので私は寒い中、寝坊助三人を宿に残し、ヴェローナに旅立つことにした。


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