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#208【自己紹介】40年気付かなかった自分の名前の秘密

今日もお読みくださってありがとうございます!
今日のタイトル画像は生成AIで「日本人の祖母・母・娘が並んで立っている」としたのですが、一人減ってしまった……。日本語難しい。

さて、NHK朝ドラ『虎に翼』は毎日アツいですね!
目下の話題は寅子の再婚に絡めて、選択的夫婦別姓と、セクシャルマイノリティのこと。これだけ多くの現代的課題(もちろん当時も口に出されなかっただけで存在していた課題)を盛り込みながら、エンタテインメントとして成立させる脚本がとにかくすばらしい。
伊藤沙莉さんはじめ演者のみなさんの好演も光ります。
もうさー!
今朝の岡田将生さんの「はい、よろこんで」が奇跡のように素晴らしかったの!見てない人はぜひ見てほしい!NHKプラスで1週間見られます!
伊藤さんが泣くときにお鼻が赤くなるのもかわいらしくて、「実際にいる人間みたいにみえる生々しさ」と「お芝居的世界」の融合・両立に、とにかく感動!!!奇跡みたいなドラマだ!

『虎に翼』が姓の話題で盛り上がっていることにちなんで、今日はくらたの名前の話をしたいと思います。


高学年まで使わない漢字で構成されている

くらたの本名は、同姓同名さんがたくさんいるごくありふれた名前です。

ただ、苗字も含めてほとんどが高学年まで習わない字で構成されているので、小学生時代、名札はいつまでも漢字かな混交でした。
それがなんとなく格好悪く感じていたのを覚えています。
「宮本」くんとか「千春」ちゃんとか、早くに習って早くから名札がすべて漢字になっている人がうらやましかったです。なんか素直な感じ。
一方自分はまだ習ってない漢字で恥ずかしい、とさえ思っていた。
(くらたが子どもらしい子どもでなかったのは別に名前のせいではないことに気が付いたのはずっと後年でした)。

人生全体から見たらごく短い時間ですけれど、当時は大ごとでした。

そのうち「昔の名前」になると思う

下の名前は、同世代から上では珍しい名前でもなく、女優さんにも知り合いにも何人かいるけれど、70~80代以上の方の中にはそれほど聞かない名前です。
「キラキラネーム」なんて言ったりするけれど自分の名前だって先行世代にしてみたらそうだったんじゃないのかしら、なんて思っています。

また、同世代以下、特にここ10~20年以降のお子さんにはとんと聞かれないので、そのうち「昔の名前」になっていくのかもしれません。

自分の時代にしかない、自分の時代らしい名前。
そう考えると、悪くありません。

父方の祖母がつけた名前

また、この名前は父方の祖母がつけたものです。
実は、そのことにずっと引っ掛かっていました。
もし自分に子が生まれて、その名前を姑がつけると言い出したら嫌だと思ったからです(幸か不幸かそんなことにはならなかったけど)。

母は、姑がつけたことに引っかかるというよりは、「便所汲みみたいでからかわれそうな名前だと思った」と言っていました(どんな名前だよ)。
幸い「モアイ」とは呼ばれても「便所汲み」とからかわれたことはありません。

幻の「ちひろ」

一方、母が候補として考えていた名前は「ちひろ」。
画家のいわさきちひろさんが好きだから、という理由でした。
ちひろちゃん、ちーちゃんなどと呼ばれていたらきっとまたちがう人生だったかもしれない。平仮名の名前はやわらかい印象がありますし、なにしろ小学1年生で下の名前は正しく書けるようになりますから。

せっかくなので高校3年間、漫画研究部のペンネームに使わせてもらっていました。今にして思えば、絵を描くことにまつわる名前としていわさきちひろさん由来の名前はぴったりでしたね。
漫画はへたくそでしたけれど、でもこういう時期に、自分の精一杯好きな世界を描くことに没頭できたのは良かったと思う。今はそこまで熱量を傾けられないし、陶酔できないから。あの頃作ったものはあの頃にしか作り得ないものでした。

母の名から引用した一字

さて、父方の祖母がつけたわたしの名前には、母の名からもらった一字が入っています
母の名前とはほとんど同じ字面なので、現在、病院で代筆する際に自分の名前と間違えそうになるのが難点です。
このことについて、これまではただ「ほとんど同じ字面だなあ、間違えないようにしよう」くらいにしか思っていませんでした。
でも最近は、母の名前から一字もらったことをとても嬉しく感じるようになりました。

副作用でどれだけひどい目にあっても、「とにかく治療の次のステップに進むんだ」と立ち向かっていく母はとてもかっこよくて頼もしく、わたしは彼女を心から誇りに思っています。

もともと、貧しい育ちのなか兄を大学に行かせて自分は高卒で働いてから進学し保育士になって親を養っていたことも、30代半ばで貯金ゼロ野郎だった父と結婚したこともかっこいいと思っているし、今やぽっちゃりして背中が丸くなって背が縮んで、全体のフォルムがコロンとしているのが愛らしいとも思っている(今脱毛のための帽子をかぶっているのでコロボックルみたいでいよいよ愛らしい!)。
ずっと本人にそれを伝え続けてきたけれど、母は「バカにして!」と言って嫌がって、なんというか、自分に自信を持ちにくい人でした。

ところが、今は自分でも頑張っている手ごたえがあるのでしょう、先日「お母さんがこんなにタフな人だと思っていなかった。体調を崩したり髪が抜けたりしたらもっとふさぎ込んじゃうと思っていた」と伝えたところ、「わたしもそう思う」と返ってきたのです。
「でもやるしかないからね」
最近は、コロボックルみたいで愛らしいよ、などと言っても嫌がらず受け入れてくれるようになりました。

そんな折、また病院で母の名前を代筆した時にふと、
「もし母自身が考えてつけた名前であったら、自分の名前を一字与える、という発想にはなり得なかったのではないか」
と思い至りました。
さらにこの一字は、母自身が自らの母親から受け継いだものでもあることに気が付きました。母方の祖母は、花がほころぶような美しい名前です。

父方の祖母が、母方の祖母から受け継いだ母の一字をわたしにくれたのだ。

この名前で約40年間生きてきてはじめてそのことに気がつき、名前のことでは初めて、父方の祖母に深く感謝したのでした。

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