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学術的(?)、研究者的(?) 考察

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2024年7月の記事一覧

ヒトは、おしまい、本当に自分に必要と感じなければやらないものである

もし、本当に何かやりたいことがあるのなら、それを決めて、「予定」して、それに向けて何かしらなりふり構わず動いてごらん。

というより、決めて予定したら、なりふり構わず何かいつの間にか動き出す自分がある。

もしそれがない、何も動かない(自分で気付いていない場合もあるが)ならば、それは実はそこまでご自身、必要としていない、実はそこまではやりたくないこと。
人生に必要だと感じていない、まあそれはそれで

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理論を表面で捉えるものと、真髄まで繋げるところの違い

子どもの発達理論などは確かに心理学系の講座で教えることはできるが、頭の表面でだけ知識としてだけ学んだところで結局のところ役に立たない。
まったく関係のないところの生物(別人=別の生物)が知ったかぶりをしているかの状態にしかならないからだ。
本当の意味で身体でいちいち納得していないと、結局のところ臨床現場でクライアントさんに、「この人はわかってなんかくれないな」という感覚を与えてしまい、双方ラポー

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日常の一瞬一瞬をこそ大事にする

日常生活の一挙手一投足をまず大事にする。一瞬一瞬をでき得る限りを尽くして生ききること。これこそが、初めて自分の人生を形作っていきます。 ですので、例えば、噛むこと「も」ではなく、噛むこと「を」大事に満喫すると、それだけで人生の質はいつの間にか向上します。騙されたと思いやってみてね

ちなみに、「噛む」ということの効力を別の角度からお話することもできるのだが、「立つ」「歩く」「噛む」・・・・こんな当

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背骨を真っ直ぐに立てて生きるということ

この世界は、何者になるか、である。
素敵な言葉を聞いた。

そう…これは、気付かぬうちに
「(社会や環境や周囲によって)何者かであるべき」に当て嵌まるように生きる、と間違える人が非常に多い表現でもあるかもしれない。

あくまで「何者になるか」という意味ではなく、
自分自身が自分自身の背骨をしっかりと感じて生き、
そして「人事を尽くす」

…つまり自分自身に今この瞬間今この瞬間という人生のすべての瞬

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自己肯定感、という「言葉(名前)」の罠

現代日本で心の問題を扱うがゆえに「自己肯定感の低さ」という言葉が流行ってしまっているが、これは心理学的に表面的な行動科学的な言い方に過ぎない。
臨床的に見れば実は自己肯定感が低いという言葉は実に都合の良い言葉である。
「心理学問的(表面的)に自己肯定感が低い」人ほど、実は強烈に自我(つまり自己を肯定している感)が強い。思い込みも、そして実は物凄く能動的積極的に「自分」の決めた方向に動いている。

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古武術と、教育や潜在意識から扱う心理療法の共通点(のひとつ)

相手の反応を引き出し、相手の力(エネルギー)やその流れをただそのまま利用して相手が勝手に転がっていくように立ち回るのが古武道。

(固まってどこにどうも出なくなっている、もしくは適切なところに適切な形で出て来なくなっているところをうまくして)相手の反応を引き出し、相手の力やその流れをただそのまま利用して、相手が勝手に自分の道を突っ走っていくように立ち回るのが教育・カウンセリング・心理療法。

カウ

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「視覚障碍」「見える・見えない」「見ることができない」とは、どういうことか

「見る」に対して「見えない」という対比的に言葉を浮かべてしまうのだろうと思う。
視覚障害者は、「見えているのか」「見えていないのか」というような白黒はっきりしろというような目で見られることが非常に多いようだ。

つい、「見える」という言葉で表現されるから、対比して「見えない」が出て来て、頭がどうしてもどちらかにわけたがるのだろう。
これは、顕在意識の特徴というものでもある。

「これ見える」「あれ

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