将来の夢は、スターになる!
学生の頃、将来の夢はあっただろうか。
小学・中学生の時、卒業文集で必ず聞かれる項目の一つがそれだ。
マジで納得がいかないのだが、なんでそんなことを聞くのだろうと今でも思う。
ぶっちゃけ、将来の夢なんてないだろ。
オレはなかったし。
就活している今でも声高らかに言ってやろう。
将来の夢なんざあ、ないわ!!!!!!!
でも何か書かないといけないから、取り繕ってホテルマンとか言ってた。
なる気なんて、全くなかったけどな。
◇◇
中学の同級生が、その質問に対し、こんなことを書いていた。
スターになる!
その子はいわゆる不思議ちゃんな感じで、周りのみんなはこれを見てバカにしていたところがあった。
オレもぶっちゃけ、「コイツ何言ってんだ」と思っていたし。
でも今思えば、彼女が一番、世間という都合の良い枠にハマらず、自分自身を出していたんだろうなと感じる。
というのも、みんなもれなく、「将来の夢」を聞かれると職業を答えると思うのだ。
というか実際そうだった。
本当になりたい職業があった人もいただろうが、オレみたいにとりあえず書いた人もいただろう。
まぁ確かに、間違いではない。
将来っていうのは結局、社会に出て何かしらの職につくわけだから、将来の夢を職業で表すのは間違いではない。
でも、あまりにも職業に固執し過ぎている気もするし、みんなお利口さんすぎる。
だって、ただ単に「やりたいこと」を書くのでもいいじゃないか。
無理に、「将来なりたい・やりたい職業」に結びつけなくていい。
無邪気に子供らしく、今やりたいことでも全然いい。
ゲームがしてえ、サッカーしてえ、飯食いてえ、お金持ちになりてえ、有名人になりてえ、あの場所行きてえ、女の子とデートしてえ…。
れっきとした、「将来の夢」ではないか。
でもこの「将来の夢」という言葉もよくないかもしれない。
これ聞くと壮大な感じがしてしまう。
なにかキレイなことを言わなければいけないのかとも思ってしまう。
そりゃ、当たり障りもなく、職業を書いてしまうかもしれないなぁ。
でもそういう意味でも、「スターになる!」という彼女の答えは、とにかく無邪気に、本心で答えていたんだろうと感じる。
彼女は、みんなに足りなかった無邪気さを、教えてくれた、そんな気がした今日この頃である。
サポートしてくれる神がいるとかなんとか…。