8月31日が、ただの日付だと思える日まで。誰かが側にいてくれるといいのに。

もう、8月が終わる。

よくわからないまま、怒涛の如くnoteはじめてみたのは5月31日で。

知らない場所に訪れて、なにかここで喋るっていうこと、とても怖かったし

正直7日目ぐらいで、もう辞めようって思ったりしたこともあった。

だって、SNSもせーへんかったわけやから。

なにか、第一声を発するのって、こわいやんかぁ、みたいな感じで始めた。

転校生になった第一日目みたいな感じで。

小学校5年の終わり頃。

よく椅子の上に画鋲📌が置かれるようになって。

あのきりっつ、れーの時に、たぶん誰かがこっそり置くんやろうけど。

お尻に📌が刺さったら静かに取る。

📌が刺さったら静かに取るを繰り返し。

流石に座る前に気づくようになって

すみやかに椅子の座面の📌を除去するってやっていたら。

イジメようとしていた子達もおもろなくなったんか、いつのまにかやらへんようになって。

あの人達ってリアクション待ちの人たちだから。

リアクションおもんないと、リアクション薄すぎると、玩具に飽きたみたいに、やらへんようになって。

わたしのお尻は、守られた。

📌置かれた時に、思ったこと。

それはもうここはわたしの居る場所とはちゃうなって思いがしてて。

去りたいなって思っていたら、違う学校の編入試験受けることになって、

なんとか受かってクリスチャン系の学校に通うことになった。

でも。

転校してゆくとき、新しい学校に変わる時のあの怖さったら。

いやでも馴染んでしまった📌置く人たちがいるクラスの中には、
📌置かない人たちいるわけやから、まだそこのほうが、
ましかって思ったりしながら。

そんなことは、ないんやけどね。

ちょっとビビったりしてた前日。

なんか、よくわからんけど、孤独やなって思ってた。

わからないのに、孤独やなって。

孤独っていうんでしょ、こういう感情? って感じで。

ことばをあてはめていた。

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そんなこと思ってたら、昔みたドキュメンタリーおもいだしたりして。

南の島の映像だとか抜けるような青い空だとか、陽に焼けた肌の人達が

液晶画面を埋め尽くしていた。

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体験ドキュメンタリー型の番組で。

人懐っこい現地の彼らが、はじめての日本語に興味を持って、レポーターの

女の人の言う言葉をそばで、オウム返しにつぶやく。

ヒトリグラシ、アサゴハン、スゴイネ、シンジラレナイ。

とても発音がよくて、ひとこと発する度に笑顔で応えるその表情が、あまり

にもまっさらで、こっちが戸惑いそうになる。

ひとがひとの発する言葉におもしろがる場面って、こんなにきらきらと楽し

そうなものなのかと、その場面にすいこまれてゆく。

その村で農作業などの一仕事を終えたあと、みんなで朝ごはんをとってる時。

「家族全員で食べると、にぎやかでおいしいね」

と、レポーターが言う。

村の1人の歯がまっしろで、さわやかすぎる若い男のひとが、

「あなたは誰と食べるの朝ごはん?」

って通訳を介して問われて。そのレポーターの人が言った。

「わたしは、ひとり暮らしだから、誰かと一緒に食べたことないから、ちょっと孤独だよ」

と明るく彼に返す。

現地の彼は、ひとりかふ~ん、ひとりなんかでごはん食べたことないからわ

からないな、と言ったそのすぐ後で。

ところでコドクって何? 

って通訳の人に聞き返していた。

コドクって何? 

ってまだ見ぬものを手探りでつかもうとしている姿。

「コドクって何?」


こどくをそれなりに通訳の人に訳された彼は、まだわからないな?

みたいな、腑に落ちない不可解な顔をした後。

「あぁ、人が死んだ後のあの感じかな?」

って言って、はんぶん納得したような真っ平らな表情をした。

ほら、すーすーするような感じ? あれのこと?

みたいなことをひとりごとのように呟いていた。

なんか、孤独の感情がつかめないという現実が、とても新鮮で番組を
見終わった後も、いつまでも半ばショッキングな会話として、耳の中に
残っていた。

でもコドクってあらてめて思うと、なんなんだろうとアマゾンのとある村人のようにわたしもきょとんとしてしまう。

時折、身勝手に哀しがったり孤独ぶったりするけど、でも心の底ではね。

そうとうあやしい。

そのドキュメンタリーを見たのは、ずいぶん前なのに。

いつも思いだしてしまう。

彼らは、とくにコドクってなに? ってたずねていた彼って。

たぶんその家族が居場所なんだろうなって思った。

わたしはかなしいかな、家族が居場所だと思えたことがあまりなかった

から。いつも居場所探しばかりしていたような気がする。

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ある日。

キッチンのカフェカーテンのすそのフリルのところに、どこから来たのか、

かたつむり🐌が、へばりついていた。

唐突にかたつむり🐌のふさわしい居場所を想いながら、居場所ってなんだろうって思った。

<居場所がない>とかってフレーズはよく聞くし。

わたしもおおげさに居場所がないって、そこに焦がれていたこともあったかもしれないけれど。

居場所って場所のことやないやんか!

場所は、どうでもよいやん。

どんな人たちと一緒に居るかってことなんじゃないかと、あたりまえのようなことが、今さらすぎるけどリアルにそう思う。

ひとりじゃどうにもならないけれど。

いま誰とそこの空気を埋めようとしているのかってことが、居場所があるとかないとかっていうことなのかもしれないよな、って。

窓を開けると、カーテンの隙間からラベンダーの匂いがした。

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ベランダを見る。

よく見ると、アジサイの波打つ葉っぱの上をちっちゃなかたつむりは、
じりじりと、句読点のようにそこにいた。

うまくいえないけれど。

大人になってもね、8月31日の夜みたいな気分の日は、数えきれないぐらいあって。

これからのわたしの人生でも、

8月31日の夜みたいな気分の日って、たくさんやってくるんやろうなって思いつつ。

大人になっても、居場所をみつけるのはちょっと一生かけた一大事みたいなところあるけれど。

そんな時、誰と一緒に居たいのかな? ってこと思うとすこしやわらいだりする。

8月31日の夜は、誰と一緒にいたいのかな? って思い浮かべる日にすればいいのに。 

ひとりだけそういう人がいるだけで、すごいことだと思う。

そして居場所はとりあえず今の居場所だから、もし居心地悪ければ

どんどん別の場所になっていっていいんだと思う。

しがみつかなくていいし。するするっとムービングしていけばいい。

noteはじめてみて、あまりにもソーシャルと真逆の人生を送ってきたわたしが、そんなことひしひしと思ったりしている夏の終わりです。

こんなひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました!

ふたしかな ゼブラゾーン またいで気づく
すきになる 日がな一日 こどくになりました

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