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日本の国家安全保障90年代

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2022年10月の記事一覧

日本の国家安全保障90年代 75

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

鴨武彦・東京大学法学部教授の主張

TBS『報道特集』



日米防衛協力のための指針(ガイドライン)法案

について

日本とアメリカによるダブル・ヘゲモニーになる

と反対していた

鴨武彦・東京大学法学部教授。

鴨武彦・東京大学法学部教授は

  雑誌「Rо

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日本の国家安全保障90年代 74

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

ノーベル文学賞作家・大江健三郎氏の主張

 1995年(平成7年)4月のワシントンでの講演で、

「米国の民主主義を愛する人たちが作った憲法なのだからあくまで擁護すべきだ。

 軍隊(自衛隊)についても、

 前文にある『平和を愛する諸国民の公正に信頼して』とあるよう

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日本の国家安全保障90年代 73

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

功刀達朗・国際基督教大学教授の主張

国連を信奉し、地球市民という言葉が好きで、国際NGOに期待する

功刀達朗・国際基督教大学教授。

 1993年12月21日の読売新聞「論点」において、

「国際協力省を望む」と題し、

「国連の平和と安全保障機能への協力を自衛隊

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日本の国家安全保障90年代 72

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代

山口二郎・北海道大学法学部教授(当時、現・法政大学教授)の主張

 民主党や社民党の左派政党ブレーン、田中真紀子氏など左派政治家のブレーンをつとめる

山口二郎・北海道大学法学部教授



1995年(平成7年)4月号の雑誌「Ronza」において、

「軍備というの

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日本の国家安全保障90年代 71

日本の国家安全保障90年代 71

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

日本経済新聞 1990年代

1994年3月19日の社説「防衛問題懇談会に提示したい視点」

では、

「周辺諸国に脅威を与えないような自衛隊になるよう議論を深めてほしい」



外国を異様に意識し日本の防衛の弱体化を訴えている。

「基盤的防衛力構想は、表現は別としても、堅持されるべきだろう」



従来型思考の防

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日本の国家安全保障90年代 70

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

毎日新聞 1990年代

 毎日新聞は毎年、防衛白書や12月の予算策定時にそれを批判する内容の社説を掲載する傾向にある。

防衛白書については、まず前提としている国際情勢の認識に刃が向けられる。

「ソ連の崩壊によって、大規模進行の危機は去った」

との記述であるが、

毎日新聞の場合、ソ連が存在した時代から、緊迫情勢を

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日本の国家安全保障90年代 69

日本の国家安全保障90年代 69

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

読売新聞と朝日新聞 1997年/1998年/1999年

読売新聞 1997年

 1996年12月に発生したペルー・日本大使公邸占拠・人質事件について、

1997年2月3日の社説で、

テロリストの要求に屈しないペルー政府を支持し、

1997年2月19日の社説では、

日本のテロ対策が不十分であると指摘している。

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日本の国家安全保障90年代 68

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

読売新聞と朝日新聞 1996年

読売新聞における論議 1996年

 1996年2月3日の社説、「沖縄の『反基地』に揺れる日米安保」

では、

アメリカ軍用地に占める割合がわずか0,2%に過ぎない1坪共有地主のために、

冷戦後も緊迫感を増す情勢の中、

日本の防衛に不可欠な日米同盟を揺るがしてはならない

と、主張

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日本の国家安全保障90年代 67

日本の国家安全保障90年代 67

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

読売新聞と朝日新聞 1995年

読売新聞における論議 1995年

 1995年(平成7年)2月24日の社説「有事立法論議をタブー視するな」

では、

阪神大震災で「有事法制」なき国の悲劇が露呈されたが、

この原因となった社会党、左翼マスコミの「自衛隊違憲論」を批判、

シビリアン・コントロールの維持の必要性からも

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日本の国家安全保障90年代 66

日本の国家安全保障90年代 66

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代

読売新聞と朝日新聞 1994年

読売新聞における論議 1994年

 1994年(平成6年)1月1日の社説

「自由主義・国際主義・人間主義 平和で活力ある21世紀に向けて」

では、

軍事紛争の発生が避けられないことであり、

国連だけでは対処不可能でアメリカ軍の関与が必要になる、

と主張している。

日本はこう

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日本の国家安全保障90年代 65

#多様性を考える

国家安全保障 マス・メディアにおける論議

第1章 マス・メディアにおける論議 1990年代

世帯普及率 1997年

山陽の広島県での世帯普及率は、

中国新聞が59,6%、

読売新聞が14,7%、

朝日新聞が12,7%、

日本経済新聞が5,5%、

毎日新聞が4,6%、

産経新聞が1,8%

となっている。

広島県も典型的な地方型の展開である。

山陰の鳥取県で

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