見出し画像

プレイヤー視点を持つと、思考や感情をコントロールできる。雲黒斎「あの世に聞いた、この世の仕組み」シリーズ

プレイヤー視点を持つと、思考や感情をコントロールできる。雲黒斎「あの世に聞いた、この世の仕組み」シリーズ

この世は、仮想現実で、ボクらは、そこで、ゲームで遊んでいる、と聞いたら、アナタは、信じられるかな?

にわかには、信じられないね。

でも、そういう感覚を持って、プレイヤー視点に立つと、自分の思考や感情をコントロールできるようになるんだ。

つまり、自分の思考や感情に振り回されないってこと?悟ってるみたいじゃん。

そうなんだ、このプレイヤー視点を持つことも、悟りなんだ。

マーヤーとリーラ。

古代インド哲学には、マーヤーとリーラというものがある。

どういうこと?

マーヤーは、この世は神が作った仮想現実であるということ。リーラはその仮想現実で、神が遊ぶということだ。

主体が神様だったら、ボクらには関係ないんじゃないの?

ニューエイジ系の考え方➩ワンネス。

ニューエイジ系の考え方に、ワンネスというものがあることは、以前にも話した通りだ。

たしか、全ては1つって考え方だよね。

この考え方によれば、全ては1つなんだから、ボクらも神と1つの存在、ということになるよね?

うーん。まあ、そうなるね。

だから、マーヤーとリーラの話は、そのままボクらにも、当てはまるんだ。

キャラクター視点とプレイヤー視点。

悟りを開く前は、キャラクター視点で、アナタは、行動してしまう。

つまり、思考や感情に飲み込まれてしまうんだね。

それが、この世が仮想現実だと知り、ゲームで遊んでいるという、プレイヤー視点を持ったらどうだろう?

何が言いたいわけ?

ボクの解釈だと、プレイヤー視点って、一種のメタ認知なんだよね。まあ、これも便法的なたとえ、なんだけどさ。

つまり、自分の思考や感情を自在にコントロールできると?

そういうこと、そういうこと。

神が作った仮想現実は、圧倒的なリアル感をもつために、仮想現実と思えない。だから、アナタは苦しむんだ。

⇧というわけで、この世は仮想現実だと知り、ゲームで遊ぶ、プレイヤー視点を持つ、悟りの境地に、アナタもなってみないか?という話なんだけどさ。

自分の思考や感情に振り回されないのは、素敵だね。ちょっと信じそうになってるよ。

悟りって本当に幸せな状態なんだよね。アナタにも、この幸せを体感してほしいから、ボクも書いているわけでさ。

でも、この記事の文章だけでは、いきなり、プレイヤー視点なんて無理だよね?

だからこそ、本書2冊が必要になってくるのさ。この2冊を読めば、運が良ければ、アナタも幸せな悟りの状態に至ることができるよ。

⇧このリンクを使わないと、面倒な検索をする羽目に。活用されてはいかがでしょう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?