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傾聴で大事なのは相手に対する自分の想い

最近、言葉だけを教える場面、言葉だけを鵜呑みにする場面が増えているように感じます。

私は、言葉は、言われる側の気持ちを考えながら選んで使うものでもあり、人に教える時には、押し付けにならないように、その言葉の意味も付け加えて教えなければいけないと思っています。

これは、心理カウンセラーとしてだけではなく、人としてもです。

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例えば、
うつ病の人への対応方法の代表的な視点で、
「うつ病の人に頑張れと言ってはいけない」とあります。

こういう形で聞くと、お互い「頑張れ」という言葉だけに敏感になってしまい、
言う側は、励ましたい時にどんな言葉をかけていいのか分からなくなってしまったり、
言われる側も「頑張れ」というフレーズを意識させられながら会話してしまうということも少なくないと思います。

人と人とのやり取りの中に「こんな言葉は言っても良い」けど「こんな言い方は良くない」とか、正直、私は、それは、自分の判断で自分が決めて使うことだと思っています。

他人が決めたことを一つひとつ気にして使っていたら、生きづらくてしょうがいないです。

なので、私は、相手がうつ病だとしても、応援したいと思う人には「頑張れ」と言います。

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しかし、そのままの言葉で伝えることはありません。

なぜなら、
タイミングや状況によって、私の伝えたい気持ちが変わるからです。

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ここで、客観的な視点を高めて考えてもらうと、

そもそも、病名を付けるのは病院の先生の役割です。
それは、診断内容によって、処方するお薬や、治療の方向性も変わってくるという意味があって行なっていることです。

その視点を日常生活で使おうとすることで、
「もしかして、あの人は〇〇病なんじゃないか」
「きっと、〇〇病に違いない!」など、
自分の立場に必要のないことをやって人間関係をややこしくすることにも繋がります。


日常生活では、病名よりも大事なことは、
相手が、今、どんな気持ちでいるかを想像してあげることなのです。

その相手の気持ちを考えると、
「頑張れ」だけでは、少し投げやりに感じるだろうから、
「一緒に頑張ろう」とか「無理のない範囲で頑張っていこう」など、
一人で頑張らせるのではなく、お互いで頑張っていけるように相手に配慮しようとすると自然と言い方は変わってきます。

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さらに、客観性を高めていくと、
相手の心に寄り添いながら話を聴くのは、人と人とのやり取りなので、本来は心理カウンセラーでなくてもできることです。


それは、話を聴く時に一番重要なのは、
「相手に対する自分の想い」の方だからです。

私自身、心理カウンセラーとして、表面的には、心理学や話の聴き方を学んでやっているように見えると思いますが、それ以前に、自分なりの形で悩んでいる人に対しての想いを持ちながら関わっています。

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「傾聴は大事」という認識が広まり、どれだけ知識や方法を学んだとしても、それを活かす「心」がなければ、上部だけのやり取りにすぎません。

知識や方法も、話を聴くための道具ということです。
道具を持ったら、それを上手く使いこなすのは「自分の想い」ということです。

私は、基本的に「人間関係は心」だと思っているので、ここがブレてくるようであれば、関わる相手は人でなくて良いと思っています。

そのくらい、人としての軸はブレずに持っておきたいと思っています。

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そして、最近、言葉の意味や背景などを伝えずに、表面的な言葉だけを使っている場面が多いように感じます。

今回のテーマの「うつ病の人に頑張れと言ってはいけない」というのもそうですが、
「その理由は?」が、一番重要なはずなのに、理由まで説明することが少ないため、表面的な言葉のやり取りになっていることが多いように思います。

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私は、この状態が「一人ひとりの意思よりも形を優先させていた昭和の時代」とやっていることは変わっていないように感じます。

昭和の時代は、形を優先させるために、正直、意味のないことをやっていた時も多々ありました。
それでも、当時は、形を作っていくためにそれが必要な時代だったのです。


そして、今は、時代が変わった・・・
言い方を変えると、意味のない昭和のやり方に限界が来た


それでも、
「ものごとの意味を考える」という視点は重要視されていないため、
どこの誰が言った言葉なのかも分からないまま、なんか、一言でズバッと分かりやすい言い方をしていると、それを、そのまま鵜呑みにしてしまうこともあります。

それは、言葉に頼りすぎていることでもあると言えます。

本来は、
「他人が言っている言葉は自分の人生には参考程度に受け止めて、それを頭の片隅に入れながら、自分の日常生活に照らし合わせることで、自分なりの形として取り入れていくことができる」
というのが、私は、健全な形だと思っています。


言葉に頼りすぎてしまう背景には、感情を抑え込みすぎることも考えられます。

感情を抑え込みすぎて、自分の直感や感覚が鈍くなればなるほど、判断基準がブレてくるため、言葉に頼りがちになるということです。

いまだに、感情を出すことよりも、感情を抑え込むことの方が良いことだという認識がまだまだ強いようにも感じます。
そして、それもまた「言わないことが美徳」の昭和の感覚が続いていることでもあります。

感情については、また、次の機会にお話ししたいと思います。

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今回のお話としては、

言葉に頼りすぎず、
「相手の気持ちも自分の気持ちも大事にしながら話を聴くことこそが傾聴」
とも言えると私は思います。

話を聴いてあげることは大事です。

それでも、
自分が聴いてあげられる範囲で、自分が受け止められる範囲で、
自分が無理せず素直に伝えられる言葉を全力で伝える。

この想いが相手に少しでも届いてくれたら嬉しいな。

それが、人として自然な傾聴の形だと私は思います。

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講師 旭 美由紀

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