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徒然日記

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日記てもあり、エッセイでもあり、コラムでもあり、評論でもあります。
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#政治

娯楽の犠牲の上に成り立つ娯楽

娯楽の犠牲の上に成り立つ娯楽

緊急事態宣言も3度目。
ここまで来ると流石にうんざりするというか、最近の諸々もあって協力するマインドには正直なれない。
国民にお願いしておきながら送別会をしてしまう国家公務員や政治家、ワクチンを廃棄するという信じかたい自治体の所業など、こういったことが協力マインドを奪っている。

その最たる例に挙げられるのが、オリンピックだろう。
今回の緊急事態宣言の時期を見ると、やはりというべきか、オリンピック

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等しく無視することも平等なのかもしれない

等しく無視することも平等なのかもしれない

政治家の給料は税金だし、国の政策も税金で行われる。
早い話、我々みんなが支払ったお金だ。
そう考えると特定の誰かを優遇することやそのまた逆は、お金に対して不公平になる。

よく左派政治家がいう「弱者のための政治」は、個人的には全く平等ではないと思う。
おそらく、誰しもに与えられた票の下でそういう政治家が当選しにくいのは、声を聞く対象やお金の使い方が平等ではないからなのかもしれない。

だとすると「

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生きる意味を失った者たち

生きる意味を失った者たち

ヴィクトール・フランクルという医師によって書かれた「夜の霧」という本がある。
この本は、自身のユダヤ人強制収容の体験と“人生の意味”について述べられた本で、これまでにも何回か改訂版が出版されている名著である。

この本の中で特に印象に残ったのが、
「強制収容から戻ってきた者の中には、生きる意味や人生の意味を喪失してしまい、収容所に戻りたがる者もいる」
といったフレーズである。
つまり、収容所内で「

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自分が支払った金がちゃんと使われているかどうかをジャッジするのが選挙

自分が支払った金がちゃんと使われているかどうかをジャッジするのが選挙

ふと、「弱者を救うという政治は本当に民主主義なのか」という考えが巡った。
弱者を救うことは確かに大事なのだが、政治でそれをやろうとした場合お金の出所は住民や有権者であるから、なんだか矛盾しているような気がしたのだ。
都知事選が近づくにつれて、普段思いもしないようなことに考えを巡らせ、モヤモヤする。

つまるところ、選挙は自分が支払った金の使い方をジャッジする機会なのだと思う。
どこかに住う以上、自

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無学という罪

今日から就活が本格的に開始らしい。
もうそんな時期なのかと戸惑う反面、今の就活って解禁が遅いんだなーとも思う。
自分の時は、年も明け切らない12月1日だった。

就活と切っても切れないのが「学歴」であろう。
「どの大学に在学しているか」というのは、企業にとって大きな判断材料になる。
だからこそ、この大学以上はOKとかこの大学の学生ばかり採用するとか、そういう“フィルター”をかけやすい。

一方で試

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