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「神様のひとさじ」第十三話

アダムと出会ってから、朝夕の散歩が日課になった。もう一ヶ月近くたつが、ラブは獣に遭遇していない。

「今日は、曇ってるね」
「きっと、午後は雨が降るよ」
人工衛星が消滅し、天気の予報は出来なくなった。しかし、アダムが呟く予報は、外れた試しがなかった。
「あれ?」
土竜がやって来た。

「アダムに話がある。いいか?」
土竜は、見た目に反し、とても静かに話をする。硬そうな肌肉が口元だけ笑顔を作っているのに、今日も目は笑っていない。ラブは、彼が暴力的な態度を取った所は見たことが無いが、怖かった。目を見ずに頷いてアダムから離れた。
「えー、僕がよろしくないよ。用ないもん」
アダムは、下唇を突き出して、肩をすくめた。ラブはギョッとして、アダムの背を押した。土竜は、断られても表情を変えないが、引き返す様子もない。
「いいよ、行ってきて」
「ええー」
アダムが、どうして?と両腕を広げていると、土竜が先に歩き出した。

「この子の相手は、アタシがするわ」
「キボコ!」
コロニーに続くトンネルから、ライフルをぶら下げたキボコがやってきた。Tシャツを張る胸と、胴回りの肉が逞しい。
「私、女同士の話するから、アダムもどーぞ」
ラブが、キボコの腕に抱きついて、アダムを追い払った。
「ふられた」
捨てられた子犬、アダムは、何度もラブを振り返りながら、土竜の後を付いて行った。

「で、女同士の話って、何よ」
キボコは、腰ぐらいの高さの大きな岩に腰掛けた。
「聞きたい事が、いっぱいあるのぉ」
ラブは、キボコの目の前で頭を抱えて訴えた。同じコロニーで暮らしていても、従事している作業が被らないので話す機会が中々無かった。最近、ラブは、鳩と動物のお世話や、畑仕事をしている。

「まぁ、一つずつ言ってみなさいよ」
キボコは、自身の髪を一房取り、枝毛を探し始めた。
「あのね、まずね、運命の男、ヘビじゃなくてアダムだったの!」
「聞いたわ、アンタが、アダムの生き別れた恋人なんだって。思い出したの?」
「うーん、そういう記憶はないけど、そうなの」
「めでたし、めでたしね」
キボコは、見つけた枝毛を割いて言った。
「そうなんだけどー、そーなんだけど!」
「恋人が現れたけど、ヘビも好きと」
「へっ⁉そうじゃ、なくて」
「じゃあ、どういうことよ」

「アダムは、私の運命で、アダムと最後まで行くのが正解なの、だけど何か、モヤモヤするの!幸せな気分じゃないの」
「知らないわよ」
「キボコ、聞いてぇ。アダムに会う前は、ヘビとの生活と、お腹空くのがひもじくて、此処じゃない、なんて思ってたのに、アダムが現れてお腹いっぱいになったのに、これでいいのかなぁとか思っちゃうの!ラブ、欲望の塊だった! 酷い人間だったの!」
ラブは、キボコの腰掛ける岩の前に倒れ込んだ。
キボコは、大きな溜め息をついて、手にしていた毛を払った。

「つまり、アンタは、理想の生活を提供するアダムと、心惹かれているヘビの間で揺れていると。絶滅前の恋愛で言う所の、結婚するならアダム、恋人ならヘビというわけなのね」
「どういうこと?」
鼻をすするラブが顔を上げた。

「この男となら幸せになれそうだけど、恋心はない相手と、生活は満たされないけど好きな相手どっちらを選ぶべきかという永遠の問いよ」
「そうなの?でも選ぶも何も、ヘビはラブの事好きじゃない。ちなみに、その正解は?」
「無いわよ」
「えー!」
「人生は、二回無いのよ。比べようがない」
「キボコならどっち選ぶ?」
「好きな男に決まってんじゃない。生活なんて自分でどうにかしなさいよ。そもそも、最後まで行った先が、野垂れ死にでも良いってのが覚悟よ」
「そっか……」

「ただ、贅沢な悩みよね。どっち選んでも、それなりじゃない。このガキの何処にそんな魅力が?」
キボコが岩から降り立ち、ラブの頬を掴んだ。
「顔ね。あと、あり得ないくらい綺麗な肌と、美しい髪。結局男って、か弱い女が好きよね。あと、ミステリアスで幸薄そうなのとか」
「ありがとう」
「褒めてないわよ!」
キボコがラブの頬を引っ張った。
「いひゃい」
「どっちでも良いけど、アンタが決めなさい! 誰が何を言ったかじゃない。相手が何をしたからでもない。アンタがどうしたいかよ!大体なんで、アタシが恋愛相談係みたいになってんのよ」
「キボコ以外に居ないもん」
ラブは、キボコに抱きついた。キボコは、ラブを払いのけながらも、満更でもなさそうだ。彼女は、強権的ではあるが、懐に入れた人間に対して面倒見の良い女だ。

「そういえば、土竜はアダムに何の用なの?」
「さぁ、どうぜ悪巧みに誘ってるんでしょ」
「悪巧み? アダム、興味ないと思うよ」
ラブは首を傾げた。
「弱みがあれば、何でも利用すんのよ。今までアダムには、それが一つも無かった。宙に浮いてた」
でもアンタが現れた。
キボコが、ラブの胸を突いた。
「アダムが、ラブのせいで利用されちゃうってこと?」
「さぁ」
ラブは、頭を抱えた。

(やっぱり、早く此処を出ていった方が良いのかな。そうすれば、アダムが利用される事も無いし、悩むこともなくなるかも)

アダムは、コロニーから度々姿を消している。ラブの実の為に、楽園を住みやすく整える為に出かけて行く。ラブが一緒に行ってみたいと声を掛けても、楽しみにしてて、とはぐらかされている。

「アダム、土竜の話って何だったの?」
土竜とキボコが居なくなってから、ラブはアダムに聞いた。
「んー、ラブは、キボコと、どんな話をしたの?」
ラブの口が、ぎゅっとつぼんだ。
「あはは、ごめん。聞かないよ。土竜は、ヘビやフクロウ、コロニーの執行部が嫌いみたいだよ」
「どうして?」
「昔はコロニーで好き勝手やってたのに、ヘビやフクロウに仕切られるようになって不満みたいだよ」
土竜やキボコの世代は、争いが絶えなかった。暴力が日常茶飯事で、AIロボットも何機も壊された。AIは、対策として色々な制裁を加え、ルールを決めた。そして、指導者たる者の育成を急いだ。
フクロウやクイナ、ヘビを執行部に決めても、最初は誰も従わなかった。しかし、彼らが、新たな食糧の開発や、更なる電力の供給、外の資源の有効活用、質の高い医療の提供などに成功していくと、次第に彼らの評価が上がり、支持されるようになった。

それでも、気に食わなかった土竜たちは、ヘビを襲撃した。
しかし、失敗に終わり、実行犯である土竜たちが拘束されている間に、コロニーのヒエラルキーは完全に変化していた。
「僕をコロニーのトップにしてくれるって」
アダムは、ラブの肩を引き寄せて、人差し指を突き上げた。
「まさか、興味あるの?」
「ううん、全然無い」
「そうだよね」
「だから、僕たち、もうすぐ外で暮らすから、皆さんで ご自由にどうぞって言った」
ラブは、ギクリと肩が震えた。
ヘビの事が心配になった。
「それで……」
「外かって、ニヤニヤ笑ってた」
アダムは、端正な好青年顔を歪め、土竜の真似をした。
「どういう事?」
「さぁ、彼らの考えは分かんない」
「そっか」
ラブは、深いため息を吐くと、アダムが顔を寄せて、ラブの頭を撫でた。

「あっ、ヘビだ」
「え⁉」
「ウッ!」
ラブの頭が、アダムの顎を強打した。
「あー、ごめん」
「らいじょうぶ」
アダムは、顎を押さえて苦笑した。
「お前ら、そろそろ中へ戻れよ」
ヘビは、ラブと出会った日のように、コートを着て荷物を背負い、武装していた。
「やっほー、ヘビ。何しに行くの?」
アダムは、ラブの腰を抱いて、ヘビに声を掛けた。
「調査だ」
ヘビは、チラリと二人に視線を送り、目を逸らした。
「何の?」
「周辺地図の範囲を広げる」
「へー、今日は雨だから、気をつけてね。行こう、ラブ」
アダムに促されたけれど、ラブは足を踏ん張った。
「どうしたの?」
「えっと、その……」
ラブが、ヘビを振り返ると、もうヘビは歩き出して遠くまで行っていた。ラブは、呼びかけたい気持ちを飲み込んだ。
「何でも無い」
「そう?」
アダムは、ラブに微笑みかけた。そして、ラブが歩き出すと、パッチリした目を眇め――ヘビの視線を追い払った。

「服が出来たから取りに来て」
夜になり、ラブの部屋をアゲハが訪れた。今日のコロニーは節電モードで、居住区も何時もより照明が暗い。

足下に気をつけてアゲハの部屋へ向かうと、木製のローテーブルには、コップに注がれた酒と、おつまみの食べ物が置かれていた。それらは、散らかっていて、誰かが居たように思えた。
「誰が居たの?」
ラブは、誰かの抜け殻の上に立った。
「イルカよ」
アゲハは機嫌が悪そうだ。
「喧嘩でもしたの?」
「違うわよ。驢馬たちが騒いでるみたいで、ハジメに呼び出されて見に行ったの」
「へぇ、大変だね。よくあるの?」
「無いわよ。何考えてるかしらね、アイツら。ペナルティで金が減るか、労働が増えるか、碌な事無いのに」
「そうなんだ」
「はい、これ新しいワンピース」
アゲハが、ミシン台に掛けていた服を広げた。

「今回は、胸元から下にギャザーが入ってて、動くとフワッと広がる仕様になってるわ」
「わー、凄い可愛い!」
「そうね、シンプルだけど、ラブが着たら似合うし、可愛いと思うわ」
ラブは、ワンピースを受け取って、目を輝かせた。
「ありがとう、アゲハ!」
「どういたしまして」
ラブは、自分の腕を回しながら腕輪を睨んだ。
「アゲハ、コレどうやってお金払うの?」
「まぁ、これは勝手に作ったからお金いらないけど」
「ラブ、ご飯食べないから、貰ったお金全然へってないの。だから、貰って。多分、此処に長く居ないし」
「どうしてよ」
「アダムと外で暮らすと思うから」
それが良い。それが正解。ラブは、自分に言い聞かせた。
「ふーん。何だかつまんなくなるわ」
アゲハの言葉に、ラブが首を傾げた。
「ここの生活って、本当に息が詰まる。何にも無い事が良い事かもしれないけど、変化がなさ過ぎる。同じ人間達、同じ毎日。そこに、二年前アダムが来て、新しい風って感じで、このまえラブが来て、世界の変化感じてたんだけどね。遠いの?」
「分からないけど、そんなに遠くないと思う」
楽園で取れた実を、アダムは半日もせずに運んできてくれる。
「そう、じゃあ、遊びに来てよ。外の生活にあった服、作ってあげるわ」
「ホント⁉」
ラブは、アゲハの手を握った。
「そのかわり、外の刺激的な話、聞かせてよ」
「うん」

ラブは、部屋に戻り、早速新しいワンピースに袖を通した。最近では髪のアレンジも手慣れてバリエーションも増えた。もう寝るだけなのに、ハーフアップにして編み込んだ。

つい、鏡の前で微笑んでしまう。
新しい服を着て、お洒落をしたら、誰かに見て貰いたくなる。

ラブの頭に最初に浮かんだのは、ヘビだったが、頭を振って追い払った。アダムの事を思い浮かべ、きっと可愛いと手放しで褒めてくれるだろうなと思った。

「ヘビなら、ふんってするんだろうな」
口にしたら、ヘビの顔が思い浮かんでしまい、胸が痛み、ラブは唇を噛みしめた。
「ラブは、アダムを好きになる。アダムと生きていくべきだよ」
鏡に映る自分に言い聞かせた。
「私は、アダムとしか生きられない。アダムは、優しくて……素敵だよ。大丈夫、きっと大丈夫。だって運命だもん」
頬を叩いて、余計な考えを吹き飛ばした。
アダムに会いに行こう。ラブは、部屋を後にした。

「何処行ったのかな?」
アダムは、部屋に居なかった。

(アダムは、よく分からない所がある。ポンコツみたいに見えるけど、そうじゃないみたいだし、無駄話はいっぱいするのに、実の事とか、楽園の事とか、大事な事は何も教えてくれないし。フラフラと居なくなるし)

いつもより薄暗い居住区に佇んで、溜め息を吐いた。すると、居住区から誰かが出ていく扉の音がした。
「?」
ラブは、誘われるように、誰かの影を追った。
ラブが歩く先の足下灯がポツポツと灯っていく。それが楽しくて、足を進めた。

(そういえば、この先にヘビと一緒にいった滝があるんだよね。行ってみようかな?)
あの癒やされる空気を吸って、頭をすっきりさせたい。
自分の考えに、ニッコリ笑って歩き出すと、誰かに腕を引かれた。

「きゃあ!」
驚いて硬直している間に、開かれた扉の中に引きずり混まれた。
「痛っ」
壁に追い込まれ、背中を打ち付けた。ズルズルと床に座り込み、見上げると、驢馬の顔が近くまで迫っていた。部屋は薄暗く、足下灯のオレンジ色の光が、驢馬の目に仄かに映り込んでいる。

「いっ、いきなり何するの⁉」
恐怖で声が上擦るのを、必死に押さえて口にした。
「よぉ、丁度良いところに来たな」
「どういうこと? 離してよ!」
ラブの肩は、驢馬によって壁に押しつけている。彼の口からは、酒の匂いがする。目も、うつろで酔っているのが見て取れる。
「知ってるか? コロニーの節電モードの日は、いつもより監視の目が緩いんだぜぇ。つまり何しても良いって事だよな」
 驢馬は、ゲラゲラと笑った。ラブは、眉を顰めた。何とか、逃げ出さないと。周囲に目を走らせた。驢馬の直ぐ後ろの内開きのドアは、少し開いている。

「私、もう帰るから」
ラブは、驢馬の手を振り払い、膝に手を突いて立ち上がった。
「はぁ? 今から楽しむ所だろ?」
驢馬が身を寄せてきたので、ラブは後ずさり、ドアに向かって走った。
「待てよ!」
「離して! キボコに言うよ!」
ラブが、ドアに手を掛けた所で、驢馬に捕まった。後ろから抱きしめられて、嫌悪感で震えが走った。

「やめてってば!」
ラブが身をよじって暴れたが、驢馬はビクともせず、腰を抱いた。そして、もう一方の手が、ラブの服を脱がそうと弄っている。
「やだ! 離して……あっ」
再び、部屋に連れ戻されている間に、ラブは思い当たって、腕輪を操作し、ヘビにコールした。
「いっ、今、ヘビ呼んだよ!」
「おい! 何、余計な事してんだよ!」
驢馬は、ラブの腕輪を掴んで、無理矢理外して、投げつけた。クルクルと回転した腕輪が、部屋の片隅で止まった。

「場所を変えるぞ。もう俺達は執行部にも、AIにも従わねぇんだよ」
「痛い! 痛いってば!」
驢馬の腕が、再びラブを捕らえ引いた事で、灯りのセンサー位置から外れ、辺りが真っ暗になった。
「何だ?」
今だ、驢馬の注意が逸れて、力が緩んだ瞬間、ラブは走り出した。
「くそっ、待て!」
最初は、膝がフラフラしたが、必死に走った。驢馬が何処かにぶつかって呻いている声がしたけれど、振り返ることなく、走り続けた。


途中、滝への扉を見つけて走り込んだ。

はぁはぁ、と息をきらして、アクリル板に近づいた。
「……」
滝は、青色のライトに照らされて美しかった。滝壺は真っ暗で何も見えない。

「……嫌い、あの男、本当に大っ嫌い、気持ち悪い」
伝わってきた、驢馬の体温が汚染するように体に残っている気がする。
「……うっ」

肌をギュッと押さえたけれど、感覚が消えない。
それに、せっかく貰った新しい洋服、綺麗にした髪の毛。
全てが台無しになった気がして、怒りと悲しみで、ラブの目から涙が流れた。

ポタポタと流れ落ちる涙は、滝へと降り注いだ。

「このお水、洗濯に使われるって言ってた……」
ラブは、身を乗り出して滝壺を覗き込んだ。
「……」
足から振り落とすように、サンダルを脱ぎ捨てた。
どうにでもなれ、そんな気持ちで飛んだ。
広がる水音と、水しぶき。真っ暗だ。洗濯物になった気分だ。そんな暢気な事を考えた。

ヘビは、フクロウと作業中だった。今日は、どの発電機能もふるわず、節電モードだった。何があってもいいように、コントロールルームで詰めていた。

監視がないことを良い事に、酒を呑んで暴れたという驢馬たちは、イルカとクイナが確認に行った。
それから暫くして、ラブからコールがあった。直ぐに折り返したが、応答がなく嫌な予感がした。

「なっ!」
「どうした?」
突然立ちあがったヘビに、フクロウが問いかけた。
「あいつ。ラブから連絡があったが、応答がない。確認したが、生体反応がない」
「えっ? は、外してるんじゃない? どこ?」
『位置情報の最終地点は、Cエリアの四号室です』
ハジメが答えた。
「行ってくる」
ヘビの体は、もう部屋から消えていた。
「おう、イルカとクイナ、アダムにも連絡しておく!」

きっと、また変な事を言いだして、腕輪を外したに違いない。

ヘビは、走りながら自分に言い聞かせた。心臓が凍ったような気持ちだった。なのに、頭は熱かった。
人騒がせな女だ。
どうせ、どうでもいい事で呼び出したに違いない。
問題を起こす才能がある。
何があったのか、不安な心を、怒りにすり替えた。

「ラブ!」
ヘビは、目当ての部屋のドアを乱暴に開けた。しかし、中には誰もいない。薄暗さに舌打ちをして、管理者権限で部屋を全灯させた。しかし、部屋には何も手がかりがない。 

「くそぉ、あいつ、何処行きやがった」
驢馬の声が聞こえ、走り出した。廊下を走り、角を曲がると驢馬の後ろ姿をとらえた。
「おい!」
ラブを見なかったか、驢馬に問いかけようとして、彼の手に握られている赤い腕輪を見て、つい腕が伸びた。

「うわあ! なんだよ!」
「アイツは何処だ」
驢馬の腕を捻り上げると、ラブの腕輪が零れ落ち、ヘビが受け止めた。
「し、知らねぇよ」
「なぜ、コレを持っている」
「拾ったんだよ!」
普段のヘビだったならば、此処で一度引く。驢馬が何かをしたという確証がない。しかし、彼は、驢馬の腕を離さず、叩きつけるように壁に追い詰めた。
「なっ、なにするんだ!うっ……」
空いている方の腕で、驢馬の首元を圧迫した。
「アイツは何処だ」
「ほっ、本当にしらねぇ……ぐっ……」
ヘビが更に腕を押しつけていくと、驢馬が顎を上げて苦しみ始めた。
「言え」
分かった、とばかりに驢馬がヘビの腕を叩いた。解放された驢馬は、床に腕をついて首を押さえて喘いでいる。

「……うぇ……くそぉ……アイツは、ちょっと、遊んでやろうと思ったら、逃げてった! だから本当に知らねぇんだよ!」
驢馬が跪いた姿勢で、ヘビを睨みつけた。
「お前の処分は、後ほど決定する」
「はぁ? 俺は、何も……うぁあ!」
ヘビのブーツの踵が、驢馬の指を踏みつけている。

「すまない、薄暗くて見えなかった。用は済んだ、自室に戻れ」
もう一度、踵に体重を載せてから、ヘビが歩き出した。
「あっ、ああ……いてぇ! ふざけんな……うぅ……」
驢馬は、踏まれた手を抱き込んで呻いていたが、ヘビは構わず走り出した。

「おい、ラブ、何処だ!」
名前を呼びながら、片っ端から、部屋のドアを開けた。ヘビの焦る声が廊下に木霊する。

そして、ヘビは、開いたままのドアを見つけた。人工の滝を見ることができる場所だ。
ここに逃げ込んで隠れているのだろうか、ヘビはドアへと駆け寄った。

「ラブ、いるか?」
努めて穏やかな声で問いかけながら、扉を潜った。
室内の電気を点けると、周辺だけ明るく照らされた。

「ラブ……」
滝を見下ろせる、アクリル板のガードの前に、見覚えのあるサンダルが脱ぎ捨てられている。

ぞわっ――全身に鳥肌が立った。
呼吸が止まる。
嫌な予感がする。

世界が停止したように感じた。
何処へ行ったんだ?
何処へ?
此処から、飛んだのか?

何の為に? 

「ラブ!」

はじけるように動き出し、駆け寄って、下を覗き込んだ。六メートル下は、暗くて良く見えないが、ラブの白いワンピースがボンヤリ見えた。

「おい! ラブ!」
考えなしに、飛び込んだ。

直ぐに暗い水に呑まれ、水面を掻いて浮上すると、目を閉じて浮かんでいるラブに近づいた。


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