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偏差値68高校⇒上智⇒田舎の教諭⇒ワーホリ浮浪者25歳…だけど、実は高校生の時描いていた理想の大学生活みたいなことを今できているのかもしれない

この記事は、大学受験をさせたいすべての親と、その子供に、「リアルな等身大の高校生像」と「その後」を提供することで、何に投資・課金するかを吟味するのに参考になると思う。


高校時代を振り返る

通っていた高校は神奈川の公立高校。
今はもっと偏差値が下がっているようだ。
部活はハンドボールで、週4くらいだったかな。

高校生のとき、私の第一志望大学は「秋田国際教養大学」(通称AIU)だった。
高三の時決めた。

理由としては

  • 倍率と偏差値が高い(リストによっては東大くらいの位置に書かれてることも)

  • 少ない科目で勝負できる

  • 数学と理科を捨てられる(壊滅的だった)

  • 公立なので「国公立」を名乗れる

  • 遠いところに行ける(当時神奈川に住んでた)

  • 就職率が尋常じゃないくらい高い

  • 図書館がめちゃくちゃオシャレ

  • 高いレベルの学習が求められる

  • 留学が義務(でも必要なGPA有)

  • 海外留学生との寮生活義務

  • 在校生の留学エピが面白かった

などなど、色んな理由が「メッチャカッコイイ」という大義を生み出し、私を受験へ駆り立てた。

箇条書き前半について
※要は、受かったら自慢したいだけである
※高校生の動機なんてそんなもんである
※大学なんてトロフィーみたいなもん、という考え

箇条書き後半について
※とはいえ、高校生でも「ほんとに大学なんて行く意味あんのか?」などと思ったりするわけだが、それを払拭するような強い大義をもたらしてくれた国際教養大学は強かった
※やりたいことがなにもない自分にとってとりあえず世界に出ていくというのは魅力的に映った
※卒業してからもストイックに生きていきたかった(それを外部に求め依存してる時点でストイックにはなれないタイプだ)

私の第一志望の科目は、英語、世界史、国語のセンター試験を1次試験、英語と日本語の小論文を2次試験としたものだった。

センター試験の英語は英検準1級を取得すれば満点扱いになるとのことで、当然取得した。(2回落ちた)

受験結果は
【センター試験】
英語:192(200点中/どちらにせよ満点扱い)
リスニング:満点(どちらにせよ満点扱い)
世界史:96(100点中!)
国語:95(200点中……)

国語があまりにも低かった。

これにより、合格の可能性を感じられなくなった私は、受験そのものを諦めた。
(今思えば、全く無理なわけではなかったかなと思う。)

反省は多くある。

高二のとき何もせず140点くらい取っていたので何とかなると考え、ろくに対策をしなかった。
市進学院の映像授業をボーッと眺めて気ままに問題を解いていただけだ。

というか、大学受験で1番失敗だったのは、脳死で塾に入ったこと。

というか、同年代のライバルが各校から集まるところや、色んな上の世代の人のアドバイスを受けられるところならまだよかった。しかし私は天邪鬼なのでそれを選ばなかった。

私は高一の段階で早稲田塾というところへ入った。

私立の子が多い塾だった。
値段設定もべらぼうに高い。
色んなイベントや学習システムもあった。
プチ留学みたいなのをさせるオプションも。

私はそこに馴染めなかった。
コミュ力が無さすぎたからだ。

私立のやつらなんて、、、と思っていた。
そもそも塾に行っていることを周囲に隠していた。
教育熱心で様々なイベントに勧誘するスタッフも鬱陶しいと思ってしまっていた。
それと、何かの授業で皆の前で怒られて拗ねていた。
また、オプションやイベントも活用しなかった。

思い出すだけで恥ずかしい事のオンパレードだ。

ここでもっと真面目に頑張っていたら、受験的には良かったのだろう。

しかし私は、映像授業をボーーーっと受身で見てるだけ。あろうことか、映像授業のカーソルを適当に動かして、受け終わったことにしたりしていた。
親の金をドブに捨てていたのだ。

その塾には「英単語道場」なるものがあり、それだけは頑張っていた。

ちなみに、そこで示される「青ペンノート」というものを結構頑張っていたのだが、この成功体験は、自分を間違った方向へ導いた気がする。

青い文字は頭に入りやすい!という理論。文字の中では比較的にそうなのかもしれんけど、そもそも「書く」というオプションが効率的なのかどうかをもっと吟味するべきでした

しかし、高二頃から多くの生徒がAOや推薦を目指し始めるようになっていき、私はどんどん早稲田塾に居づらくなった。

そもそも、拗ねていたのは「AO推薦入試」の講師に皆の前でド叱られて(誰も気にしていないのに)何もしたくなくなっていたことが大きい。

また、私立の生徒はどんな手段でも受かればよしといった風潮があったが、自分の通っていた公立の、その中でも特に自分の関わっていた人間は、AOや推薦をズルやダサい行為とする風潮があった。教員でさえそうだった。一般入試至上主義だった。

そういう、いろーんな理由があって、私は早稲田塾から逃げ、誰もいない、誰も干渉してこない、中学の時通ってた市進学院に逃げた。

結局そこでも、ボーッと映像授業をみて、たまに気ままに問題を解くだけだった。超行く意味なかった。

中学のときの市進学院は少人数一斉授業で、模試も難しくて、こなし切れないほどプリントをもらえて、めっちゃよかった。

高校は、同い年の子がいなかった。
個別指導を希望したが、「アレは自分でできない子がやるやつだよ」と言われ、なるほどと思ったが、よくよく考えたら自分で出来る自信が無いからここに来たのに…という矛盾(笑)。

これマジで分かってない人多いけど、一方通行の講義って感情が動くポイントが無いとすぐ頭の中でほかのこと考えちゃう。
だから武田塾みたいなところが成り立つわね。

しかも、めっちゃ恥ずかしいけど、当時は女の子のことか、球技大会で目立ってカッコつけることか、髪型カッコつけることか、とにかくそういうことばかり考えていた。オナニーもしっかり毎日、しかも数回していたのでそこに時間を使うことに罪悪感もあった。(こういう人間はさっさと射精しようとするので受験期に早漏になりがちである)

そういう人間に講義はNGである

右から左へ流れていくのだ、言葉が

通学時も意識高く世界史や英語を聞いてたりしたこともあったけど、これも頭に入らない。

ラジオ、ポッドキャスト、YouTubeやボイシーと違うのは、面白いか面白くないか。

こういう人間は頭に言葉が入っていかなくなる。

これは受験に限らず、人間として由々しき事態だ。

聞いた言葉が頭に入ってこなくなると、次第に文字でも同じことが起きる。

私の読解力は、高三から大学2年生にかけてがいちばん酷かったように思う。

大学2年から中村文則の本とか読むようになってやっと読解力が普通の人間くらいになったかな、という感覚。

全然本題とか関係ないが、中村文則って「謎に広くて深い知識」と「意味わかんないくらいネガティブ」が合わさってて面白いよ

受動的な講義で勉強ができない人間はどうすべきか?

私の考えと経験から言わせれば、

とにかく演習を増やすべきだ


とはいえ、自覚していた部分もあるので、演習自体は結構やった。


センター試験そっくりな問題を各塾予備校が本屋で売っているので片っ端からお年玉を使った。

高校の本棚にある赤本もとにかくやった。

何故か第2志望以下に早慶上智MARCHがあったのでそのへんの赤本もちょいちょいやった。

目的より量というイメージだ。
第1志望に向けて、という意味なら明らかに無駄な時間が多かったが……。

英検準1級は高一冬と高三春に落ちていたので高三秋のラストチャンスに向けそれも頑張っていた。これはかなり良かった。

英語は得意科目だし、どんな勉強も「ムダ」にはなりにくい。

この考えを他の科目にも当てはめていたのが、大いなる失敗だったなと思う。

↑以前書いたこの記事にあるような勉強法したのは、英語の勉強で味をしめたから感が強い。

そんなこんなで最後の冬休みがやってくる。
ここで、ついに国語に本腰を入れる。
遅すぎではあるが、2週間全て国語に注ぐことで取り返そうと思った。

これは完全に間違っていた。

取り返せるはずがなかった。

また、講義で誰かが放つ言葉をボーッと聞き流して頭に入らない、という工程を、読む、という作業で繰り返してしまっており、全然頭に入ってこない。

冬休みが終わっても国語で半分を越えず、泣いた。

そして、センター試験が終わり、第1志望を諦め、私立にフルシフト。

でも、もうやる気を失っていた。
(今思えばこんな人間性では国際教養大学という厳しい場所でやっていけるはずがないのだが……)

そんな感じで、良くも悪くも今までの蓄積を生かし、私立文系に挑む。

日東駒専はセンター利用でも受かる。

MARCHは余裕かと思っていてひとつしか受けなかったがその明治大学日本国際学部も落ちた。
これがかなりやる気を削いだ。

ちなみに明治学院大学は余裕で受かった。

早稲田は適当に3つくらい受けたが、全て落ちた。

国際教養大学は3月に「英語だけで受験」する一発逆転のチャンスがあったので、それも頑張った。いや、本当に頑張ったのかはよくわからないが……。

結局、一番最初に受験した上智の補欠が自分に運良く回ってきた。

そんな感じの、グッダグタで私の受験は終わった。

塾に行くべきか まとめ

ぜひ親・保護者・金銭的に余裕のない学生には、「本当に塾に行くべきか」を考えて欲しい。

塾のメリット
・学習内容以外の情報が受動的に入ってくる
・競争相手がいる
・メンターがいる
・模試を受けられる
・偏差値を提示される回数が増える
・塾にいる間は少なくとも机には向かう

塾のデメリット
・いくら講師が喋っても、自分が脳を殺せば意味無い
・何も生産的な知的活動をしなくても達成感がある
・意味の無い、本質的でもない、安心を産むリスク
・費用対効果が悪すぎる
・「詰め込む」「練習する」ことが大事な科目の場合、本屋で片っ端から問題集買って解きまくる方がいい

私の当時の勉強法 まとめ

よかったところ

  • 勉強してない時間は悪、という自覚はあった

  • 量だけはこなしていた、ベクトルは間違ってた

  • なんやかんやスタートは遅くなかった

  • そもそも中学で英検2級受かってた

  • スキマ時間をストイックに活用(貼紙とか)

  • 文明の利器フル活用(今は当時よりもっといいアプリやサービスや動画もたくさんある)

  • ベッドの上で効果的な勉強を寝そべってやってた時の方が、塾の動画ボーっと見てるより良かったな、スマホで問題解くとか

  • 電子辞書の履歴を何度も見返していたので反復としてかなり効果的だった

  • 必ずしも机ではなく、ゴロゴロしながらスマホで勉強していたのが自分と相性良かった

わるかったところ

  • 目的意識が低い勉強の仕方(芋掘りみたいな)

  • 音楽を聞きながらやりがちだった

  • 途中で女の子のことを考えがちだった

  • 裏紙に書いた英文の羅列を捨てまくっていた

  • 問題を解いた紙も捨てまくっていた

  • もっと頑張った証を残していれば自信になったはず

  • 「書く」行為に時間を割きすぎ

  • 英語も社会も面白くないものを聴いても頭に入らん

  • タイピングか録音を活用すべきだった

  • 学校の授業も塾の動画も、ボーッと聞くだけで頭に全く入ってなかった

  • 教科の勉強時間配分

  • 電子辞書の例文を「使える」ようになりたくて、書きなぐりまくってたけど、録音とかで良かったんじゃね

  • 「英語で世界史学べないかな?」と模索したもののムダで終わることが多々あった(ちなみに今は結構そういうコンテンツ豊富でオススメ)


大学生になって(主にギャップ)

自分が想像していた大学と、実際の大学は、かなり乖離があった。

求められる能力と、雰囲気、がその中でも大きい

大学で求められるのはコミュ力である

いや、中高でもそうだし、人間として生きていく中で人生ずっとそうなんだけど……

じゃあ私がそう感じたのがなぜ大学だったのか

それは私の個性が個性ではなくなったタイミングが上智大学入学だったからだ

今まで得意科目で自慢げに振舞っていた英語力は中の下
新体力テストでAをとった身体能力をひけらかせない
体育の着替えのようにバキバキ腹筋でチヤホヤされない
自分はそれなりにいいビジュと思ってたがこれも違った

そうなってくるとアイデンティティがなくなっていく

高校生まで自分の強みかと思っていたものは、余程高いレベルでない限り、数千数万いる同じ大学の学生の中に埋没していく

そんな中でどのように自己実現していくか?

楽しむ、築く、新たな体験をする、といったことで充足感を得ていくのだ。

私は、それまでの人生でこれをして来なかった。

正確には、無駄を削いで目標に到達する受験というライフスタイルを中高で続ける中で、それを悪とみなすように価値観が変容しきっていた。

そして、それがマジョリティになる雰囲気の中で、なにか高い目標を成し遂げるような気になれない。

たとえば、英検1級を20歳になるまでに取得する目標を高校の時は胸に秘めていたが、そんなことをする雰囲気ではなかった中で、うやむやにしてやめてしまった。

そんなことをするよりも、いかに大学が終わったあとや週末に楽しいことや意義のあることをしたか?それが大学という狭いコミュニティのなかで大切だった

そしてそれができない私はどんどん自信を失った

私は高校生のとき、それなりに友達が多かったように思っていた。しかしそれは周囲に恵まれていただけだった。また、周囲を引き付けていたのは私の人間性ではなく私の能力やスペックだった。つまり投資したものだけだった。

私はNetflixが流行る前からNetflixに加入し、それまで読んでいなかった本を読むようになり、デートなどの「大学生にとっての大義欲しさ」に好きでもない子と付き合ったりもした。

空虚な大義を生きがい、いやむしろ死にがいとして設定しないとアイデンティティを保てない苦悩を描いたこちらの本もオススメ

朝井リョウの「死にがいを求めて生きているの」を読んだ時は誹謗中傷されたタレントみたいな気持ちになった

迷走に迷走を重ねていく中で就活が視野に入ってくると

「就活強いのは自頭良くて素直でいいやつ」

というとてつもないパンチラインが私の胸を抉った。

これは当時のインターンの社長の受け売りだった。

私は脳死で英語力や学歴があればそれだけで社会に受け入れられるものだと思っていた。

しかしそういうものほど空虚で無意味なのだと知った。

私が唯一大学生の時成功したのは、塾講師のアルバイトだった。全員もれなく英語ができるようになった。沢山感謝された。伸び悩んでいた子や、大人に期待されずに生きていた子供たち、またその保護者にも感謝されることが多かった。

その経験と、「誰かの背中を押すことをライフワークにすること」を胸に、私は祖父母が住む都道府県で教師になった。

その後、「この仕事は本当に子供のための仕事と言えるのか?」と病み始めるのだが、そこで24歳で結婚するもののどちゃクソに気持ち悪い不倫されていたことを知り本格的に病んでしまった。当然離婚もした

その後、ニートをしたりリゾバに行ってみたりして今に至る

んで、最近思うのは、今って、実は、あのとき国際教養大学に憧れていたところの美味しい部分だけ吸ってるんじゃないか?ということだ

周りは外国人だらけ、新鮮な体験はできる、でも何だかんだでストイックになりきれない自分を強く縛るようなものもない

自慢できるようなことは無いが、そもそも自慢しないとアイデンティティを保てないような状況から脱した

今って結構幸せなんじゃないか?

あと、教育を学び始めてからずーっとあった、親への恨みが薄らいだ。

教育の仕方に色々ダメなところがあったとしても、健康に産んでもらって育ててもらってお金があるだけで、有難いじゃないかと。

いや、有難いとはずっと思ってたし感謝もあった。
それは前からそうだった。
でもやっぱり、同時に、恨んでいた。色んなことを損なわれたことに。同じ親を持ったら、どんな奴でもひねくれるんじゃないかなあって思ってた。というかそれは今でも思う。

まあでも今幸せなのは確かだし、今幸せであれるのは親のおかげだし、別にもういいじゃんみたいな。

何かこう、許せない!みたいな、ふざけんな!みたいな、そういうのが薄らいだな。


まあとにかく、回り回って今は幸せだ


これが高校・大学を礎にしたものなのか、はたまた、違うルートを辿っていたらもっと良かった、悪かったのか、それはよく分からない

しかし私が辿ったルートが誰かの目に留まり、誰かのルートの選択に貢献できるのなら、それは喜ばしいことだと私は思う

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