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「神様のひとさじ」第十二話

ヘビは、足早にコントロールルームに向かった。

そこには、かつて二足歩行していたロボットが、椅子に腰掛ける形で置かれている。
最初に誕生させた子供達を育てるために利用した機体の一つだ。劣化し、故障したために動く事が出来ない。修理することは可能だったが、修理しない事に人間達が決めた。

「ハジメ、今日のアダムの行動記録と、コロニーに持ち込んだ植物の画像を出して欲しい」
ヘビが話しかけると、声を掛けられたロボットが首だけを、そちらに向けた。
『行動記録は、コロニーの半径五キロまでしか追えません。アダムは、ずっと東に向かいました』
「東に?」
ヘビは、椅子の肘掛けから伸びる モニターに視線を落とした。
『持ち込んだ植物は、過去、人間達が 林檎と呼んでいた実によく似ていますが、茎の形状などが一致しませんし、林檎よりも柔らかく水分量も多そうでした。分析を願い出ましたが、拒否されました』
モニターに画像が映し出され、ヘビがソレに見入った。

「アダムは、午後八時半に出発し、午後十一時四十分には戻っているのか。そんな近くに、彼らのコロニーがあるというのか?先日戻ったイルカたちは、北へ向かい、十時間以上、険しい道のりを歩いたと報告していた。彼らは遠回りさせられたのか?」
『わかりません。彼らの行動も五キロまでしか残っていません。聴取した内容で地図を作っています』
アダムが、このコロニーに現れ、ヘビたちは幾度となく、元いたコロニーの場所を聞いたが、何度もはぐらかされた。思い出したくない。混乱の中、無我夢中で逃げてきたから、記憶が正しいか分からない。そう言われてしまうと、強く追求が出来なかった。

人類が打ち上げた衛星は、全て消失しデブリとなった。長い年月で、周辺環境も大きく変わった。彼らも完璧な地図を持っていない。
「アイツ、何か隠している気がしてならない」
『実を食べ残し、廃棄する事があれば、分析に回します』
「そうだな。今思えば、アイツに食べるかと聞かれた時に、食べると答えておけばよかった」
ヘビは、ラブに聞かれたとき、感情的に拒否したことを後悔した。
「アダムと……ラブは、外で暮らす予定らしい。可能だと思うか?」
『彼が先日持ち帰った牛や豚、野菜は今の地球環境に適合した、完璧なDNAを持っていました。彼らのコロニーが作った家畜が、野生化し繁殖に成功していると考えるなら、可能だと判断出来ます。それに、彼女には赤い実という完全栄養食があります』
「そうか。しかし、快適とは言いがたいうえに、病気や怪我をすれば話は別だ。アダムが動けなくなった場合もだ。リスクが大きすぎる」
ヘビは、ハジメに繋がるコードを避けて歩き、壁に背中を預けた。組んだ腕の上で、彼の指が握りしめられた。

『しかし、いつかコロニーで収容できないほど人口が増えた場合、先駆者の 外で暮らす知識や経験が役に立つでしょう。彼らから情報を享受する代わりに、医療や必要な支援を提供するのはどうでしょうか?』
「先駆者とは、聞こえが良いが、試験体扱いはしたくない」
『我々の目的の為には必要ではありませんか? ヘビが繁殖を望み、ラブと特別な心の交流をすることは賛成しますが、あまり一人に肩入れすることは評価できません』
「……」
ヘビは、流れ落ちた前髪越しに、ハジメに強い視線を向けた。
今までヘビは、効率や正しさを重視し、ハジメの意見に従って生きて来た。初めて、強い不快感を伴った衝動が湧いてきた。

『アダムとラブが、外で暮らしたいという希望を持つことは、我々にとっても好都合です。賛同し、協力を申し入れましょう』
ヘビは、ハジメの言葉を拒絶するように、歩き出した。
「まだ、時期尚早だ」
 

ヘビが向かったのは、セレモニールームだった。コロニーで死んだ人間の体はシステム的に処理される。後には何も残されない。そのために、生前の写真がこの部屋に飾られている。
小さな部屋には、階段状になった祭壇がある。下へ行くほど最近亡くなった人間の写真が置かれている。皆、同じ木製のフレームに納まっている。

「これは……」
目的だった女性の写真の前に、先ほど作った花冠が置かれていた。
バンビの母の遺影だ。明日は、バンビの母の命日だ。
「もう、三年か……」
バンビの母を喰らった獣たちが、このコロニーの外を闊歩し始めたのも、三年前くらいからだった。資料に残る、狼に似た大型の動物だ。
バンビの母は、同世代の男性に人気の女性だった。キボコが言うには「幸の薄そうな、男が放って置かない、いけ好かない女」らしい。

彼女は、獣たちに噛みつかれ、大量に出血していた。なのに、ヘビがバンビを連れてその場を離れる際、満足そうに微笑んでいた。後ろからは、悲鳴も呻き声もしなかった。
「外は、女性が暮らす環境じゃない」
戦闘訓練を受け、引き金を引くことに、何の躊躇いも持たないクイナや、キボコならまだしも、ラブが獣に襲われ、冷静に戦えるとは思えなかった。それに、相手が単体でなければ銃器を持っていても厳しい。

「……」
アダムが居たとしても、二人で生きることは危険だ。ハジメも彼らの五年後、十年後の生存率が高くないことを理解している。それなのに、あの発言になる事に、強い拒否感と怒りが生まれた。
「絶対に、駄目だ」
ヘビは、バンビの母の笑顔を目に焼き付けた。

「あー、ヘビ!ちょっと待って」
畑近くの廊下を歩いているヘビに、ラブが駆け寄ってきた。はぁはぁと息を切らしている。
「ヘビ、バンビ見なかった?」
「……何故だ」
「バンビが、花冠穫っていったの!」
あっちこっち探したけど、全然居ないの、ラブが不満そうに言った。
「それは、譲ってやってくれないか」
ヘビの言葉に、ラブが首を傾げた。ヘビの雰囲気が、少し違うように感じた。

「どうしたの、ヘビ?何だか、元気ない?」
「いいや。アレは今度、またアダムに作ってもらえ」
ラブが、複雑な表情で黙り込んだ。
「明日は、バンビの母親の命日だ。墓前にでも供えるつもりかもな」
ラブの横を、ヘビが通りすぎた。
「そうなの?じゃあ、仕方ないか」
「ラブー、キボコがバンビを見たって言ってたけど、行く?」
アダムが両手を振りながら現れ、ヘビとすれ違うために道を譲った。
「ううん、もう良いや」
「そう?じゃあ、食事をしに行こう」
大袈裟に差し出されたアダムの手に、ラブの手がのせられた。


ラブは、ふと目が覚めた。部屋の中は真っ暗で、何時だろうかと腕輪に触れた。
二時半だ。もう一度眠ろうと、目を瞑った。
「……」
何度、寝返りをうっても意識は沈んでいかない。
諦めて、身を起こしすと、外から音がした。
何処かの部屋のドアが閉まる音だ。ほんの微かな音だったが、妙に気になって廊下へ出た。

居住区は、夜は真っ暗になる。足下灯の人感センサーが働き、ラブの動きに伴ってポツポツと灯りが灯っていく。
階段を下り、一階の広いスペースまで来ると、ヘビの部屋の前に何かが置かれていた。
「何だろう?」
少し、心許なくて、小さな声で呟きながら、近づいた。
「っ⁉」
あと少しの所で、ドアが開いた。室内の明かりが眩しくて、目を細めると、気怠そうに出てきたヘビと目が合った。

ヘビは、ラブを顎でしゃくり、アッチへ行けと示すと、ドアの前に置かれた水筒と、紙の封筒を拾った。封筒の表には『薬、一回一袋のむように』と書いてある。
ラブが、呆然と見つめていると、部屋の中に戻ろうとしたヘビが、ふらついた。
「ヘビ⁉」
ラブは、急いで駆け寄って、大きな体を抱きつくように支えた。

「近寄るな。熱が出た、うつるぞ……」
ヘビの声は、いつもより、しゃがれていた。顔が真っ赤だ。呼吸も荒い。
夜中に熱発し、端末が異常を知らせ、クイナが部屋の外に薬を届けた。
「だ、大丈夫⁉」
ラブは、歩きながらサンダルを脱いで、朦朧とするヘビを支えてベッドまで誘導した。
「うわぁ」
ベッドに辿り付くと、横になろうとするヘビに巻き込まれ、抱き合うように寝転んだ。触れた肌が熱い。

「ヘビ、平気?」
ヘビの腕の中から抜け出し、ラブがベッドに起き上がった。腕を伸ばして額に手を当てると、ヘビの目が少しだけ開いて、ラブを見上げた。
「ラブ……」
名前を呼ばれ、ラブは、手を引いて口を押さえた。指の隙間から、気持ちが溢れ出しそうで唇を噛みしめた。泳いだ視線が、ベッドの下に投げ出されている水筒と封筒を捕らえた。
「そうだ、薬のむんだよね?」
ラブは、じっと見つめてくるヘビから逃げるように、水筒を拾いに行き、封筒から薬を出した。粉が紙におり包まれている。
「ヘビ、お薬だよ」
水筒をベッドサイドに置いて、薬の包み紙を開いた。ヘビは紅い顔で、ボーッとラブをみつめている。
「少し起きて、お口開けて」
「……」
ラブが片手をヘビの肩の下に差し入れて、起きるように促すと、ヘビが腕をついて怠そうに起き上がった。
「はい、あーんして」
ヘビの口を覗き込むために、ラブは膝立ちになった。ヘビが、素直に大きな口を開いた。その姿に、ラブの胸が疼いた。
「お薬いれるよ」
正方形の紙を三角に折って、ヘビの口に宛がった。サラサラと粉が流れていくと、ヘビの顔が顰められた。高い鼻がヒクヒク動いた。
「あっ」
「へくしゅん!」
舞い上がる白い粉が、霧のように広がり、やがて消えた。
「……ごめんね」
ラブは、布団に広がった薬を見下ろして謝った。ヘビは、半眼の状態で水筒に手を伸ばし、ゴクゴク水を飲んで、長い手足を収納し丸くなって眠り始めた。

ヘビは薬を殆ど飲めなかった。代わりを貰いに行こうと思い、立ち上がって閃いた。
部屋に、赤い実の残りがある。
実を食べれば、怪我も病気も治るとアダムが言っていた。

自室に飛び込み、赤い実に手を伸ばして、粉まみれの布団を思い出し、自分のベッドの布団をぐしゃぐしゃに丸めて抱きしめ、実を掴んだ。
「ヘビ、お待たせ」
ヘビの部屋に戻り、眠り続けるヘビの布団を、そっと剥がして、自分の布団と取り替えた。
ベッドの横に正座して、横を向いて眠っているヘビに向き合い、4分の1程の実の端っこを、毟るようにちぎった。透明の果汁が滴りそうになり、急いでヘビの口に運んだ。
「……ん」
「ヘビ、食べて」
ヘビは、ギュッと口を閉じ、唇が濡れていく。
「お口、開けて」
ヘビは、目を閉じたまま、顔を背けて、濡れた唇を舐めた。すると、美味しかったのか、口を開いた。
「良い子、ヘビ、良い子!」
ラブが、一口、二口と実を運ぶと、三口目で、もういらないとばかりに、ヘビは布団を被った。
「大丈夫かな?」
実をベッドサイドにおいて、足の出てしまっている布団を引っ張り、ヘビを見守った。
そして、ラブの首が揺れだした。

 
ヘビは、不思議な夢を見ていた。

鷹になった夢だった。大空を飛び回り、速いスピードで流れる景色の中に獲物を見つけ口にした。ソレを咥え、大きな木で羽根を休めた。
しかし、獲物は口からこぼれ落ち、俺自身も落ちていった。
枝に垂れ下がった体から血が滴って……食われた。

熱が出ると変な夢をみる。熱譫妄か?
目を見開いて、溜め息をついた。

「治ったな」
ダルさも、喉の痛みも、頭痛もなくなった。心なしか視界が鮮明に感じた。ヘビは、すっと起き上がった。
「なっ……なぜだ」
ラブがべっとに伏せって寝ている。ヘビは頭に手を当てた。

紐解くように記憶を探ると、扉を開けてラブと目を合わせたこと、世話された事を思い出した。そっとラブの頭に手を伸ばし、ベッドサイドの、赤い実の欠片に気がついた。
「これが……」
手にして、よく観察した。確かに資料の林檎とは少し違う。外側が赤く、中はクリーム色で、林檎とサクランボの中間のような印象を受けた。
「甘かった、気がする」
部屋を出て、分析に回すか。
ベッドから抜け出そうと、布団に手を伸ばした。
この布団は、俺の物じゃない、ヘビが動きを止めた。
サイズも使用感も違う。自分の布団は、ベッドの下に畳まれているのを発見した。
「お前のか……」
ラブを見下ろすと、素肌を晒して座り込んでいる足が目に入って、ヘビは焦って、剥いだ布団をそっと、ラブに掛けた。
そして、手にした実を、じっと眺めてから自嘲し、元に戻した。

「おい、お前も風邪引くぞ」
ヘビがラブの肩を揺すった。ラブは、目を瞑ったまま、ヘビの手を振り払った。
「おい」
「んー」
「目を覚ませ」
「んー」
起きる様子のないラブに、ヘビは困った。一晩一緒だったなら、今更かも知れないが、自分のベットに寝かせるには感染の心配がある。
とりあえず、シャワーを浴びて、小綺麗になってから運ぶか、ヘビの足がシャワールームに向かった。

ラブは、耳当たりの良い、水音で目が覚めた。
しゃー、びしゃ、びしゃ
「シャワーの音」
クイズに答えるように言葉にすると、音が止んだ。

「あー、ヘビの部屋か」
シャワーを浴びていると言うことは、それなりに元気になったのだろうか。背後にあるシャワールームの方に顔を向けた。
「ヘビ、おはよう、元気になった?」
ラブは、洗面所とシャワールームに続くドアの前で声を掛けた。
「あ、ああ」
ドア越しに、ヘビの答えが返ってきた。

「そっか、良かったね。じゃあ、ラブ行くね」
そう言うと、ラブがさっさと歩き出した。
「お、おい! ちょっと待て」
ヘビは慌ててドアを開いた。まだ何も身につけていないので、腕と顔だけ出ている。
「どうしたの?」
ラブは振り返って、濡れて更にうねった髪から、水が滴り落ちるのを目で追った。
「昨日は、迷惑をかけて悪かった」
ヘビの視点は、ラブを避けてウロウロしている。

「ううん、あのね、実は布団にクスリ撒いちゃったの。ごめんね、あっ洗いにいくね!」
「いや、いい。大丈夫だ、自分でやる」
「そう?」
「それより、お前の実を忘れているぞ。ちょっと待ってくれ」
ヘビは、すぐソコのベッドを指さして、一度ドアを閉めた。狭いワンルームなので、ラブが取りに戻れば、ヘビの裸体が丸見えになってしまう。
「あー、忘れてた」
ラブは、ベッドに戻り、実を手にした。
すると、ドアが再び開いて、Tシャツとハーフパンツを身につけたヘビが出てきた。石鹸の香りと、水分を含んだ温かい空気に包まれ、ラブは照れくさくなってきた。
「えっと、最後の一口食べる?」
何か話さないと、ラブは手にした実を差し出した。
「いいや、お陰様で、もうすっかり良い。俺は他の物も食べられる。だから、ラブが食べれば良い」
照れくさそうに首の後ろを掻きながら、ヘビはラブの名前を呼んだ。
ラブは、ポカンと口を開けてヘビを見上げている。
「……ほら」
ラブの掌にある実が、ヘビに摘ままれ、そのまま、ラブの口まで運ばれた。
「しまった、洗った方が良かったか?」
ラブは、首を振って飲み込んだ。
「だい、じょうぶ」
「そうか? 風邪、うつってないと良いんだが。後で、部屋に洗った布団を届ける」
「それで良いよ」
ラブが、くるりとベッドを振り返ろうとすると、ヘビに肩を押さえられて止められた。
「駄目だ」
もう、戻った方が良い。ヘビがそう言いながら、ラブの背中を優しく押して、玄関まで導いた。
「えっと、あの」
ヘビの温かい手が離れ、振り向いた。

「ありがとう、感謝している」
「ヘビ、どうかしたの? やっぱりまだ熱あると思うよ!」
ラブが目一杯腕を伸ばし、ヘビのおでこに触れる。
「はぁ?」
「だって、ヘビが優しいもん」
「……さっさと、帰れ」
目の前をチョロチョロと動くラブを、ヘビが追い出してドアを閉めた。


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