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生理の時は血がたぎる~ホルモン最強説~

「生理ってさ、二日目だけ辛いんでしょ?あとは、お腹が痛くなるんだよね。」

 
それを言われた時、私は心底ビックリした。
その発言をした人が50歳近いバツイチの方で、約10人の女性と付き合っていたからだ。

女性と付き合っていたり、結婚している男性は
比較的生理について詳しいと思っていたが
やはり個人差があるのだろう。

分かち合えない溝がある。
性差はどうして分かち合えないし、理解しきれないし
それが普通だし
女性同士だって全く同じ状態の人なんかいないのだから
分かりきれない部分はある。

 
それでも私はショックだった。
多分それを言われたのが生理中だったからというのもあるだろう。

 
私だって男性の体のことは分かっていないことがあるのに
私という女は、大概勝手だ。
勝手に期待して、勝手に傷ついたのだ。

一人でこっそり。

 

 

 

 
私は3500g以上で生まれた。

順調に育ち、幼稚園では女子の中で一番背が高かった。
卒園して小学校に入学した頃は私より身長が高い子もいたのに
私はニョキニョキ身長が伸びて
三年生の頃には身長が一番後ろになった。

 
私は目立つことが嫌いだった。
ひっそりと生きていたかった。
だから身長が高いことが嫌だった。
頭一つ飛び出ているのは目立つし
可愛げがない気がした。

仲良くなる子は小柄で可愛くて明るい子ばかりだ。
私は彼女らのようになりたかった。

 
 
そんな中、母親から生理について話を聞いた。

「発育がいい子は早く生理が来るから」と。
背が高いことを発育がいいと表現することを
小学校三年生で知った。

 
 
やがて陰毛が生えて、体つきは自分の意思とは関係なく大人に向かっていき
私は小学生で生理になった。
クラスで一番早かった。
駆け足はクラスで一番遅いのに
生理は一番早いなんて残酷だ。

私は姉よりも早く生理が始まったのだ。
背が低い姉が羨ましかった。

 
保健体育の授業の前に母親からちゃんと生理の話を聞いていたのに
実際にそれを見た時、私は異変には気づいたけど
ハッキリと生理だとは認識できなかった。
お腹も変な痛みで
学校から帰っておばあちゃんに話した時に
怖くて泣いてしまった記憶がある。

「これが生理だよ。」

と、おばあちゃんが教えてくれて、少しだけホッとした。

 
 
よくありがちな、夕飯はお赤飯でお祝いはなかった。
お赤飯なんていらなかった。
私からしたら、ちっともめでたくない。
多分母親から父親に生理の話はされたのだろうが
自分が生理ということは恥ずかしくて
みんなに知られたくないことだった。

父親には尚更知られたくなかった。
父が男性だから意識していたのだろう。

 
 
小学生の頃は誰にも言えなかった。

隠れキリシタンではないが、隠れ生理デビューだった。
ある日、衣服に血がついていてクラスメートにバレた時
私は恥ずかしさから逃げ出したくなって泣いてしまった。

 
男子からからかわれたりはしなかったけど
クラスメートから興味本位で根掘り葉掘り聞かれることが嫌だった。

 
みんなより早くデビューしたブラジャーも嫌だった。
私ばかり、みんなより先に行ってしまうのが嫌で嫌でたまらなかった。

 
 
そんな風に、小学生の頃はイヤイヤ期だったが
中学生になった私はドーンと構えられるようになった。

恥じらいまくっていた小学生の私はどこにいったのだろうか。
中学生デビューした私は明るくなり
「隠すからいやらしいのだ!」を座右の銘にし
男女みんなで猥談をしていた。
むしろ、積極的に性について知りたがっていた。
痴的好奇心いっぱいだ。
人は何らかのきっかけで180度変わるのだ。

 
中学生の私は余裕があった。
生理歴●年だし、周りの子もみんな生理になり
みんなと生理のことを分かち合えた。
ブラジャーも私だけではない。

みんなと一緒。

それが嬉しかった。

 
男子は男子で声変わりしたり、毛深くなり
男子は男子で変化があって大変だなぁと思えていた。
大変なのは女子だけではないと
男子から色々話を聞いたり、様子を見て
私は着々と学んでいた。

自分だけ体の変化に戸惑っているわけではない、と。

 
 
 
高校の頃、私は生理のことを●●と名前をつけた。
通称である。
みんなの前で生理とは言いにくいから

「今、●●でさ~。」

と言ったりしていた。
友達との間にしか伝わらない名称だ。

 
●●とは、魔女の名前である。
私は生理痛のお腹の痛みは、魔女がイヒヒと笑いながら、グツグツ煮だった鍋をかき混ぜているようなイメージだった。
かき混ぜられるから痛むような感じだ。

生理痛のお腹の痛みは
下痢やお腹の冷えとは全く違う。
生理痛の生理痛による生理痛のための腹痛だ。

この独特な痛みに、私はじっと耐えた。
私は生理二日目よりも三日目の方が重いタイプだった。

 
余談だが
別の友達は「月の使者がやってきた。」と表現した。
なるほど、物は言いようである。

 
 
 
女子高生の頃、5人以上でプールや海に行こうとしたり
泊まりに行くと
必ず誰かが生理で、かわいそうな状態だった。

 
 
みんながキャッキャとプールや海や温泉に入る時
誰かしらは部屋で待機していたり、遠くに一人でいた。
さすがに五人以上集まって、全員生理じゃない休日を選ぶのは難しい。
これが小学生と中学生以上の女子の差というか
違いだと思う。

 
 
私はたまたまラッキーで、修学旅行や友達とのこういった遊びの際には生理にぶつからなかった。
だから、修学旅行の時に生理の子が他の子とズラしてお風呂に入る際
生理グループで動いたことはなかった。

 
確か中学生の頃、林間学校か修学旅行は生理にぶつかりそうだったので
私は初めてピルを飲んだ。
小学校六年生の頃、水泳記録大会の時に生理になってリレー選手に選ばれたが、出られなかったのだ。
それを教訓とし、看護師の親戚に相談をし
私はピルの存在を知った。

ピルというと避妊薬のイメージがあったが
私は中学生の頃に、生理の日にちをずらせることを知った。
魔法の薬のように感じた。

 
 
 
若い頃は生理は不順になりがちだと聞いていたが、私は予定通りにピタッときた。
生理の几帳面さは実にA型っぽい。
人生でただ一度だけ、一月生理が来なかったことがあるが
他は予定通りに毎月来ている。
むしろその月はどうしたんだい?と本気で問いたい。

 

 
私は20代で彼氏ができたのだが、彼氏ができてから気づいたことがある。
彼氏ができたての頃は

生理の周期が伸びるのである。

予定より2、3日くらいズレる。
ホルモンバランスが崩れるからだろうか。
更に、下腹部の痛みがやや重くなる。

 
だから私はいつも彼氏ができたての頃は警戒していた。
心や関係に変化が出てきたように
生理にも影響は出るのだから。 

 
また、生理が遅れるとどうしても「妊娠したのではないか?」という不安もよぎる。
避妊していても、避妊は必ずしも100パーセントではない。

 
生理は嫌いだ。生理がない日は快適だ。
だが、たかが一日生理が遅れるだけでもヒヤヒヤする。
彼氏がいる時は特に、怖くて不安でたまらなくなる。

生理が始まった時、憂鬱と共に無事に来たことに安堵する。
生理は嫌いだが、「来てよかった。」と必ず思う。

 
 
 
 
20代になってから、生理は重くなった。

生理前になると訳も分からず、些細なことでカッとなり
肌が荒れた。お腹も痛むようになった。
生理ならではの鈍痛だ。 

 
生理前日になると性欲が急激に強くなり
生理が始まると便通がよりよくなる。
また、眠い、ダルい、体が熱い、頭痛、腹痛、貧血、ムレることから肌の痒み等が出る。
特に腹痛がひどい。
そのため一回の生理につき、薬を一錠(二日目か三日目)飲むようになった。
ロキソニンである。
更に情緒不安定になった。一回の生理につき、一日だけ、ものすごく悲しくなりやすく、泣きやすくなるのだ。
些細なことで落ち込んでしまう。 

また、食の好みが変わる。
貧血だからか、肉を欲するようにもなるし、食欲は増す。 

 
更に、時折不正出血もあった。
生理中ではない時に出る血のことである。
産婦人科に行くほどではなかったが
忘れた頃にやってくる不正出血に私はいつもビックリした。

不正出血の時に腹痛や違和感は伴わないからだ。

 
 
彼氏がいない時は周りに当たったりはしなかったが
彼氏ができてから
生理痛のアップダウンは彼氏に直撃した。

遠恋のため毎日電話していた為
生理前はつい口調が強くなったし
生理中はシクシク泣いてしまった。

 
まだ幼かった私と彼は
生理による感情のアップダウンを理解しておらず
上手くコントロールできなかった。
私は彼氏にありのままを受け入れて欲しいと願ってしまった。
そんなこと重荷でしかないのに
生理中もいつもと変わらない距離で彼氏と関わってしまった。

初彼と別れる前、私は彼に強く感情をぶつけて
それが別れる最後のきっかけになったが
後から思うとそれは、生理が始まる前のイライラだった。

 
 
二番目の彼氏の時、私は距離を置くことを学び、生理がひどい時はあまり関わらないようにした。
だが、「生理だから会えないの?愛情が薄い。」と悲しまれてしまった。
なかなかに、生理の時の恋愛は難しい。

「生理だろうとなんだろうと、私はいつでも彼氏に会いたいわ。」と知人に言われた私は
悩んでしまった。
私は愛情表現が下手なのかなぁとか、愛情が薄いのかなぁ、等だ。

 
だが、生理中はダメなのだ。
どうにも私は彼氏と家族に当たってしまう。
友達相手はそうでもないのに
彼氏と家族に対しては感情的になってしまった。

 
 
20代前半の頃、友達を遊びに誘った時に「私は生理痛重いし、その日は生理だから会わない。」と言われた際

「私は生理中でも薬飲めば大丈夫だがなぁ。トイレあまり行けないプランや激しく動くのはさすがに無理だが。」

と内心思っていたが
私は友人の言葉の意味をその5年後に思い知ることになる。

 
 
 
アラサーになり、私の生理痛は更にパワーアップした。

まず、生理前に腹痛が起きる回数や日数時間が増えたし
生理中の腹痛の痛みがえげつなかった。
それはある日、仕事中にいきなりやってきた。

!?
いだだだだだだだだだ……!!

 
私は急に襲われた腹痛で、立ち上がれなくなった。
まるで直下型地震のように、一気に襲ってくるのである。
涙目で「痛い…痛い……。」と声が出てしまう。
私は直ちにロキソニンを飲んだが
薬が効くまで激しい痛みは止まらない。

 
仕事中もまずいが、運転中、寝ている時も容赦なく襲ってきた。
もうどうしようもない。
仕方ないので、痛くなる前から飲む時もある。
小学生~大学までは薬いらずだったのに
20代で一回一錠
それがアラサーになったらひどい時は一日二錠を2日、一錠飲む日が生理前や生理中も何日かあるレベルになった。

 
痛みで夜中や朝早く目覚めるのは最悪だ。
生理中、寝不足もいつしかセットになった。

 
 
 
ガールズトーク中、生理の話になった。

友達A「私はピル飲んでるよ。ピル飲んだら楽だよ~。」

 
避妊薬のイメージが強いピルは、生理の日にち調整だけでなく、生理痛の軽減さえする。
万能じゃないか。

だが、ピルは産婦人科ではないと処方されない。
産婦人科は敷居が高いし、混むし、うちの近所にないし
私のように週6勤務者には厳しかった。
ピルに関しては、うっかり飲み忘れはきかない。
一度飲み出したら必ず毎日飲まなきゃいけないのがネックである。

 
 
友達B「私はロキソニンきかないんだ。イブも市販薬は何もかも効かない。産婦人科の薬も全滅。だから痛みが過ぎ去るまで耐えるだけ。」

 
………悲惨である。
彼女は結婚して仕事もしている。
彼女は笑顔で働き、家事をしている裏で痛みに耐えているのだろう。

 
友達C「私は生理痛重くないんだよね。」

  
友達D「私は段々生理痛軽くなっていった。」

 
友達E「私は逆に年々生理痛が重くなっていった。」

 
 
生理痛は本当に色々である。
私はそれをしみじみ感じる。

笑顔で働く大人の女性を見るたびに思う。
生理痛がひどくても、気丈に振る舞っているだけかもしれない、と。

 
 
 
 
私は社会人になり、障害者福祉施設で働き出した。

 
軽度の利用者は生理時に声かけ&見守り
重度の利用者は生理時に一部及び全介助

の傾向が見られた。

 
たまたまかもしれないが
軽度の利用者はナプキンを何時間も取り替えたがらず
重度の利用者はナプキンを小まめに取り替えたがる傾向が見られた。

 
生理前や生理中の情緒不安定さは、利用者にも見られた。
生理痛が軽い利用者もいた。

 
利用者は一人一人ナプキンが異なり
またナプキンの種類や取り替える頻度などは
保護者の方にこだわりが見られた。

 
余談だが
オムツパットを排尿時に使用する人もいるが
生理時に使う方もいる。

支援的には、車椅子の方や最重度の方は
夜型ナプキンよりもパットの方が安定感があり
ズレにくいと個人的には思う。

 
私含め健常者もそうだが
みんな、「私はこのナプキンがいい!」とお気に入りのナプキンがあるし
取り替え時も個人差がある。
例えばナプキンが足りない時に誰かにナプキンを借りたりするが
いつもと違うナプキンは落ち着かない。

 
他の職員が支援時に気になり、良かれと思ってナプキン等生理にまつわることを保護者にやんわり伝えたら
苦情案件に発展したケースが二回あった。

私はその話を聞いてから
保護者には要望は決して伝えなかった。
生理に関しては
みんな譲れないこだわりがあり、デリケートな問題なのだろう。

 
利用者が「私、生理次はいつですか?」と尋ねるので、「次は…七夕くらいだね。」と伝えたりした。
その利用者はカレンダーが読めなかった。

「女の子は大変ですね。」と利用者が言い
「女の子は大変なんだよね。」と私が返す。

 
「ともかさんも生理になるんですよね?」と利用者が言い
「大人の女性はみんななるんだよ。大人の証拠なの。生理が来るのは健康だからなんだよ。」と私は返した。

 
お腹をさすったり、頓服薬を飲ませたり、情緒不安定な利用者を抱きしめた。
生理中は利用者や職員関係なく
生理同盟のような感じがした。

 
生理はうつると言うが
利用者はよくたて続けに生理になったし
実は生理支援をしている私の方も生理ということは
多々あった。

 
 
私は昔ボランティアの時に一人だけ、最重度の為、手術をして生理をなくしてしまった利用者の方に会ったことがある。

生理は出産の為にあると考え
要支援であることを考えると
確かに生理はない方がよいかもしれない。

ただ、ベストとは思えない。
親が障害者の子の意思に関係なく手術をしていいのかどうかは
昔から問題とされている。
ただし、問題視する方がその子のトイレ支援をやるわけでさない。
基本的に介護は家族負担が大きい。

なかなかに考えさせられたケースであった。

 
 
出産の為だけに生理があるわけではない。
生理がなくなると、ホルモンバランスは崩れてしまう。
ホルモンは厄介だ。
一生でティースプーン一杯分の量しかないくせに
私達の心身をどうしようもなく脅かす。
私はいつしか、一番強いのはホルモンじゃないかと考えるようになった。

 
結局私達は生理と共存するしかないのだ。

女として生まれた以上
病気ではない以上

ホルモンと折り合いをつけていくしかない。

 
 
 
 
 

 
2020年春に仕事を辞め、異変が起きたのは5月だった。

私は生理痛が悪化し、一回の生理でロキソニンを一箱消費するほどの身体の痛みに襲われた。
だが、それだけではない。

 
今すぐ死にたい。
今すぐ車の前に飛び出したい。

 
私は生理中にその衝動に突如襲われるようになった。
毎月生理の時、家で一人きりの時だ。
生理の前半にその衝動に襲われ、一回そのモードになると、数時間は止まらない。

 
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。

 
頭の中は焦燥感ではなく、激しく怒り狂う悪魔のような存在が叫び続け
「やだ!やだ!やめて!やめて!」と私は泣き叫ぶように布団にくるまったり
自分の体を叩いて気を鎮めようとする。

 
今まではこんなことはなかった。
些細なことで情緒不安定になったり、過去の嫌な記憶がリバースするように襲ってきて
涙が止まらないことはあったが
特に意味はなく理由なく、死にたい衝動はなかった。

 
 
 
ところが、私にこの症状が現れだした時
親友も生理中に同じ状態になった。
 
「今すぐマンションから飛び降りたい。死にたい。」

……こんなことは、親友も今までなかった。
私と親友はほぼ同じ時期に
生理中に死にたい衝動に襲われるようになった。

 
 
お互いに、周りには言えなかった。

私も親友に、「最近生理の時に毎回死にたい衝動に急に襲われる。」と事後報告では言えたが
その衝動に襲われている時は誰にも言えなかった。
数時間だけ耐えればいいだけなのだ。

 
 
逆に、親友は私に連絡をするタイプだった。

私は今無職だから可能な限り電話をしたり、LINEをして話を聞いたが
私も常に連絡ができるわけではない。
コロナにより、他県の親友の元に行けない。
そもそも、今はかなり遠く離れて暮らしている。

 
 
年のせいか。
生理のせいか。
ホルモンのせいか。
コロナのせいか。
自粛のせいか。
ストレスのせいか。

 
それは分からない。

 
 
ただ、私は生理中重い時はよほどではない限り、外に出るのをやめた。
あの衝動に襲われた瞬間、意思とは関係なく
引きずり込まれそうで怖い。

 
悲しいことに5月から毎月
私も親友も生理の時は死にたい衝動が止まらないのだ。
生理はもはや戦いになった。

 
 
 
この前、母親に初めて私はそれを伝えた。

「そんな時は抱きしめてやるから言いなさい。」と真顔で言われたが
嬉しかったのだが
一人きりの時にいつも悪魔が内部から叫ぶのだ。

 
死にたい衝動の時はいつも一人だ。

 
 
「生理の時って血が騒ぐんだよね。イライラしたり、悲しくなったり。パートナーとケンカしたり、犯罪犯したりするのも、ホルモンバランスが崩れたせい……って、きっとよくあるわよね。」

と、母は言い
私は頷く。

 
 
これは私の推測だけど、自殺している女性の一部は
ホルモンバランスが崩れたからかもしれない。
死ぬ理由があったのではなく
死にたい衝動に襲われて
おさえきれなかったのではないかな、と。

 
ホルモンは最強だ。
努力云々ではなく、逆らうことは容易ではないのだ。

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