自己肯定感、という「言葉(名前)」の罠

現代日本で心の問題を扱うがゆえに「自己肯定感の低さ」という言葉が流行ってしまっているが、これは心理学的に表面的な行動科学的な言い方に過ぎない。
臨床的に見れば実は自己肯定感が低いという言葉は実に都合の良い言葉である。
「心理学問的(表面的)に自己肯定感が低い」人ほど、実は強烈に自我(つまり自己を肯定している感)が強い。思い込みも、そして実は物凄く能動的積極的に「自分」の決めた方向に動いている。
というより、そういう人のことを(生きづらい人・臨床領域対象の人という意味で)学問的には「自己肯定感が低い」という言い方をするので、一般人には広く意味を逆利用されている心理学問的に「自己肯定感が高い」人ほど、実は自己肯定感が低い高いという概念すらも持っていない状態になり、生かされている(活かされている)、更にはただ在る、無私・無我の状態であるので、実は自己肯定感などないに等しいのである。
そして同時に、つまり、低かろうと高かろうと「自己肯定感」はただの他者(特に心理関係の治療者や対人支援者)があなたを見た時にカルテ的(これからどんなアプローチが必要か、のため)に使い勝手に決める単なる指標(寧ろメモ)であって、本人たちには自覚できるものではない。

自分の自己肯定感を高い低いと断定するために使う言葉にしては、一般人にはあまりよろしい影響を齎しにくいものであるし、
もしこれを治療的アプローチとしてみるならば、心理学的な「自己肯定感の高い・低い」の見方で、「あなたは自己肯定感が低いようだから、あげていきましょうね」などというやり方では、まるで逆効果になる場合がある。
なぜなら、「自己肯定感が低い」という体裁をとった「自己肯定感が高い」状態であると、そのアプローチは内側の自我の強固さを増すことを促してしまい、本人がどんどん本人を縛り上げて苦しめてしまい、それが上にさらに、「表面的に見える」自己肯定感の低さ、とのギャップの解離が増大し、本人はどんどん生きづらくなってしまう。
本人が「自己肯定感(という言葉を今は敢えて使ってみるが)」を、自分の中でどのような目的でどのような使い方をしているか、これを見極めねば、臨床において「治療的アプローチ」はできない。

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