無学という罪

今日から就活が本格的に開始らしい。
もうそんな時期なのかと戸惑う反面、今の就活って解禁が遅いんだなーとも思う。
自分の時は、年も明け切らない12月1日だった。

就活と切っても切れないのが「学歴」であろう。
「どの大学に在学しているか」というのは、企業にとって大きな判断材料になる。
だからこそ、この大学以上はOKとかこの大学の学生ばかり採用するとか、そういう“フィルター”をかけやすい。

一方で試験や面接を受ける側は、そんな所属よりも中身を見てほしいと思ってしまう。
だからこそ、「リーダーシップ」「ボランティア」「インターンシップ」という横文字を武器に、そのフィルターに挑むのかもしれない。


学歴は、「大学と学力をイコールで結びつける変えようのない事実」かもしれないが、
自分は少し異なっていて、「その大学に入ることができるだけの、勉強に対する抵抗のなさ」だと思っている。
ある意味で、「これからも勉強してくれるだろう」という期待値なのである。

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組織というのは、常に変わっていかなければいけない。
そのためには、世の中の動向に対して深い知識・知見がないといけない。
逆にいえば、新しいことを学ばないと、その動向についていけずに滅びることになる。
残念ながら経営者が無学であったために、組織が滅んだ例はたくさんある。
(ある意味、伝統も無学と表裏一体かもしれない)

経営者に学ぶ姿勢があれば、組織は潮流に上手く乗って、生き残ることができる。
それは、常に学ぶ者をトップにしなければ、組織は滅びるということでもある。
そう考えると、組織が設けている学歴フィルターは、組織の生存戦略と言える。


しかしながら不幸なことに、無学でも務まるトップがある。
それは政治である。


政治の厄介なところは、常に学び続けなくても、様々なやり方でトップになることができてしまうという点である。
媚を売るとか、支援者を増やすとか、概ね人に働きかける「技術」でなんとかなってしまう。
恐怖で支配するやり方もあるだろう。
ただ、これらは「学」としての知識・知見を増やすものではないだろう。


どこで何が起きているのか。
今、国や自治体に必要なことは何か。
どういう制度が改革のネックになっていて何を変えるとどうなるのか。

本来政治には、こういった類の知識や教養が求められる。
しかしながら、政治に試験はない。
フィルターがかからないのである。
その証拠に、某タレント議員が当選直後に、出身県の基地問題について無学を曝け出し、ジャーナリストに厳しく追及されてしまったということがあった。
これこそ、「政治家は無学でもなれる」という顕著な例だろう。

このような無学の者がトップになったら、会社組織と同じように国も壊滅的なダメージを受ける。
これも歴史が証明していて、例えばルーマニアの独裁者であったチャウシェスク夫妻は、自分の都合のいいように政治を操り学ある者の意見を悉く封殺し、結果国がとても貧しくなり革命が起きた。
国民生活において、しっかりと勉強した技術者よりも一般労働者の給料を高くしてしまったがために、国全体で学に対する意味を低下させてしまい、
工業国家を目指しているのに生産品の品質が低下して、他の国から見向きもされなくなる事態を引き起こした。

もちろん、この独裁者の無学っぷりはこれだけではない。
他にもたくさんあったから、革命が起きて最終的には処刑されてしまった。
(反対に、もしかしたら金正恩はとても頭が良く、よく勉強していると言えるかもしれない。とっくに国が滅んでもいいような状態だが、韓国や米国と会談していろいろな成果を上げているのは、やはりタダモノではない証拠であろう)


我々が住む街、そして国は、今どのような状態だろうか。
ちゃんと学んでくれるトップだろうか。

国や国家が滅びるような、無学な者を選ばないように、もっと考えないといけないのかもしれない。

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