【書評日記】ノンデュアリティと無条件の愛とは?
【書評日記】ノンデュアリティと無条件の愛とは?
ノンデュアリティ(非二元)では、すべてが完璧に起こっている。
どういうこと?
自由意志や選択は幻想。
昨日も書いたけれども、二元の住民は、自由意志や選択があると信じ込んでいるよね?
うん。オレもそう思ってるよ。
でもさ、ある実験で、意志が生まれる0.3秒前に、脳に準備電位が発生することがわかっている。要するに、科学的に、自由意志がないことが証明されたんだ。
そうなんだ!?
因縁生起。
仏教に、因縁生起という言葉があってね。
たしか、因は直接的原因、縁は間接的原因だったね。
種があるとしよう。種から木がはえる。種は、直接的原因=因だ。でも種だけでは、発芽しないよね。土とか温度とか日光とか腐葉土とか水とか・・・。そういうものが必要だよね。これが間接的原因=縁なんだよ。
わかりやすい例えだね。
で、大事なのは、因も縁も、アナタが生まれる前から存在しているってことなんだ。
さっきの自由意志の否定につながるね。
因縁生起によって、すべては完璧に起きているんだ。ボクらはただ、委ねていればいいんだ。
すべてが完璧に起こっていると思うと、安堵感が生まれる。
ここは、ノンデュアリティに目覚めた人だけが、感じる感覚かもしれないんだけれども。すべてが完璧に起こっていると思うと、安堵感が生まれる。
うーん、なぜそうなるのか、よくわからないな。
友達に話したら、安堵感なんてあるの?って言われた。だから、ノンデュアリティに目覚めた人だけが、感じる感覚かもしれないんだけれどもね。
なんで、安堵感なんて感じるんだろう?
だって、すべてが完璧に起こっているんだよ。伝わらないかな?
うーん・・・。わかったような、わからないような・・・。
この安堵感が即ち、無条件の愛とも呼べるもの。
この安堵感が、即ち、無条件の愛と呼べるものなんだ。
なんか論理の飛躍があるような・・・。
深い安堵は、無条件の愛だと感じない?目覚めた人しか感じない感覚なのかな?Copilotに聞いてみよう。
Copilotに聞いてみた。ノンデュアリティではすべてが完璧に起こっている。そこから生まれる安堵感は、無条件の愛と同一のものか?
ノンデュアリティの概念では、すべてが一つであり、分離は幻想であるとされています。この視点から見ると、すべてが完璧に起こっているという理解は、深い安堵感をもたらすことがあります。
この安堵感は、無条件の愛と非常に似ていると言えます。無条件の愛は、すべてを受け入れ、何も排除しない愛の形です。ノンデュアリティの視点から生まれる安堵感も、すべてをそのまま受け入れることから来るため、無条件の愛と同一視されることが多いです。
あなたはこの考え方に共感しますか?また、どのような経験がこの安堵感をもたらしましたか?
考え方じゃなくて、感覚なんだけれどもね。
概念とか考え方とか、Copilotは言うけれど、概念とか考え方とかじゃなくて、感覚なんだけれどもね。
目覚めた人の感覚なのか。
たとえば、タクアンの味を、外国人にいくら説明しても伝わらないよね。でも、日本に来て、タクアンを食べてみるとわかる、そういうものなんだ。
⇧上のリンクを使わないと、面倒な検索をする羽目に。活用してみては?ノンデュアリティについて、わかりやすく書かれた名著。2はQ&A集。評価が4.6と高い。2から読んでもいいと思う。
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⇧精神世界マガジン
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