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「高校球児の丸刈り」についての考察〔フォーカス【現象の考察】20〕
僕の結論を先に言うと、
「『好み』だよな、んなもん」である。
“選手自身"および"子供を自分好みの姿にして悦に入りたい大人たち"の。
それ以上でもそれ以下でもない。
ノンフィクション作家の中村計氏(自身も中高時代野球部で、"好んで"丸刈りにしていた)は、機会あるごとに高校野球の指導者に「なぜ丸刈りなのか」と尋ねた。しかし、合理的な回答を得られたことは一度もないという。
実際、今年の甲子園
「平和」-かく呼ばれし"人造幸運"〔フォーカス【現象の考察】8-2〕
1945年8月6日8時15分、"かの広島"にて。
爆心地より500m以内にいながらも、生存した人が78人いる。
そのうちの一人は、たまたま地下倉庫にいたおかげで熱線や爆風による直撃を免れたそうだ。
彼ら彼女らの「なにが」生死を分けたのだろうか。
「目標達成のために人一倍の努力していた」からだろうか?
「誰かのために誠心誠意真心込めて働いていた」からだろうか。
「類まれなる才覚よって、多額の
「勉強指導者」が絶対にすべきこと〔フォーカス【現象の考察】19-1〕
およそ高校卒業ないし大学受験"以前"の子供に、勉強を指導すべき立場にある者を、便宜上「勉強指導者」と呼ぶことにする。
具体的には、学校の教師、塾講師、そして親がこれにあたる。
「教育者」ではなく、「勉強指導者」という言葉を使ったのは、勉強の指導だけが教育ではないことに鑑みてのこと。その上で、本稿では「勉強の指導」のみにフォーカスしたロジックを展開する。
その「勉強指導者」が絶対にすべきこと。
「聴く力」の本質〔フォーカス【現象の考察】18〕
「聴く力」は、「心の力」。
自分を不愉快にする話に対し、グッと堪える「精神力」。
自分の正しさを相対化できる「精神力」である。
例えば、
「あなた、そこまで"正しくない"ですよ」
「価値判断のつもりですか?"好み"ですよ」
「あなたの都合など、"知ったことではありません"」
「それって、あなたの"感想"ですよね」
といった「自分の"正しさ"と相容れない話」や「自分に都合の悪い話」。
こ
「教師ガチャ」大ハズレエピソード〔フォーカス【現象の考察】7 Ver.2〕
とある小学校に非常に優秀な児童がいた。
成績優秀、スポーツ万能で、成績表は常にオール5。友人たちからの人望も厚く、将来を嘱望されていた。
あるとき、担任の先生が、なにを思ったのかその児童の成績表を「オール1」にした。
意図的に。
そして、あまりの出来事に、訳もわからずショックに打ちひしがれる児童に対して、
「ショックでしょう?そのショックが大事なの。なにが悪かったのかよく考えなさい」。
リスニング・パラドックス〔フォーカス【現象の考察】17〕
「人の話は聞くべきだ」と宣う者ほど、あまり他人の話を聞いていない。
一方で、
「人の話は聞かなくてもいい」と主張する人ほど、意外と他人の話に耳を傾けている。
かかるパラドックスの核心は一つ。
いずれも「人の話」の「人」に、自分自身を据え置いていること。
前者は「"自分という人"の話をお前は聞くべきだ」ということ。
その根底には「驕り」がある。
つまり、「自分は優れるゆえに、聞くに値す
子供と大人の境界線〔フォーカス【現象の考察】6 Ver.2〕
子供と大人の境界線はなにか。
18歳になり、成人すること?
親となり、子供を育てること?
生業をもち、一定の成果を出すこと?
「否」。
そのような人で「この人子供だ…」「子供っぽい」と言われる人はいる。子供と大人の境目は、外形的なものではないだろう。
ではなにか。
どれだけ「自分は"正しい"とは限らない」と思えるか、だと考える。
「自分を"絶対視"しないマインド」を備えている、と言
「平和」-当たり前だけど、当たり前じゃないこと〔フォーカス【現象の考察】8-1 Ver.2〕
初夏のとある大学キャンパスにて。
グラウンドでは、学生たちが楽しそうにサッカーをし、少し離れたラウンジでは、別の学生が友人と笑顔で会話を楽しんでいた。
春の陽気な日差しの中、所々に響き渡る笑い声。
「あー、なんか平和だなー」
僕はなんとなくこう思った直後、ふと気がついた。
「ああ、なるほど。これが『平和』なんだな。」
ーと。
目の前に広がるすべての光景。
これが「平和」そのものだと
「良い体育会系」vs「悪い体育会系」〔フォーカス【現象の考察】16〕
日本にあまた存在する「体育会系」は、大きく分けて二種類。
「良い体育会系」と「悪い体育会系」。
違いは明白。
体育会系は「会」、すなわち「人の集まり」。
「特定の目的」を、みんなで協力して成すために集まった人たち、である。
部活・スポーツチームなら「大会での優勝」
企業なら「顧客満足・利益」
パフォーマンス集団なら「ファンを楽しませる」
警察なら「治安維持」
軍隊なら「敵軍への勝
「皆さん、どうか"棄権“はしないでください」〔フォーカス【現象の考察15〕
小学校6年生の時、当時担任の先生は僕らに向かってこう言った。
「なぜ、投票に行くべきか」もあわせて説明したと思うが、当時の僕には難しくて頭に入っていかなかった。
けど、その真剣な眼差しと語り口は、「大人になったらぜひ選挙に行って欲しい」という心の底からの想いをしっかり感じさせた。「"棄権"はダメ」というマインドは、いつの間にか僕の心に浸透していた。
なお、「なぜ、投票に行くべきか」の部分は、
拾得者ガチャ〔フォーカス【現象の考察】14〕
ある日、仕事で向かった駅の待合室で電車を待っていたときのこと。
ふと脇を見ると、ベンチの上にスマホが一台ぽつんと置いてあり、その奥に50代くらいの女性が座っていた。
カバーが女性物だったので、「この人の物かな」とは思ったものの、距離があったので落とし物の可能性の方が高い。
一応確認のため、「すいません、これ違いますか?」と聞くと案の定
「え?あ、いえ違います」と言いながら、鞄の中を
"Education"vs"Judgement"〔フォーカス【現象の考察】2 Ver.2〕
とある、某大学受験予備校講師の話。その講師はよく講義の途中で雑談をして、生徒たちをクールダウンさせることがあった。
ある日のこと。その講師はいつもの雑談で、教え子たちを自分のマンションに招待したときのエピソードを取り上げた。
曰く、一人の男子生徒がエレベーターの43階を通りすぎた辺りで「これが僕の偏差値です」といったという。
こう話した後、この講師は「センスがないやつはダメだね」と嘲笑った。
かがみの言葉か、つるぎの言葉か〔フォーカス【現象の考察】10 Ver.2〕
正しい言葉は「かがみ」で「つるぎ」。
自分に向ければ「己を律する自戒の鏡」となり、他者に向ければ「他を判ずる断罪の剣」となる。
例えば、「人は謙虚であれ」という"正しい言葉"。
「"自分"は謙虚であれ」とするならば、「今自分は謙虚だろうか」と己を顧みる鏡となる。
しかし、「"この者"は謙虚であれ」とするならば、"否"とみるとき「謙虚じゃないからお前は駄目だ」と他者を裁く剣となる。
もし、
「体罰」について一考〔フォーカス【現象の考察】13-1〕
まず、そもそも体罰は「犯罪」である。
「体罰」と同じ行動を、そこら辺を歩いている無関係の人間にやれば即逮捕。
やった人物には、刑事罰が科せられ、損害賠償を請求され、社会的信用が失墜するといった結果がもたらされる。
れっきとした「反社会的行為」である。
それは、相手が「未熟で指導すべき子供」であっても同じことだ。
「しつけ」「愛の鞭」といった"戯言"を宣っただけで免責になる理屈はない。日本