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「神様のひとさじ」第十四話

「ラブ、ラブ!返事をしろ」
ヘビがラブの体を必死に抱き寄せると、ラブの瞳が開いた。

「あれ?ヘビ?どうしたの?」
ヘビの肩に掴まったラブは、今、気がついたとばかりに問いかけた。
「お……おまえ……」
ラブが無事だと分かると、ヘビは脱力して仰け反った。ブクブクと沈んでいく。
「ヘビ⁉大丈夫⁉泳げないの?」
ラブは、沈んでいったヘビに慌てた。暗い水の中で腕を彷徨わせた。

すると、ヘビが水しぶきと共に顔を出した。彼のうねる髪が顔に掛かっている。それを乱暴に掻き上げて、ヘビが大きく息を吸った。

「お前!何してるんだ!」
「えっ……せ、洗濯?」
「はぁあ?」
「だ、だって……これ、この洋服、アゲハに貰ったの!」
ラブの声が泣きそうに上擦っているので、ヘビの怒りが急速に収まっていった。

「だから、可愛くして誰かに見て貰いたいなって思って。なのに……驢馬が脱がそうとしてくるし!だから!」
ラブは、泣きたいのか怒りたいのか、怖いのか、溢れ出してきた感情が手に負えなくなって、水面を叩いた。

「綺麗にしようと思ったの!お水の中で、グチャグチャにすれば、お洗濯になるでしょ」
ヘビは、掛ける言葉が見つからず、ラブをそっと支えながら見守った。
「でも、疲れたし……寒い」
ひとしきり暴れたラブは、ガタガタと震えだした。

「おっ……おい、大丈夫か……待て、沈むな」
滝つぼの水深は深い。一九〇センチのヘビでも足は付かない。
ヘビは、震えるラブを抱き寄せて、柵近くの足の付くところまで泳いだ。
そして、ラブを抱き上げて柵を乗り越えさせると、自らも上がった。

床が水浸しになっていく。

「ヘビ……寒いよぉ」
真っ青な顔をして震えるラブの肩を、ヘビが摩るように抱いた。
「あぁ……直ぐに部屋に戻るぞ」
ラブの足は進まない。

「どうした?怪我したのか?」
「……外に、驢馬いない?」
「ああ、大丈夫だ。居ても追い払う」
そう言ってラブを見下ろし、ヘビはラブが裸足なのに気がついた。
「……ほら」
ラブの前にヘビが背を向けて、しゃがみこんだ。ラブは、少し悩んでから、その背中に負ぶさった。

「あの時みたいだね」
「そうだな。俺も、思い出していた」
出会った日も、ヘビに背負われて、ラブは、ここにやって来た。
二人は、笑った。

「お前の名前、ハブの方が良かったか?」
「うーん、よく考えると、凄くセンス無いよ」
「人が考えた名前に文句を言うな」
「だって、そうなんだもん。ラブの……私の名前、本当はイブって言うんだって。でも、ラブのままにするの。気に入ったから」

ラブは、ヘビの頭に頬を寄せた。心が、温かくなる。安心する。触れあうだけで、寂しくて空っぽだった所が満たされていく気がする。

(どうしよう、私……ヘビが好きだよ)

「それは、良かった。俺も、その名前が似合ってると思う」
ラブの顔が涙で濡れる。でも水滴はあらゆる所からポツポツ落ちている。違いは温かさくらいだろう。

「ヘビに拾って貰って、良かったよ」
もしも、あの日、あの場所を通らなければ、ラブは荒野で彷徨い、獣に遭遇したかも知れない。ヘビは体が震えた。
「ヘビも寒い?大丈夫?また風邪ひく?」
「いいや、大丈夫だ。それにあの日は、知恵熱みたいなもんだ」
「知恵熱?」
「ああ、今まで考えたことないような思考、感情にやられた。俺は、お前の白馬の王子思想を馬鹿にしたが、俺はこの年で反抗期を迎えたらしい」
ヘビが、鼻で笑った。
「ん?」
ラブは、体をずらしてヘビの顔を覗き込もうとした。
「危ない、動くな」
ヘビは、歩きながらラブを背負い直した。

「俺は、初めてAIに逆らいたくなった。AIは、お前達の外での生活を後押しして、その知識や利益を手に入れろと言う。だが、俺は賛成できない」
「どうして?」
「リスクが高い。そういう明確な理由もあるが……半分、感情的な拒否感だ」
「どういう意味?」
「何でも無い。何か良い方法がないか考える、お前達が安全に外で暮らせる方法を」
「ありがとう……」


「ラブ!」
居住区の近くで、アダムが駆け寄ってきた。アダムが腕を伸ばし、ヘビがラブを下ろした。
「行方不明って聞いて、心配したよ!何があったの?」
アダムが、ラブを抱きしめた。アダムの体温に、ホッとするより寂しくなった。
「驢馬に襲われて逃げたらしい」
ヘビの言葉に、アダムがピクリと眉を動かした。

「……大丈夫?」
「うん、でも寒い」
「聞きたい事いっぱいあるけど、とりあえずシャワー浴びよう。ありがとうヘビ」
アダムが、ラブを抱き上げて走り出した。


ヘビは、フクロウとクイナ、イルカと集まった。

「驢馬は、酒を呑んで仲間と騒いで、暴れた後、イルカに注意され罰金徴収されたと」
フクロウが確認した。
「はい、相当酔ってたから部屋に戻したんですが、またウロウロ出かけたみたいですね」
「そこで、ラブさんを見つけて、不埒な事をしようと」
クイナが顔を歪めている。
「そんなことしたら、タダじゃ済まないと分からないほど、思考力が落ちていたんですかね」
「で、どこに行ったんだ」
ヘビは、驢馬の態度を思い出し、込み上げてくる怒りに耐えた。
「まだ居住区に戻ってきてないわ。逃げてもコロニー自体が檻なのに」
「あー、こういうときに監視システムのありがたさを感じるなぁ。いつもなら一発で発見されるのに」
フクロウが首を掻いた。
「監視システムが作動していない今だからこそ、バレないとか思ったんですかね」
「糞野郎じゃない」
クイナが吐き捨て、フクロウが「そうだよなぁ」と呟いた。

「捜索に向かう」
「おー、俺も行くぞ」
「僕、制御室で夜勤します」
「私は、ラブさんの所に顔をだして、自室で待機するわ、何か有ったら呼んで」


「ラブ、どう?まだ寒い?」
ラブは、温かいシャワーを浴びたあと、アダムに髪を乾かされ、ベットで布団に埋められた。いつの間にか、アダムの布団も運び込まれて、山のようになっている。
「もう、大丈夫」
起き上がったラブを、アダムが心配そうに覗き込んだ。
「顔色が悪いよ」
ラブは、その真摯な瞳を見つめ返して、心が痛くなった。

「あのね、アダム……私……」

自分はヘビが好きだ。ラブは、そう自覚して、どうしていいか分からず、頭を悩ませた。

「何?僕は、ラブの為なら何でもするよ。驢馬をやっつける?」
アダムが拳を握って笑った。
「そうじゃないの。そうじゃなくて、私、アダムと一緒にいられない」
「どうして?もしも、驢馬に何かされたとしても、それは」
ラブは、首を振って、アダムの腕を掴んで言葉を止めた。

「私、ヘビが好きなの」
「……」
「だから……」
「それでも構わないよ」
アダムが、ラブの手を掴んだ。

「僕は、それでも構わないよ。イブは、最初に出会った男に恋をするんだよ。だから、それは、僕のミスだし、恋は人生のほんの一瞬、少しの間だけだよ」
「一瞬?」
「そうだよ、その気持ちは一生は続かない。僕は、君を愛しているよ。愛は時に形も変わるけど、続いていくんだよ。ラブは僕と居れば、君が望む通りの生活が出来る。美味しい実を食べて、痛みも苦しみもない、満たされた生活ができる。君が、今僕に恋して無くても良いよ。僕らは長い時間を共にして、お互いを唯一無二の大切な存在にするんだ。それから、最後は本当に一つになる」
「でも……」
「僕は、ラブに恋もしているよ。だって、ずーっと夢見て待ち焦がれていた、たった一人の人だもん。だから、僕がラブに愛して貰えるように努力するよ」
アダムの顔は明るく、自信に満ちている。
ラブは、口が塞がれたように、言葉を失った。

「おいで、見せてあげる。僕らの楽園を。君の気持ちは、きっと変わる」

 

ラブは、アダムに手をひかれ、出口の扉の前までやって来た。

「あー、ちょっと待ってて、用意してくる」
アダムは、支給されたポンチョ型のコートを、ラブに着せた。
ヘビと違う匂いがする。
アダムの背中を見送って、何時もより薄暗い床を眺めた。そこには、マットが置かれている。鳩とそれを洗った日を思い出した。まだそんなに汚れていない。

「はぁ……」
溢れそうなモヤモヤを、溜め息として吐き出した。肩は軽くなったけれど、気分は晴れない。
「まだかな?アダム、遅いなぁ」
暗いところで一人で居たら、段々心細くなって、ラブはアダムのコートを握りしめた。
暫く動かないでいたら、電灯が消えて、慌てて動き出そうとしたら、扉が開いた。
「ごめんね、ラブ。お待たせ」
アダムが入ってくると、電気が点いた。

さぁ、行こう。差し出されたアダムの手を取り、外に一歩足を踏み出すと、鼻につく匂いがした。
ラブは、何だろうと周囲を見回した。しかし、月明かりも遠く、コロニードアも閉まり、よく見えない。促されるまま歩くと、今度は足下が何時もより泥濘んでいて、驚いた。
「……アダム」
「ああ、昼間に雨だったせいかな?ここまで濡れているよね、抱っこする?」
コロニーの出入り口から続くトンネルは排水のために、やや傾斜がついているが、コンクリートで固められているわけではない。人類が再び誕生し、完全に埋められていた状態から掘り進めて道を作った。そのままだ。

なので、雨が降れば、人々はここで水滴を払うために、土は水を含む。
やわらかくなった、地面がグチャグチャだ。

「いい、歩くよ。それより、この匂いなぁに」
ラブは、アダムの大きな手をギュッと握り、身を寄せて歩いた。

「そこそこ長いトンネルだからね、雨降ったりするとジメジメして、妙な匂いする事あるよね。やっぱり、暮らすのは日の光が当たる家が良いよね。実は、もう大分出来てるんだ」
「そうなの⁉」
「うん。だって僕の方が四年早く生まれたからね」
「そうなんだ」
「そうなんだよ。二年くらい経ってから、ずっとソワソワしてた。僕のイブは、まだかなぁって。何が好きかな?どんな顔で笑って、どんな声で話をするんだろう。怒らせたり、喧嘩をしたら、どうすれば良いんだろうって、動物たちのコミュニケーションを観察してたけど、彼ら喋らないし、参考にならないから、偽物でもいいから人間を観察しようって思って、ここに来たんだ」
「偽物?」

「うわぁ、見てラブ。今日は満月だよ」
トンネルを抜けると、夜空には輝く星と、大きな月が輝いていた。

わぁ、と圧倒されて眺めていると、隣でアダムが指笛を吹いた。すると、一頭の馬が駆け寄ってきた。
闇の中でも認識できるくらい、輝かしい白馬だった。
ラブの口が、ポカーンと開いた。白馬の王子妄想の話が頭に浮かぶ。

「白馬、本当に来た……」
「どうしたの?」
「へ、ヘビが、白馬の王子が迎えに来るって妄想、若い女の子の病気だって」
「そんな病気があるの?」
「んー、わかんない」
アダムに問われ、ラブは首を振った。アダムは、クスッと笑って、馬の手綱を引き寄せた。胴も厚く、足も太い白馬は勇ましく、聡明な顔をしていた。ラブに顔を寄せてきたので、そっと頬に触れると、スリスリと擦りつけてきた。

「かわいい」
呟いたラブに、「ありがとう」とアダムが照れたように言った。
「アダムじゃないよ、馬だよ」
「えー、まぁ、僕は素敵とか、格好いいの方が良いから、まぁいっか」
ラブがパチパチと瞬きを繰り返した。

「さぁ、行こうか」
「うん」
アダムは、ラブの脇に手を差し入れ、子供のように抱き上げた。
「うわぁ、高い」
「よいしょ、そうだね、気分爽快だよね」
「馬、私も一人で乗れるようになる?」
「うん、あっという間だよ。この子の番が楽園で待ってるよ」
アダムが、ラブの後ろに乗り、ラブを抱き込むように手綱を手にした。
二人の体が密着し、ラブは胸に広がる安心感に唇を噛んだ。
「よし、出発だよ」

真っ暗なはずの夜道は、満点の夜空に照らされている。静寂の世界を駆け抜け、ラブの心は高揚していた。

圧倒的な美しさと、心地よい風、開放感。全てがラブの心を満たした。
荒野を過ぎ、白馬は、林の中を矢のように走った。
「ラブ、ちょっと目を瞑ってて」
「え?どうして?」
耳元でアダムに囁かれ、彼を仰ぎ見た。

「動物のお肉が落ちてるから、見ない方が良いよ」
アダムが、ラブに着せたコートのフードを深くすると、ラブの顔は半分以上隠れた。その中でぎゅっと目を瞑った。

そして、暫く駆けると
「ラブ、到着したよ」
「えっ、もう⁉」
ラブが、フードをはね除けた。

楽園

その言葉に相応しい世界が広がっていた。

楽園の中心には、水路に囲まれた円形の島がある。そこには、大きな木が一本と、後ろに、小さな木が何本か生えている。大きな木は、ラブの実ができる木だ。
木は、枝を大きく広げ、光り輝く赤い実を、一つ実らせている。
周囲を虫たちが星屑のように飛び交い、湖へと渡る橋には、ランプが灯っている。

アダムは、馬から下りると、ラブを抱き下ろした。
ラブは、呆然としていたが、地に足がつくと口を開いた。

「こ、此処だよ」
「ラブ?」
「私が、ずっと思い描いていた場所!此処だった!」
足が勝手に、走り出した。
橋を駆け、木の根に躓きながら、急いだ。
「私の実!」
木の幹までやってくると、高い場所で光る実を指さした。
アダムは、優しく微笑み、するすると木に登り、ラブの実をもいだ。切り離された実は光を失った。
アダムが枝から飛び、ラブの目の前に降り立った。

「はい、さっき実ったばかりだよ」
実は、今まで手にした物よりも、大きかった。興奮して鼓動が高鳴った。

(此処が私の居場所だって、思い知らされる! 初めて来る場所なのに、溜まらなく懐かしくて、ホッとする。涙が止まらない)

「泣かないで」
ラブの頬を流れる涙を、アダムの大きな手が不器用に拭った。荒れた手が、頬に痛い。
「ごめん、色々やったら手が煉瓦みたいになっちゃったんだよ!」
アダムは、コロニーと楽園の二重生活を続けていた。アダムは、ほとんどコロニーの金銭を必要とせず、昼まで仕事をすると、抜け出して楽園に来ていた。

「私、クイナにお薬貰ったから、帰ったら塗ってあげるね」
ラブは、アダムの指を撫でた。ささくれだった皮膚が、ラブの心を擦る。
「えへへ」
嬉しそうに笑うアダムの顔は、ラブの目に焼き付いた。

「さぁ、食べて」
「アダムは?」
「僕は、普通のご飯も美味しいから、大丈夫」
「いただきます」
瑞々しい実を囓ると、口の中に甘酸っぱさと、果汁が広がる。
美味しい。とても美味しい実だった。ふと、驢馬の事を思い出したけれど、そんな出来事も吹き飛ぶくらいだった。

実を食べ終えた後は、楽園の中を散歩しはじめた。
近くには、木で出来た家が、幾つも建てられている。畑もある。沢山の動物たちも暮らしている。
羊の群れの近くでは、羊飼いがうたた寝をしている。
「人が居る」
ラブは、驚いて指を差した。
「そうだよ。この近くには別のコロニーから移住してきた人が居たんだ。だから、僕の別のコロニーから来たって話も、真っ赤な嘘じゃないんだよ」
「そうだったんだ……」
「どう?僕らの楽園は?これからは、ラブの好きなように作るよ」
まかせて、とドンと胸を叩いたアダムが咽せた。かっこつけても決まらない、そんな彼の気負わない自然体な様子が、ラブを安心させる。

自分の居場所は此処に有る。
アダムとなら、お互いに補い合って生きていけると思える。
穏やかで、充実した未来が想像出来る。
本能が、此処だ、この男だと頷いている。

なのに、心が別の所にある。
ラブは、俯いて手を握りしめた。

「私……」
全て正直に話すことが、誠実だとは限らない。でも、アダムから与えられる献身的な愛が、ラブの中で、感謝や喜びと共に、後ろめたさや、追い立てられる焦燥感にもなった。
「しー」
唇に指を当てたアダムが、ラブの言葉と気持ちを押し返した。
「言わなくて、大丈夫。ラブの事は大体わかるよ。それより今日は、もう帰ろう。眠くなってきちゃった」
アダムの大きなあくびに釣られ、ラブも少し眠くなってきた。

「大丈夫。君は此処で幸せになれるよ」
アダムは、楽園の中心を遠い目で見つめた。

ラブは、帰りの馬上で揺られ、いつの間にか眠ってしまった。


必要な物は全部、楽園にある。

必要じゃ無いものは、全部楽園が消してくれる。

アダムの優しい声が、子守歌のように聞こえてきた。
 


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