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「神様のひとさじ」第一話

【あらすじ】
人類は、一度絶滅した。

神様に再び作られた、アダムとイブ。
地下のコロニーでAIに作られた人間、ヘビ。

イブは、ヘビを運命の相手だと勘違いして、猛アタックを開始。しかし、本当のアダムと出会って。

「え? あれ? 間違ってかも」

その気になりかけていた、ヘビはモヤモヤする。
イブこと、ラブも、アダムと、ヘビとの間で揺れる。

ある日、コロニーで行方不明者が出て、彼を探す人々。
しかし、AIが彼の死した映像を映し出した。彼は、誰かに殺されたのか、獣に襲われたのか、遺体が消え真相は分からず。

しかし、彼は戻り、コロニーに獣を引き入れ、襲撃を開始した。
変わり果てた彼の姿に、一同は困惑し、対立が始まる。


【第一話】

すっぽんぽんで、空の下。
女が、寝転んでいる。

舞台は、石畳の上。
太陽の光を受け、彼女は輝いて見える。
色白でまろい肌。
艶やかな長い黒髪。
その毛先が緩やかなウェーブを描き、胸を覆い隠している。
 
睫毛が羽ばたいた。

瞳は、赤子のように澄んでいて、宝石のようだ。

「んー?」
深くて、広い、あおいろ。
これは、空だ。
彼女にも、すぐに分かった。

「キレーだね」
空に声を掛けても、返事は無い。
彼女の感覚が、体へと降りてくる。
まず、背中が痛い。
寝ている場所が、硬い、石畳だ。
周囲を見回し、建物の中だと気がついた。
しかし、壁は低い位置で青空に切り替わり、天井は失われている。

「こんにちは」
彼女は、目に入った女性の像に話しかけた。
赤子を抱く石像は、ボロボロの体でも、慈しむような微笑みを浮かべている。大切な存在が、そこにある幸せを喜んでいる、そんな風に見えた。

(そうだ、私にも誰か居るはずなんだ。私を満たし、私が満たす。二人で一つの愛する人だ)

「どこだろう」
起き上がると、お腹が鳴った。
「お腹空いた」
食べ物を寄越せと体内で不満が暴れている。
彼女は、お腹を擦り、立ち上がった。

石の壁の向こうには、荒野。その先には、緑の山が見える。
そして後方は、海だ。
ここは海辺に立てられた教会だ。遙かな時間のなかで、形を変えてきた。

「ない」
食べ物が見当たらない。できれば、赤く丸い物が食べたい。彼女の頭の中に浮かんだソレは、確か、とっても美味しいモノだった。
「ねぇ、お腹空いたよ」
そこに居るのが当たり前、そんな誰かに声を掛けた。
辺りを見回しても彼はいない。彼女は、仕方なく相手を探して歩き出したが、足が痛い。石が熱い。
「もー、どこに居るの」
文句を言って、再び辺りを見回すと、荒野に人が歩いていた。

「あっ!」
ポンチョ型のコートのせいで顔は見えないが、背が高く、しっかりとした肩幅をしている男だ。
(きっと、私の待っていた、たった一人だよ!)
彼の姿を見て、彼女の心は踊り出し、足が跳ねた

「おーい!」
彼女が手を振ると、胸と髪が揺れた。荒野を歩く男、ヘビは彼女に気がつくと、ぎょっと目を見張り顔を逸らした。
石壁で下半身こそ隠れているが、裸の女性が自分に手を振っている。

彼は、幻覚を見たと判断した。
今日は、日差しの強い中、野外で作業をした。

ヘビは、本来ならば、この先の海へ向かい、海流発電の点検を行う予定だった。しかし、恐ろしい生物も闊歩する野外で無理は禁物。時には予定変更し、体調管理することも大切だ。
ヘビは、ボディアーマーに付けた無線機に手をやった。

「ねぇ、ちょっと!聞こえてますか?」
彼女は、再びヘビに向かって叫び、崩れた壁を乗り越えようと身を乗り出した。地面まで五メートルほどあり、怖くなって、しゃがみ込んだ。


「消えた」
ヘビは、彼女が居た場所を、目を凝らして睨み付けた。ヘビの視力は、優良だ。彼は遺伝子操作を受けて誕生している。身長も一九○センチの長身で、筋肉も付きやすく、病気にも強い。

「ねぇ、男さん!」
「っ!」
再び顔を出した女に、彼の強心臓が爆ぜた。
石に手を叩きつけた彼女は、掌を見つめて「痛い」と眉をハの字にしている。
全くもって、予測不能な妙な生き物と遭遇した。普段、動揺などしないヘビの鋭い目が、泳いでいる。

「こっちだよ、来て」
彼女は、露わになっている胸など、意に介していない。まるで裸でいる事が当然のようだ。そうなると、外の生物との戦闘に備え、ボディアーマーや、タクティカルブーツなど装備している自分がおかしいのだろうか、とヘビは自らの体を見下ろした。
「ほら、そっちに登って来られる所があるよ」
彼女は、近くの階段を指さして、おいで、とヘビに手招きをした。
「……」
ヘビは、いよいよ幻覚では無いと認知し、警戒しながら彼女の元へと歩き出した。

此処は、かつて人類が栄えていた時代の教会だ。
人類は、戦争や環境変化、それによって発生した飢饉や疫病で、急速に数を減らし、地上から消えた。しかし、長く残り続ける物もあった。
所どころ崩れた石の階段を上がり、ヘビが彼女の元までやって来た。

「お前は、一体何者だ?」
ヘビは、彼女から少し離れた場所で俯き、目を向けずに聞いた。
「え?」
女は、そろりと足を伸ばし、ヘビに近づき、顔を覗き込んだ。
(この人、なんで自分の事が分からないんだろう?)
彼女が首を傾げると、黒髪がサラサラと流れ落ちた。

「何、言ってるの?」
「近づくな。だから、お前は誰だと聞いている」
ヘビは、横を向き、ボソボソと話した。
「女だよ」
「はぁ?そんなの見れば分かる!」
的外れな回答に、ヘビが裸体の彼女を指さし、しかと見てしまい、慌てて後ろを向いた。
「あれだ……まず、名前は何だ」
「なまえって何?」
「お前、ふざけているのか?呼び名だ。お前という個体を他と識別する、呼称はないのか」
「ん?貴方は男で、私は女でしょ?」
彼女の細い指が、柔らかい自分のおっぱいを突いた。
「それは分類だ。女も男も他に沢山居るだろう」
「沢山いるの⁉凄い!会いたい」
目を輝かせ笑った彼女は、ヘビの胸をバシバシ叩いた。

「訳の分からない女だ」
「それ、私の名前?わけのわからない」
「違う!俺は、ヘビと呼ばれている。俺達のコロニーでは全員、生き物の名前がついている。お前は、別のコロニーから来たのか?そういえば、あいつが女を捜してると……」
ヘビは、二年前にコロニーにやってきた男の事を思い出した。
「ヘビ、ヘビ」
(私の男さんの名前は、ヘビ。ちょっと怖い顔の男さん)
彼女は、ヘビを指さして、名前を覚えようと復唱した。

「お前、アダムという男を知っているか?」
「知らないよ」
「違うのか……」
「ねぇ、ヘビ。私に名前ちょうだい」
「お前……」
「私、おまえ?」
「違う!」
「私、ちがう?」
「あー!くそ、一度口を閉じろ。理解が追いつかない」
ヘビの言葉に、彼女は、ギュッと唇を結んで頷いた。
ヘビは、コートのフードを外して、センター分けのうねる黒髪を掻き乱した。そして、そのコートを脱ぐと、なるべく彼女を見ないように、触れないように、それを彼女に着せた。
「……」
彼女は、口を閉じたまま、両腕をプラプラと振って膝丈まであるコートの動きを楽しんだ。
「ありがとうって言っていい?」
彼女は、満足そうな顔で微笑み、ヘビを見上げた。
「……もう、言っている」
 彼女の目が、丸く見開かれた。
「ハジメ、愛嬌だけの知能の低い動物は?」
ヘビは手首に装備した、ウエアラブル端末でAIに問いかけた。
『ダチョウ、フラミンゴ、コアラなどがそう思われていたようです』
「ヘビ……貴方は、手に悪魔でも飼っているの?」
ヘビの腕輪に彼女が触れようとしたが、ヘビが腕を高く上げて避けた。二人の身長差は大きく、彼女の頭はヘビの胸だ。彼女が飛び跳ねても相手にならない。
「AIと話をしている。名前だが、ダチョウかフラミンゴはどうだ。コアラは居る」
「ダチョーンか、フラミゴン」
「違う」
「なんだか、もっと短い名前が良いな。ヘビみたいな」
頭を抱えて考え込んだ彼女を、ヘビが悩ましい顔で見下ろした。
「……ハブ」
「ハブ⁉なんかピンと来たよ。なんとか、ブって好き。ハブにする!」
大喜びする彼女の勢いに押されたヘビが一歩、一歩後退し壁に追い詰められた。
「いや……ちょっと待てくれ。ハブもヘビだ」
それに毒蛇だ。ハブと言う名前は、女性に付ける名前としては相応しく無い気がした。
「ブ……サブ、ノブ……違うな。そうだイブか、ラブはどうだ?」
 ヘビは少し恥ずかしがりながら提案をした。
「ラブにする!」
彼女、ラブはヘビに抱きついた。ヘビは目を見張り、ビクリと体を震わせた。逃げようにも背中は壁だ。コートから出たラブの胸がヘビの体に密着し、柔い感触を伝えてくる。
(凄い!やっぱり、この男さんが、私の待っていた人だ。ラブって名前、凄くしっくりきた)
ラブは、嬉しくてヘビの胸に頬ずりをした。
「離れろ、俺はお前と繁殖しない」

彼が暮らすコロニーは『人類の再びの繁栄』を目指し、AIに管理されている。
遺伝子操作され生み出された人間達は、それぞれ世代によって特徴が違う。
ヘビは、人々を纏め指導していけるように、特別優秀に作られたグループだった。AIの思惑通り完璧な人間となったが、反面、彼らは繁殖に対する意欲が低かった。
ヘビは、今まで一人の女性を特別に感じた事も無く、繁殖もしていない。
「繁殖ってなに?」
 ラブが彼の胸から顔を上げて聞いた。

(そういえば、男さんと出会ってから、一緒にすることがあったはず。それが繁殖?)
ラブは、首を傾げて考えた。

「し、知らないなら構わない」
ヘビは、せわしなく動いてしまう指先にぐっと力を入れた。そして、そっとラブの肩に触れて遠ざけた。彼の心臓は今、調子を乱していた。予測に反する事態に遭遇し、冷静さを欠いているのかと、自らを落ち着けるために深く息を吐いた。
「あのね、ヘビ。私、凄くお腹空いたよ」
「は?」
まるでヘビに責任があるような言い方に虚を突かれた。しかし彼は、それは大変な事だと感じ、何を考えているんだと、頭を振った。
「携帯食ならある」
備えていたブロック形の携帯食を取り出し、ラブに差し出した。
「これ、砂の塊?」
「食事だ。栄養もカロリーも程よく配合されている」
ほら、とヘビがラブの顔に近づけると、彼女は少し躊躇いながら口を開いた。
「……」
手渡すつもりで差し出した食事を、直接囓られ、ヘビの胸が騒いだ。指にかかる彼女の吐息がくすぐったくて、つい、携帯食を粉砕した。
「あー、不味いの壊れちゃったよ」
零れおちたソレをラブが眺めている。石畳の上の砂と一体化し、回収は難しそうだ。
「人に貰った食事に文句をつけるな。旨くも無いが、不味くない」
指に少し残った粉を自分の口に押し込み、ヘビが言った。
「だって美味しくない。お口の中がジャリジャリするよ」
ラブは、あーんと口を開けて見せた。ヘビは目を逸らしたが、手が無意識に水筒を探し当てた。腰から取り外した水筒の蓋を開け、先ほど自分が口をつけた事を想いだした。

「お水、あーん」
「なっ……自分で飲め」
ヘビに水筒を押しつけられたラブは、中を覗き込み、上下に振った。
「おい、何をする!」
水しぶきがラブの前髪と、ヘビの腕を濡らした。ヘビの非難も耳に入っていないのか、ラブは楽しそうに水筒を口に近づけた。
ばしゃ、と勢いよく飛び出した水が、ラブの頬と喉を潤した。
「美味しいね。嬉しいね」
水筒を握りしめるラブは、満面の笑顔でヘビを見上げた。彼女の細い顎から、ポタポタと水が滴る。
「何なんだ……お前」
ヘビは、ラブの喜ぶ顔を見て、胸に広がる温かい何かに驚いた。
「ラブでしょ。名前、オマエにするの?」
「……しない」
ラブは、黒い瞳を輝かせながら、頭を揺らしヘビの顔を覗き込む。ヘビの吊り上がった鋭い眼差しが、最大限に横に逸れている。
「じゃあ、ラブって呼んでよ」
「呼ばない」
「どうして?」
「俺は、お前と気安く名前を呼び合う仲じゃ無い」
ヘビの大きめの口は、引き結ばれ辛うじて開いた隙間から、ボソボソと言葉が漏れている。
「ヘビ、へービ、ヘビー。もういい?仲良し?」
ラブが彼の大きな手を取って握手をしたが、振り払われた。
「良くない。頼まれたから命名したが、呼ぶ予定は無い。そもそも、お前は何処から来たんだ。なぜ此処に。どうして、そんな無防備な格好で居る」
「何処から? 此処から来たよ。無防備ってなに?」
まさか、此処には隠された空間かコロニーがあるのかと、ヘビは周囲を見渡したが、以前此処を調べた時と変化は無さそうだ。

「お前は記憶喪失なのか? 何かの事件に巻き込まれて、此処に捨てられたのか?」
「記憶喪失ってなに?私、捨て子?迷子?ヘビも置いて行く?」
ラブは、今此処からヘビが居なくなったら、とっても寂しいと感じた。なぜ此処に自分が居るのかはわからない。ただ、此処に居る事は、とても自然な事だと感じていた。

(たった一人の男、ヘビじゃないのかな?)
 ラブは、俯いた。

「一緒に来るか?」
人が増えれば、人類の繁栄に有利だ。そのために、ラブを連れて帰ることは、合理的だ。ヘビは、ラブをコロニーに連れて帰る、尤もたる理由を幾つも頭の中で考えた。
「うん、行く。やったー!」
ラブは喜び、裸足で跳びはねた。そして痛い痛いと、つま先立ちをしてヘビの肩に手を乗せた。
「……まさか」
自分が背負って行くしかないのか、その事実にヘビが気がついた。
フィジカル的に問題は無い。数十キロの装備を背負って資材を集めに行くこともある。外の生物との戦闘の為にも訓練を欠かさない。ただ半ば裸のラブと密着することに戸惑いがある。妙に背中を意識してしまった。

「ん」
ラブが至極当然のようにヘビに向かって腕を広げた。
ヘビが頭を抱えて地面に膝をついた。

「ヘビ、大っきいね。大蛇だね」
結局、ヘビは全ての装備を胸側に移し、ラブを背負ってコロニーまでの道のりを歩き出した。ラブは見た目通り軽く苦労は無かったが、足をブラブラさせたり、突然身を起こしたりと、行動が予測不能で、彼はハラハラしていた。
「嬉しいな、楽しいね!」
「黙っていろ。コロニーの外には、恐ろしい生命体が生息している。警戒しないと危険だ」
ラブは、素直に口を噤んで大人しくすることにした。ヘビに謝ろうと彼の耳に顔を寄せた。
「ごめんね、私も見張ってるね」
「耳元でしゃべるな」
「かゆい?」
ラブは、ヘビのサイドの髪を掻き上げて耳にかけた。長めのショートの黒髪は手触りが良く、うねる毛先を指にクルクル巻き付けて遊び始めた。
「おい、もう何もするな。頼むから寝ていろ」
「捨てていかない?」
「ああ、そんな無責任な事はしない」
「へへ、そっか……お家、ついたら、美味しいものある?」
ラブがあくびをしながら彼の頭に顔を乗せた。
「美味しいものとは、どんなものだ」
「うーんとね、赤くて、丸いの」
「赤くて、丸い……トマトか、さくらんぼか?お前の居たコロニーと同じ食物のDNAが残されていたかは不明だ」

ヘビのコロニーでは、数々の野菜や果実が栽培されている。アダムという男が、ヘビのコロニーに現れるまで、人類は自分たちだけなのでは無いかと思っていたが、一縷の希望を持った。
人類の再興も夢では無い。今日、ラブに出会い、更に期待値が上がった。上手くいけば、まだ見ぬ植物のDNAや素材が手に入る。人間の繁殖パターンや機会も増えるだろう。コロニーのことを思えば、この少し変わったラブの面倒も率先して行うべきだ。そう自らの使命と考え、彼はラブを背負い直した。

「ヘビ、あのね……お腹すいて……眠れ……ないの」
その言葉を最後に、ラブの寝息が聞こえてきた。
「おい、寝たのか?子供か……」
ラブの外見は、二十歳くらいに見える。なのに、言動は幼子のようでヘビの調子は狂わされっぱなしだ。ヘビは一度立ち止まり、溜め息をついて、ラブを背負い直した。起こさないように、そっと。


かつて、人類が衰退しはじめ、最期の足音を聞いた頃。一部の人間とAIが、人類の再興を目指し地中深くに、コロニーを作った。

数多の種子やDNA、素材、人間の受精卵や、精子、卵子が保存された。科学者の予見した時期に、その希望の箱は開かれ、幾度かの失敗を重ね、人々がそこで生活をするようになった。

コロニーは、幾つか作られたと記録が残っている。しかし、施設自体が何らかの要因で破壊されたり、発電能力を失うなどして、姿を消したものも多い。
 
『お帰りなさい』
「ああ、ただいま」
山の裾野に作られたトンネルを潜り、ラブはヘビに背負われコロニーの入り口までやって来た。まだ目覚める様子は無い。
音も無く入り口が開くと、コロニーを管理するAI、ハジメがヘビに声を掛けた。

『その女性は登録されていない人間ですね』
コロニーの中は、ハジメの掌の上であり、ハジメは常に人間達の行動を把握し指示をだしていた。
「海岸へ行く途中に、遺跡があるだろう?そこで拾った」
『教会ですか。その方が、アダムが探していた、同じコロニーの女性でしょうか?』
「本人は、アダムを知らないと言っていたが……そもそも、自分の名前さえ知らなかった。足には傷一つなく硬くもないのに、あの場に一人で居た。不可解なことばかりだ」
『メディカルチェックをしましょう。クイナを呼び出します。エアーシャワーを通り、処置室にその女性を運んで下さい』
「わかった……あと、あくまで、只の報告だが。この女、空腹を訴えていた。携帯食は口に合わないらしい。赤い丸い物が食べたい、そんなことを言っていた」
ヘビは、不機嫌そうな顔で言った。
『赤い丸い食物。あとで詳しく聴取してみます』
「……ハジメが、必要だと判断するなら、そうすればいい」
『必要だと考えます。恐らく、それを彼女に提供することができれば、彼女の要求は満たされ、その相手に繁殖行動を許可する可能性が高くなります。提供はヘビがしますか?』
ヘビの体がビクッと硬直し、背中で眠るラブが唸った。
「……しない」
『そうですか。では、他の男性にお願いします。驢馬(ろば)は、強く女性との繁殖を希望しています。彼にチャンスを与えましょう』
ハジメの言葉に、ヘビの眉が顰められた。
「待て、ハジメ。驢馬は駄目だ。繁殖行動への情動が強すぎる。無知な女性ではトラウマになりかねない」
驢馬は、このコロニーの第三世代の繁殖に特化したグループの男だ。彼は、コロニーの反体制派に属し、女性への態度が紳士的では無く、悪名高い。一言で言うと、女性達から嫌われていた。
『そうですか。では……』
「やはり、俺が提供する。男としてでは無く、彼女を連れてきた責任者としてだ」
ヘビの言葉は、いつもより早口だった。
『わかりました』
ヘビは、その後の言葉を身構えたが、会話はそれで終わった。

「なんなの、この子……ずっと見ていられる」
外の活動で負傷した人間を手当てする処置室で、クイナがラブを眺めて言った。
クイナは、ヘビと同じ遺伝子操作で、特別優秀に作られたグループの唯一の女性だった。年齢は三十六歳。一七〇センチの鍛えられた体に、意志の強さが滲み出るキリッとした美人だ。オールバックのポニーテールで、毛先は肩甲骨まで届いている。
彼女は、コロニーの管理と医師としての活動を主にしている。
彼女もヘビと同じく、優秀すぎる故に繁殖行動に興味が薄く、パートナーを持っていない。

「赤ちゃんみたいな艶々で瑞々しい肌。生まれたて?髪も黒い絹糸なの?顔立ちも私達みたいな、いかにも操作されたシンメトリーで画一的な配置の良さじゃない。抜け感もあるのに、バランスが完璧。なんだろう、透明感の塊なのに、空気じゃ無いのよ。超一級のダイヤの原石?」
「よくそんなに言葉が出てくるな……」
診察台に横たえられたラブは、クイナの手によってガウン型の患者衣を着せられている。クイナに近距離でジロジロと観察されているのに、口が少し空いている状態でスヤスヤと眠っている。
「思わず言語化したくなるわ。アダムと似てる感じだわ。この子がアダムの探している女性?」
「本人はアダムを知らないと言っていたが。そもそも、まともな記憶がなさそうだった」
ヘビは、装備を外し壁に背中を預け、腕を組んだ。
「そういえば、アダムは探しているって言う割に、名前も特徴も話さなかったわよね。この子は、じゃあ、名無しさん?」
「……ラブだ」
「名前は覚えてたんだ。映像で見た子犬みたいな名前ね」
「……付けろと言われて、そうなった」
ラブの体を調べ始めたクイナから、ヘビは顔を逸らした。
「貴方が、名前を」
振り返ってヘビを見たクイナの目は、見開かれていた。意外だった。頼まれたからといって、他人と必要以上の交流を持たないヘビが、名前を付けたりすると思えなかった。
ヘビは、黙して語らず目を閉じた。

「まぁ、いいわ。結果が出たわ」
最初にラブの唾液を採取し、感染症などの検査を行った。その結果が機械に表示された。ヘビも壁から離れ、目を向けた。
「大丈夫そうね。見たところ怪我もしてないみたいだし。遺伝子検査とか詳しいことは、後日行うわ。もしもし、ラブさん。起きて」
クイナがラブの肩口を叩くと、ラブの目がパチリと開いた。
「おはよう、どこか具合が悪いところはある?」
「女……」
ラブは、クイナを指さして呟いた。
「そうよ、一応、私も女ね」
クイナは、自らの女という記号に違和感はなかったが、男が寄ってくるという事に疲労感があった。つい自嘲気味に笑った。
「ヘビ」
視界はクイナと天井しか写しておらず、ラブは体を起こしてヘビを探した。その顔は迷子のように不安げだった。
「……何だ」
「良かったぁ、ヘビ居た」
ラブのふやけたような笑顔に、ヘビは顔を顰めた。
「すっかり懐かれてるのね」
「さあな。俺は、もう行く」
「どこ行くの!」
ラブは、置いて行かれそうな雰囲気に、ベッドから身を乗り出した。ヘビは、ラブに視線を移したが、すぐに歩き出し部屋を後にした。

「そんな顔しなくても大丈夫よ。嫌でも、そのうち会うわ。同じコロニーに住むんだから」
クイナがラブの背中に触れた。
「そうなの?」
「そうよ。それで、色々聞きたいし説明したいから、まずは自己紹介ね。私はクイナ。このコロニーの管理をする一人で、医師みたいな事もしているわ」
「クイナ。私はラブです。ヘビに連れてきて貰いました。何か……することがあった気がするけど、忘れました」
「すること。その用事で元いたコロニーから出たのかしら? その途中で、何か……まぁ、いいわ。思い出したら色々と教えて」
「はい!」
ラブは何度も頷いた。


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