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~私の就職活動体験記~ ある日突然岐阜県の人と繋がって

私は、小学生の時、47都道府県すべてを漢字で書かなきゃいけないテストがあった時、ほぼ毎回"岐阜県"を書けなかった。

書けたとしても、長野県と岐阜県を逆に書く子供だった。

私は岐阜県に、知り合いも親戚も友達もいなかった。

縁もなければゆかりもない。

20年間生きてきた人生で、たった2度しか行ったことがない。

それなのに、ある日突然岐阜県の人と繋がり、めっちゃ救われることになるなんて…

約1年半無職だった私がやりたかったことを思い出し、就職先が決まるまでのお話。

事の成り行き


私は、2020年に仕事を1月で辞めてから今年(2021年)の6月まで、3社目にあたる次の"転職先"を探していた。

というのも…

1 社目は、2019年の3月〜6月までとある製造会社に3ヶ月だけ勤めていたが、ブラック企業だったこともあり辞めた。(ハローワーク経由の一般求人)

2社目は、2019年の7月~2020年の1月まで、もともと夏の短期バイトだったのが雇用期間の延長で延びて、食品工場で半年間勤めていた。(これも、一般求人)

私は、発達障害(ASD/自閉症スペクトラム障害)があり、精神障害福祉手帳を持っている。

私は障害者枠での就職先を探していたが、そもそも障害者枠自体が少なくてあまりいいなと思うところもなく、さらに、コロナウイルスの流行が折り重なり、私をさらに苦しめた。

 どこに行っても合わない


2020年度

障がい者就職面接会で、銀行系と保険会社系の事務職を受けたが、ダメだった。

もう1社、ハローワーク求人で銀行系の事務職を受けたが、書類選考で落とされた。

その後、大阪障害者職業センター(職業訓練施設)に通っていて、そこから就職先を探そうみたいな感じになった。

でも、後に思うが、私にはあまり効果がなかったような気がするが…

どうやらそこは、ハローワークと提携しているみたいだけど、後の文章でハローワークが合わない理由を書こう。

センターに通っている途中で、公務員試験を受けるも、補欠合格で落とされた。

5か所目の会社は、私の住んでいる地域を管轄している、障害者就業・生活支援センター(別名/就ポツ 以下 就ポツとする)から紹介された仕事だった。

他では非公開の求人で、大手保険会社の事務職だった。

採用するかしないかが決まる実習が本当は4月頃にあったはずが、緊急事態宣言で延びてしまい、その間に他の企業にも受けさせてもらえず、ただただ待ち続け、ようやく7月に1週間実習があった。

ただ、それは採用前のもう1段階前の実習で、採用前実習は、8月末から9月初旬までの2週間あったが、いろいろあって、ダメになった。

更に、実習に行く前々からだったが、就ポツとは電話をしても5回に1回繋がるか繋がらないか状態。

メールをしても、1週間返事がこないこともあった。

こりゃあダメだと気付き、手を切る形になった。

ハローワークの障害者専門窓口に行ったが、何度行っても自分に合った求人もなく、経験者募集の求人が多かったし、なんとなくブラック企業が多い感じがして、職種も絞られるし、一般就労で働きたいのに、就労継続A型事業所(1日4〜5時間勤務の、いわゆる作業所)の求人がやたらめったら多かった。

10月にハローワーク経由で、大手製薬会社の軽作業に応募したが、ダメだった。

でも後に思うと、自宅からもかなり遠かったし、あまりやりたい仕事内容ではなかったし、なんで応募したんだろう?と我ながらに思う。

たぶん、就職することに焦っていたのだろう。

途中で私はハローワークで仕事を探すこと自体合わないし、他の媒体で探したほうがいいじゃん!ということに気づく。

自分の住んでいる町の、仕事や暮らしのサポートをしてくれるような場所に行ったが、仕事の求人・相談が一般の中・高年の男性向けのものが多く、障がい者の求人どころか、女性の利用者自体がほとんどない感じで合わなかった。

OSAKA仕事フィールドにも行ったが、障がい者向けの就労支援はやっていないし、またしてもハローワークが求人のほとんどを管轄していた。

市役所の障害福祉課にも相談したが、コロナを理由にたらい回しにされた。

若者サポートステーションという場所もあったが、障害者の求人や支援はないと言われた。

コネクションズ大阪というところにも問い合わせたが、またもや、障害者の就職や支援を見ていないと言われた。

近くの商工会議所でパソコン教室があると言われたが、通っていたことがある母言わく、まったくパソコンを触ったことがない人が行くような授業内容だよ。

あんたみたいに、学校でパソコンの勉強とかしていて、プラスアルファ何かできるようにしたいっていうような、中級者以上の人が行くような場所じゃないよと言われて却下した。

※他の地域の商工会議所は、違うかもしれません。

他の市の別の相談機関にも相談したが、その市に在中じゃないとサービスが利用できなかったりした。

そんな中で、転機が訪れた。


転機1


昨年のとある日、「若者 居場所」と検索すると、NPO法人ポポロという場所が朝日新聞オンラインに掲載されていた記事を見た。

どうやらそこは岐阜市にあり、ZOOMというビデオ会議アプリを使い、オンライン居場所を毎週金曜日の午後1時~午後3時にやっていることを知る。


記事を見て、さっそく大阪の人でも参加できるのかを聞くと、OKをもらい、オンライン居場所会に参加した。

初参加したのは、昨年(2020年)の9月18日だった。

どうやらNPO法人ポポロというところは、岐阜県だけでなく全国から相談の電話が舞い込む場所のようだ。

生きづらさを抱えた人や、発達障害のグレーゾーンの人、元不登校だった人などいろんな人が参加していた。

障害のある方は地域の福祉の観点で考えられがちだが、それをすると、利用できない人が出てくるので、障害のある人もグレーゾーンの人も、どんな人でも受け入れていると代表理事の人が言っていた。

その場所は遠すぎて1度も行ったことがないが、シングルマザーの支援・不登校の子どもや学習支援・ひきこもりの人の支援・就労準備支援など活動事業は多岐にわたる。

代表理事の方は、どうやら福祉や心理学の専門家ではなかった。

けれど、30年近い活動からか、仙人のように、福祉だけの観点だけでなくて物事をいろんな視点から客観的に見れる素晴らしいおじ様だった。

きっと、いろんな人を見てきたのだろう。

代表理事の方と時々、ZOOMでの2時間ぐらいの面談を設けてくださった。

何回かのオンライン面談で、就職をしたいけどできないという相談をした時、気付きがあった。

それは、自分の中で、やりたいことが見つからない。特にやりたいことがないということだった。

※一応、自分の心から愛する街に住むのが夢とnoteのプロフィールに書いてはいるが、今のところ見つかっていないし、ぼんやりとした目標なだけである。

私は、”ないない”の女の子


私は、何をやっても続かないし、何をやってもハマらない。

ハマったとしても、すぐに飽きてしまう。

昔、何かの選手だったとか、めっちゃこれができるという特技もなく、大きな大会などにはほとんど出たことがなかった。 

将来の夢も目標もない。

たいした趣味もない。

別に親が商売人で店をやっていて、後を継がないといけないという訳でもなかった。

代表理事の方は言った。(障害者雇用とかのことはいったん棚に上げて)今はこれと決めずにいろいろやってみたらいい。

働かなきゃとばかり考えていたら、しんどい。

「本当にやりたいこと探しをして、これって、おもしろい。これって、案外やってみたら楽しい。そういうことを探してみてはどうだい?

それをすることが、夏希さんが丁寧に生きることにも繋がると思うよ。

だからもう少し、やりたいことを見つけてからでも良くないかい!?」

と言われた。

私は、今まで障害者枠で働くことに重きを置きすぎて、自分の方向性がまったく見えていなかった。

私はそれから、いろんなことにチャレンジした。

例えば、普段は絶対に行かない場所に行ったり、紙すき体験をしたり、都会の仕事に関わらず田舎でのローカル仕事の本を借りたり…いろんなことをやってみた。

けれど、やりたいことを見つけるのに、ゼロからイチを生むきつさを感じた。

代表理事の方から、岐阜に関わらずいろんな人のいろんなところで活躍している人の話を聞いた。

例えば、発達障害の人むけに、東京でラーメン屋さんをやっている人の話、『和歌山のNPO法人 麦の里』で、面白い事業をしている人の話、ホースセラピーをやっている人の話などだ。

助け船!?


体調不良をきっかけに、心療内科兼精神科の病院に昨年(2020年)の10月から今年(2021年)の6月まで通っていて、そこのカウンセリングの先生に、どこにいっても合わない私の就職活動の状況を説明すると、就労移行支援事業所というところを勧められて、昨年の12月から今年の6月まで通い出すことになった。

※就労移行支援事業所とは 障害のある人が通う、就活の予備校のようなところで、一般企業に就職するためのサポートを受けることができるが、市役所での手続きが必要になる。

※なので途中から、NPO法人ポポロ(岐阜市の遠隔操作)と就労移行支援事業所(大阪府)とのW支援を受けながら、就職活動に挑むことになる。

転機2


代表理事の方が、農家の人をしている人の話をしていた時は、まだピンときていなかった。

けれど、NPO法人ポポロが出している”風のたより”(1か月に1回発行の、ニュースレター)の2020年12月号に、旭爪(ひのつめ)あかねさんの死去のことが書かれていた。

どうやら、2010年に、アンダンテ〜稲の旋律 の小説が映画化されたようだった。

話がすごく気になり、いろいろ探してみた。

本当は映画が見たかったけど、古すぎてなかったので、小説を自分の街の図書館にはなかったが、就職移行支援事業所先の街の図書館にはあったので、今年(2021年)の2月頃に取り寄せて読んだ。

話のあらすじが、人付き合いが苦手で、会社勤めをしてもすぐに辞めてしまい、引きこもりになってしまった女性が、農家の男性と文通を通じて交流を持ち、実際に農業などを体験したり、その男性の周りの人を通じて、引きこもり状態を緩和し、成長していく話だった。

この話を読んで、後に書く転機のこともあって、私も引きこもりがちなところもあるのだが、農業で引きこもりの人を変える力があるんだよ。あんたも、農業やってみなよ!と間接的に言われている気がとてもした。

転機3


今年(2021年)の1月30日(土)、当時通っていた就労移行支援事業所先の帰りがけ、建物の外で、通所していた2人と話が盛り上がっていた。

そこでKさんの一言が、私の心を突き動かした。

「就労移行支援事業所の支援員さんと、違う考えにはなるけれど、別にここで紹介する就職先で、就職を決めようとしなくてもいい。

ここで紹介する仕事は、第3次産業ばっかりやし、競争率もすごく高くて、入社できるかわからない。

でも自分が、第1次産業とか第2次産業の仕事に就きたかったら、別にそっちにいってもええねん!

ここで(就労移行支援事業所)自分の夢とか見つかって、それを追う人もいてるから!」

この言葉を聞いて、はっとした。ただただ、驚いた。

・ここで言う第3次産業の、障害者枠全般(障害の重さ・障害名問わず)の多くの仕事は、軽作業関連・清掃業・事務職・運搬業やその他サービス業(接客業など)がほとんどで、職種を選ぶ権利がないといえるほど、障害枠となるだけで、すごく職種が限られてしまうのが現状である。

・第1次産業とは、農業・漁業・林業のこと。

・第2次産業とは、鉱業・建設業・製造業のこと。

※障害者枠でも、第2次産業の製造業はあるものの、コロナ禍の影響で、まったく求人を見なくなった。

転機4


そして、今年(2021年)2月の最初、就労移行支援事業所の通所日に支援者の担当者変更&さっそく今いる会社のチラシのパンフレットを持ってきて、それがたまたま新しくできる農園のオープニングスタッフのチラシだった。

見ている限りでは、農業をやったことがない人でもOKで、農業初心者向けのような場所だった。

まるで、私の話の様子を神様からのぞき見されていたかのようだった。

とりあえず、会社の説明会があり、どうやら申し込み締め切りまじかで急いでいるようだったので、申し込んだ。

そして、あることに気づいた。

私は過去の取った資格にとらわれていた!?

私は商業高校に通っていたこともあり、学生時代に学校の方から資格を全員取るように言われたものもあったが、簿記・パソコン関連・秘書検定・漢検(準2級)など、様々な資格を取った。(取らされたというか・・・)

なので、就職支援機関などに相談すると支援員などの周りの人が、私が過去に取った資格を見て、よく事務職を勧めてきたり、自分でも勝手に事務職がいいかなと思ったりしていた。

でもこのチラシを見て、私はただただ過去の取った資格や過去の出来事にとらわれていただけだったんだ。

私は本当は農業に興味があって、農業をやってみたかったんだ。と遅かれながら気づいた。

そして、岐阜市のNPO法人ポポロさんの代表理事の方のおかげもある。

就活中、しんどくて視野が狭まっていた。

でもその方と、オンライン居場所会で岐阜県の方との交流もあり、良い意味で、自分の中で当たり前と思ってたことが当たり前じゃなかったり、逆に新しい発見もあり、物事を客観的に見ることができて、視野を広げることができた。

 入社までの経緯


簡単な説明にはなりますが、入社までの簡単な経緯がこちらです。
就労移行支援事業所に通いながら…

2021年

・2/9 農園 最初の説明会

※実習をはさんでからの採用で、農園自体、6月にオープンとのこと。

・3/16〜3/19 1回目の実習

・4/26〜4/30  2回目の実習

日付不明 就職前面談

・5/24 面接

・5/25  採用決定

・6/18  入社式

という流れになりました。

就労移行支援事業所の相談支援の方に言われたのですが、今までいろんな人を見てきた中で、そもそも農業関係に就職した人自体が初めて!とびっくりしていました。

今後の課題


1つ目が、同じチームの職場内で仕事を辞めた人がいてるので、新たに新しいメンバーが入ってきたものの、うまくやったいけるのか?ということ。

2つ目が、自分の身の回りに、農業をやっている人がいない。
なので、実体験をすることが難しいし、どういう暮らしをしているのかが、想像の世界で終わってしまう。

自分の家の近所は、大型商業施設やスーパーが多く建ち並んでいて、私が今行っているところは水耕栽培をする場所なので、もう少し本格的に一般的な土壌栽培での農業をやるとなった場合に、農業ができそうな場所がない。

一応、貸し農園をやっているところは近所にあるが、空いている土地がまったくないか、土地があっても利用料が高額だった。

農業という世界は、実際に体験をしないと実感することが非常に難しい。

家で野菜を育てたらいいじゃんと思う人もいるかもしれないが、うちの家は日当たりが悪すぎて、スーパーで買った豆苗やネギの切った後にもう一度再生させて育てるぐらいしか野菜が育たない。 

実際に大昔に、プチトマトとラディッシュを育てたことがあるが、日当たりが悪すぎるせいか、まったく育たなかった経験がある。

今の仕事に、もう少し本格的に農業をしたいと少しずつ物足りなさがでてきた。

農業はずっとやりたかったことだ。けれど、飽き性の私はずっと農業を一生やり続けたいことなのかはわからない。

おまけに、農業といっても、野菜・果物・ハーブ・お花・お茶など・・・世界が広すぎて、わからないことだらけ。

なので、このnoteを通して、農業をしている方々と繋がっていけたらなと思う。

まだまだ、私のやりたいこと探しは続く。


































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