見出し画像

「神様のひとさじ」第二十話

「稲子⁉」
「何処だ⁉」
「あ、あそこ!」
ラブが指をさした。

実のなる木へと続く橋の上で、手足を獣に食い付かれた稲子が引きずられていた。

「たっ、助けて!」
「くそっ」
木の後ろから獣が現れた。その数は二十頭は下らない。

「いやああ!ひぃ!あっ……ああー!」
ヘビとフクロウ、キボコが発砲したが、次々と稲子に襲いかかる獣に、すぐに弾が切れた。
弾を装填している間に、一頭の獣が稲子の喉に食らいついた。

「ぐっ……」
「稲子⁉」
ヘビが走り出し、フクロウが追った。
しかし、ぐったりと崩れ落ちた稲子の体は、獣に運ばれ――実のなる木に捧げられた。

木は、枝を触手のように動かし、稲子の体を持ち上げた。ミシミシと木が軋む音がする。

「……」
言葉を失い、皆が呆然と立ち尽くした。

アダム以外、皆が。

持ち上げられた稲子の体は、太く尖った枝に突き刺され、心臓が抜き取られた。

心臓は、まだ、ドクドクと動き、残った血を吹き出した。
枝が、指のようにバラバラに動き、稲子の心臓は砕かれ、最後は飲み込まれた。

「いや、うそよ……」
キボコの震えた声が聞こえてきた。
しかし、誰も動けない。目が離せない。

目の前で起こっている事が、頭で処理できず、ただ、呆然と見上げていた。

やがて、木には光り輝く、実がなった。
艶やかで、瑞々しい、真っ赤な実だ。


木の根で横たわっていた稲子の体が、立ち上がった。

「偽物の人間は、木に食べられて死ぬ。そして、果実を実らせ、楽園の奴隷になるんだよ」
アダムが言った。

獣たちは、目を光らせ、楽園の主、アダムに忠誠を誓うように、頭を垂れて座った。
稲子は、自分の仕事に取りかかる為に、畑へと歩き出した。


ラブは、呼吸がうまく出来なくなった。
体の震えが止まらなかった。

(私の実、私の実は……人間の命から出来てた!)

隣に立つアダムが、恐ろしくて、フラつくように一歩下がった。すると、直ぐ側に立っていたヘビが、アダムに銃口を向けた。

「どういうことだ。驢馬もバンビの母親も、お前がやったのか?」
「見てなかったの、ヘビ?神の意志だよ。僕じゃない。そう作られた仕組みだよ」
主の危険を察知した獣たちが唸り、足を進め始めた。
「逃げるぞ」
土竜が、キボコの腕を引いた。
キボコは、何度も稲子を振り返り、土竜に引きずられるように逃げ出した。バンビも二人に続いた。

「ヘビ、撤退だ。これは勝ち目がない」
「……」
ヘビは、フクロウに声を掛けられ、アダムに銃口を向けたまま、ジリジリと後退する。

「ラブ、こっちへ来い」
「で、でも……」

(私は、あの実を食べていた。私は、アダムと同じ生き物、怪物だ)

ラブは、ヘビから目を逸らした。

「来い!一緒に」

ヘビの左手が、ラブに伸ばされた。
ラブは躊躇いがちに、その手を見つめた。

「イブ、餌に情をうつしちゃ駄目だよ。彼らは、新しい自然の摂理の消費される側だよ」

アダムは、ラブをイブと呼んだ。
そして、手を取り強く握った。

恐ろしかった。人を人とも思わないアダムも。
何も理解していなかった自分も。

「行け」
アダムの命令を受け、獣たちが走り出した。
「ヘビ、行くぞ‼」
フクロウが、強引にヘビの腕を引いた。

「ラブ!」
ヘビは、叫ぶように呼んだが、ラブは、首を振った。

「早く、此処から逃げて!」
アダムの腕を振り払い、ラブは獣の前に立ちはだかった。獣たちは足を止めた。
「逃げて!」
「必ず、戻って来い!お前を待ってる!」

ヘビの言葉に、目頭が熱くなった。
二人が走り出す音がして、ラブは膝から崩れ落ちた。涙が、ボロボロと流れ落ちる。

獣の遠吠えが聞こえる。
目の前に居る獣は、足を止めているが、他にも沢山いるのかもしれない。

ラブは、泣きながら森を振り返った。

「アダム、やめさせて!皆を襲わないで」
「無理だよ。近くにいる獣や、指示を受けた獣は言うことを聞くけど、本能だから。プログラミングされてるんだね。偽物の人間を食べて、木に捧げろってね。彼らは木と共存している。どんな怪我も、木を囓れば治るから」
「……そんな」
「イブ、どうして、震えているの?寒い?」
ラブは、触れようとした、アダムの手を拒絶した。
アダムの眉がピクリと動く。

「さ、触らないで!私、やっぱり無理だよ。アダムと此処で暮らせない!」
「何を言っているの?」
「だって、もう、実だって食べられない。こんな場所になんて住めないよ!」
「ど、どうしたのさ。イブ、君の気に入るような住処だろ?」
アダムは狼狽え、ラブの前に膝をついた。

「そうだ、僕が建てた家があるよ。もう暗くなってきたから、窓辺に立って一番星をさがそうよ。それと君のベッドを作る為に、一杯綿花を育てたんだよ。ふかふかなんだ」
「死者が作ったベッドなら、機械が作ったベッドの方が良いよ。何が違うのか私にも分からないけど、これは変だよ!ね、アダム。此処はおかしいよ。私と一緒に帰ろう。コロニーに……ううん、無理だよね。一緒に此処じゃない所へ行こう」
「……おかしい?此処が?僕もおかしいの?」
「ううん、違う。ごめん。貴方はおかしくない。でも、きっと此処に居たら駄目」
ラブは、アダムの手を握った。
大きな荒れた手は、ラブの為に労働した証だ。

胸が痛い。
やっぱり、見捨てられない。

都合良く全部捨てて、ヘビの所へなんて、行けない。

「私は……ラブって名前なの。コロニーの皆と友達だったり仲間なの。だから、皆を殺して食べる食事はできない。仲間だった体が、変えられちゃうのは見てられない。私も、最初から此処に居たら、アダムみたいに考えたかもしれない。でも、そうじゃないから……ごめんなさい」
「良いよ、ラブが此処を気に入らないなら。もう一度やり直すよ。だから、僕から離れないで」
アダムは、縋り付く様にラブを抱きしめた。

「……うん」
「今日は、今日だけは僕が作った家で過ごそう。明日になったら、他のコロニーから移住してきた人間達の船があるから、それで、違う所に行こう」
「わかったよ、アダム」
「約束だよ」


先に逃げ出した、土竜、キボコ、バンビは森の中のバギーを目指して走った。
しかし、森の中にも獣が居た。薄暗くなった森では、走るのも困難で何度も足を取られた。

「うっ……」
飛び出た枝に気がつかず、キボコが額を切り、流れ出た血で前が見えなくなった。獣たちにとっては格好のチャンスだ。
「この野郎!」
土竜が襲い来る獣に発砲するが、致命傷にならなかった。獣たちは、目標を変え土竜に一斉に喰らいかかった。腕に、足に噛みつかれた牙が、土竜の骨まで軋ませる。
「お前ら、さっさと逃げろ!」
土竜は、噛みついてきた獣の首を折ろうと、羽交い締めにしながら叫んだ。
バンビは駆け出し、キボコは流れ出る血を振り払い、自らを傷つけた枝を折り、獣に殴りかかった。

「馬鹿野郎、何してやがる!行け!」
「アンタこそ、馬鹿な事言ってんじゃないわよ!」
キボコは、自らも食らいつかれながら、土竜の足に噛みついている獣の首に枝を突き刺した。土竜が口笛を吹いた。

「こいつら全部やれるか」
「誰に口きいてんだよ! アタシは最強の女だよ」

そう、あんたの隣で最後まで走れるのは、私しか居ない。
見くびって貰っちゃ困るよ。
こっちは、とっくに覚悟決めてんだよ。

キボコが笑った。

「アイツらの弔い合戦だ。殺してやる。一頭でも多くだ」
「上等だよ!アタシの子供殺したんだ。全部殺ってやるよ!」


森の中で走るバンビに、運良く獣は着いて来なかった。
暫く走ると、バギーを見つけ、ほっと胸をなで下ろした。

バギーに何か武器は無いかと、備え付けられていた箱を漁った。
見つけたサバイバルナイフを胸の前で握りしめた。

バンビの手は、ガタガタと震えている。

「早く誰か戻ってきてよ」
一人で居ると、怖くて堪らなかった。
獣の咆哮が聞こえる。発砲音も轟く。
土竜たちを置いてきた心苦しさで、唇を噛みしめた。

「もしかしたら、アイツも……そうだったのかな」
母を置き去りにした、ヘビを思い出した。
そして、様子のおかしくなった母に思いを馳せた。
「母さん……」
ガサガサ、と物音がした。

「誰⁉キボコ?土竜?フクロウなの?」
バンビは、ナイフを突き出した。
「あ……か、母さん!」
バンビの母が立っていた。

バンビの母の仕事は、森で木の実などの食べられる物を探す仕事だ。
藁人間となった者たちは、刷り込まれた通りに動く。
今日は、まだ何も見つけられていない彼女は、何かを手にするまで、ずっと探し続ける。
真冬の何も無い季節でさえ。

バンビの前に現れたのも、偶然に過ぎない。

「母さん、ごめん、ごめんなさい」
バンビは、ナイフを放り出し、母の胸に抱きついた。
「……」
「怖くなって、逃げちゃってごめんね。もう怖く無いよ。母さんは、どんな姿になっても、母さんだから……」
バンビは、母の手を取り、愛おしそうに撫でた。擦り切れた皮膚の隙間から覗く藁が、チクチクする。

「ねぇ、母さん。一緒に帰ろう」
「悪いが、それは無理だなぁ」
「フクロウ、ヘビ!ど、どうしてだよ!」
やって来たフクロウは、直ぐにバギーのエンジンをかけた。

「人間じゃない。もう、お前の母ちゃんは、死んだんだ。俺達と共存はできない」
フクロウは、ハッキリと言葉にした。

「じゃあ、良いよ!俺は母さんと、此処に残る!」
「おいおい、気持ちは分かるけどな」
「良いんじゃないか」
「お、お前、ヘビ!何言ってんだよ」
「俺も、此処に残る」
「はぁ⁉」
フクロウだけではなく、バンビも驚き、母から腕を離し、ヘビに歩み寄った。

「あいつの為?」
「いや、俺がそうしたいから、するだけだ。ラブを誘ってみる」
「ちょっと待って。なに、デートに誘うくらいの感じで言ってるんだ。え、ちょっと、ヘビさん本気ですか?コロニーは?」
フクロウは、ヘビの前でせわしなく腕を動かした。

「コロニーには戻らない。アイツは、外で暮らしたいと言っていた」
「えー、ま、まじか」
「俺は、アダムのような、あいつの求める完璧な未来を提供できないと考えていた。だが、こんなの間違っている。あいつは、きっと望んでいない。フクロウ、お前が言っていた、衝動を今とても感じている。俺は、アダムにラブを渡さない。俺は、アイツと居たい」
「でもさ、あんな獣だらけの所に行ったら、今度こそ殺されるかもよ」
「構わない」

ヘビは、腕輪を外し、フクロウに渡した。
生まれた時から、ずっと腕に填まっていたソレが無くなると、解放され、心も軽くなった気がした。

「嘘だろ……」
「大丈夫だ。これからのコロニーは、戦闘の時代だ。フクロウが得意で、好きな事だ。襲い来る獣、敵、全て倒す。お前がしたいから、できる」
「か、勝手に決めないでぇ」
情けない顔をしたフクロウに、ヘビが笑った。

「すまない、勝手なことを言っている」
「えー、そんな顔で言われたら、無理だろ。はいはい、おじさんが何とかします。ただ、奇跡的に上手いこと行ったら、顔出せよ。待ってる。どうしたのってくらい繁殖して、十人くらい子供つくって帰ってこいよ」
フクロウが、ヘビの肩を強く叩いた。

「子供の前で下世話な話をするな」
「……マジか」
「あー、何て言うか、さっさと行けば?」
バンビが言った。

「ああ」
ヘビは、きびすを返し、バンビの母に深く頭を下げて、走り去った。


「で、お前はどうすんの?」
「なんか、大人の勝手な行動見て、正気に戻った」
バンビは、バギーからフクロウの物を拝借して、母親に駆け寄り、その手を取った。

「母さん、また会いに来るね。いつか、きっと俺が母さんを解放するから。それまで待ってて」
バンビは、ささくれだった母の手にグローブをはめた。
「……」
「じゃあ、いってきます」
バンビは、涙が零れないよう、上を向いて走り出した。

「お前、良い男になりそうだな。どうだ、次期コロニーの指導者」
隣に乗り込んだバンビを、フクロウが肘で突いた。

「良いよ。なっても。でも、藁人間と同居が条件だよ」
「マジか!どいつもこいつも勝手だ。やっぱり一番まともで頼りになるのは、クイナだよなぁ」
「キボコと、土竜はどうするの?」
「もう一台のバギー、鍵付きで置いて行く。生きてりゃ帰って来るだろう」
二人を乗せたバギーが走り出した。

バンビの母は、グローブのはめられた手をジッと見つめていた。

命じられた仕事も忘れ――長い間ずっと。




この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?