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二次創作考。演劇公演から派生、右も左もわからないほど疎い人間がカッスカスの頭で考えてみた。

疲労困憊、へろへろの頭に浮かんだことを自分の外側に出した、このツイートから始まった、まさかの二次創作考。

いやこれ、先日のタグステ『YOSHITSUNE ~呪われた英雄~』から派生したとんでもイメージ。景時と幻行とは、梶原景時と腹心の部下(?)のことです。ちなみにこの時に思い浮かべたスイパラってこんなイメージ。

よほど疲れていた???
疲れていたんだろうなぁ……。

そこから始まる、まさかの二次創作考。

疎いんですよ。二次創作とか、そういう方面のファン活動。まるっきりわからないわけではないんですけど、まぁほら、二次創作については基本的に大っぴらには扱わないのがルールだからさ。追いかけない限り知りようもないという部分ですし、私自身追いかけるでもないですし。

知っている人には「そんなこと説明するまでもなくない?」だし、知らない人には「そういうものなの?」という、とにかくまあ当たり障りのない説明ですが次に進みまーす。

Twitterから引用

そこから出てきた以下一連のツイート。

「そうか、この感覚やイメージが発展していくと二次創作に行きつくのか!」という体験。
っていうことはさ、公式が先回りしてしまうというのは、ある意味で可能性を自ら潰すとも言えるものなの?公式である以上、二次創作を公に認めるわけには行かないということは理解できるんだけど。
昔好きだったバンドが物販で「公式同人誌」を出していたなと思ったり、先頃の舞台で原作ものではないながらもオリジナルイラストが載っていたっけなと思ったり。二次創作をする側からしてみればその程度では痛くも痒くもないだろうし、だからこそ公式の振る舞い・狙いへの理解が難しい。
個人的には。作り手側からそういうアプローチはするべきでないと思う。よほど上手くやらないと逆効果・お客様の熱は下がるし、場合によってはお客様を馬鹿にしているように見えるから。本当に上手くやらないと内輪ノリみたいに見えたり、「ほら、こういうの好きだろ?」って傲慢に見えたりするのよ。
スタンスの違いですからどちらがいいも悪いもないけどね。

なんだかもう、いろいろなものの“隙間”にスポッと収まっている人間ならではの発言かもしれません。ファンにしては作り手のことを知り過ぎているし、作り手としてはあまり大きな声では言えないような話だし。

Twitterでは言えなかったこと。

Twitterでそこだけ拾われてしまうと困るので呟かなかったこと。これは本当に個人的な意見・思いなのですが……。(ですから拡散はせず、あなたの心の中にだけとどめておいてくださいませな。)

作り手側は「遊び・余地を残すこと」が大切よ、と思う。

受け手の想像力を削ぐようなアプローチや釘を刺すような言動は野暮ってもの。もちろん、受け手側の想像力は作り手が思っているより遥かに逞しいし、少々のことでは動じないのが実際だけれども。作り手としての気概・臨み方・取り組み方の問題。

パワーバランスで見た時に、作り手側でガチガチに固めた上で提供しても面白い・受け入れてもらえる舞台というのは、既にブランド化しているパッケージや、よほど鍛えられた人間ばかりを集めた、ごく一部の商業演劇くらいなのだから。

では、そこに届かぬ企画や団体に何が出来るかというと。結局、浮足立つことの無いよう、落ち着いてしっかりと考え、今求められていることは何かを問い続け、欲をかくことなく、誠意を持ってお客様と向き合うことが第一歩。そうして軌道修正しながら幾度となく繰り返し、積み重ねること。すべてはコントロールが自在になってからの話。

とにかく。

驕ってはいけないよ。
己惚れてはいけないよ。
見くびってはいけないよ。

そうして、作品と向き合うのと同じようにていねいに、お客様とも向き合ってゆくものなのよ。すべての関係者にとっての公演・役者にとっての役と同じくらい、大切にしたい存在なのよ。

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