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「神様のひとさじ」第八話

朝が来て、ラブは部屋にあった服に着替えた。いつものワンピースではない。白の綿Tシャツと、ライトグレーの作業ズボンだ。

飾り気のない髪ゴムで髪をポニーテールにした。
突進するイノシシのように鼻息が荒い。
玄関で、配布されたブーツを力一杯締め上げて履いた。

「よし!」
廊下では、朝食時間の為、誰にも会わなかった。食堂とは真逆の、コロニーの出口へと向かってズンズン歩いた。

(絶対、自分で赤い実を見つけて、ヘビに ギャフンって言わせるんだから!)

ラブは、燃えていた。
バウ バウ
そんな彼女の隣に、サルーキが走り寄ってきた。ラブに感化されたのか何時もより勇ましい顔と鳴き声だ。
「遊びに行くんじゃないからね!」
ワオン
サルーキが頷いた。
二人の歩みは、鉄の扉に足止めされた。扉は鏡のようなシルバーの素材だ。左右にスライドする、引き分け戸だ。電子ロックが解除されないと開かない。

「ちょっと、AI神。外に行くから開けて」
『外は獣が生息していて危険です。作業の場合か、獣と戦える能力が無ければ許可できません。許可がある人物なら、端末で電子ロックが解除されます』
「無いけど、出して。外で探したいモノがあるの」
ラブは、鉄の扉をドンドン叩いた。ラブに習って、サルーキもドアをカリカリ引っ掻いた。
『何をお探しですか? 三日前に外へ調査に行った部隊が、そろそろ帰還します。次回の調査対象に検討しますので、ヘビに詳しく提案してください』
「自分で探したいの!」
ラブは、扉に手を当てて、開けようと試みる。
「あーけーてー」
『許可できません。過去、不用意に外に出て獣に襲われ、帰ってこなかった人間が居ます。以降、コロニーの外に出るには、条件が設けられました。権限がある人間を連れてきて下さい』
「そこを何とか、あけて」
ワオーン
一人と一匹は、ドアの前をウロウロして
押したり
引いたり
叩いたりしてみたが、扉は開かない。

「AI神は、私を此処に閉じ込めて、餓死させる悪魔よ!」
途方に暮れたラブは、床にぺたんと座り込んで叫んだ。サルーキが慰めるようにラブの顔を舐めた。

「おい、何をしている!」
ヘビの叱責する声に、ラブがビクリと震えた。振り向きたくなくて、頑なに扉を見つめ続けた。
「あら、サルーキも此処にいたの?」
クイナの声に、サルーキが顔を向けた。
「お前、こんな所で何をしているんだ」
ラブの視界の右側にヘビが、左側にクイナが入り込んできた。
「外に行くから、扉を開けて」
立ち上がり、扉を指さした。
「何をしに行きたいの?」
クイナが優しく聞いた。
「捜し物をしに行くの」
ヘビを無視するように、クイナの方を見て答えた。
「何をだ!」
ラブは、答えない。
「何を探しに行くの?」
「赤い実の生えてる木を探すの」
「この近くに、お前が求めているような、実のなる木は生えていない」
ヘビは、ラブの視界に入る為、クイナの方へ寄っていった。
「だって、お腹空いたの!」
ラブは、ヘビに噛みつくように言った。

「普通の食事が嫌なら、我慢して栄養調整食品を食べろ。後はサクランボとトマトなら用意してやる」
「本当はもう用意しているの。ヘビ、朝から採取して食堂でラブさんの事待ってたのよ」
ニコニコと語るクイナを、ヘビが目を見開いて視線を送っている。
「いいの。全部、自分で何とかするの」
「何とかするって、どうするっていうんだ。外の獣は、サルーキよりデカくて、早い。アイツらの顎は、人の骨をかみ砕くぞ」
ヘビは、ラブを驚かさないように、ボソボソと語った。
「だって、お腹空いたし、此処じゃない気がするの、何かが足らないの!」
ラブの必死の訴えに、困った顔のクイナとヘビが顔を見合わせた。
「……わかった。もう調査団が帰って来る。処理が済んだら、俺が探しに行く」
ヘビの大きな手が、躊躇いがちにラブの肩にのせられた。
「だって、ヘビ、ラブのこと嫌いでしょ?」
「個人の感情は関係無い。俺はお前を拾ってきた責任と、このコロニーの人間を守る義務がある」
「そんなの無くていい。ラブの為にしたいって思わない事は、してくれなくて良いよ」
二人が言い争っていると、扉の向こうから音がした。
扉のロックが解除された音が響き、三人の視線が扉に注がれた。
扉が開いていく。

「あれ? 皆さんで お出迎えですか?」
外の調査へ向かっていた男達が帰って来た。
コロニーの運営に関わるイルカを先頭に、五人の男が次々と扉を通ってくる。
「お帰りなさい。誰か怪我人はいる?」
クイナが道を譲った。
「いいえ、居ません。相変わらずアダムさんが完璧で、少しの危険も感じませんでした」
イルカは、人懐っこい子犬のような顔で、笑った。
彼は、二十三歳になったが、ベビーフェイスで、未だに十代のように扱われている。恋人のような関係のアゲハによって、右側が長いアシンメトリーなショートカットに整えられた髪が、柔和な顔立ちをひきたてている。

「あれ? そちらの女性は?」
イルカが首を傾げた。
ラブは、自分に話を振られて、ボーッとしていた事に気がついた。
「あぁ、コイツは――おい、待て!」
ヘビが、ラブを紹介しようとすると、ラブは走りだした。まだ開いている扉を走り抜け、廊下を駆け抜け。次のドアに行き当たった。こちらは、金庫の扉のような、もっと頑丈な分厚い扉で、開閉の記録もされる。

「開けて!」
ドアに向かって叫んだ。
ヘビが呆れたように、ラブを追って歩いてきた。
「おい……」
ラブは、振り向かない。グッと握った手が、体の横で震えていた。
「外に何か御用なんですか?」
心配そうな顔で追って来たイルカが声を掛けると、ラブが輝いた目で振り返った。ヘビの眉間に深い皺が刻まれる。

「赤い実がなる木を探したいの!イルカは外から来たんでしょ?見なかった?」
「赤い実のなる木ですか?あー、今回はアダムさんが暮らしていたコロニーの方面で調査してたんですけど、凄く自然豊かで、色んな作物がありましたし、動物も見かけました。今回は奥の方まで行ってないので、もしかしたら――アダムさんが戻ったら聞いてみましょうか?」
「うん!」
「その、アダムはどうしたんだ?」
ヘビが二人の会話に入り込んだ。
「あー、直ぐそこまで一緒に戻ってきたんですが、生き別れた恋人の捜索をしてから戻ると別行動になりました」
「また、勝手な行動を……」
「まぁまぁ。アダムさんは、今回も大活躍で、収穫も中々な物でしたから」
許してあげましょうよ、イルカがヘビをなだめるように懸命に笑顔を作った。

「イルカ、ちょっと尋ねるが、アダムの恋人の特徴を聞いたことがあるか?」
「えっ、アダムさん、恋人の話になると、凄く寂しそうな顔するので、あまり詳しくは。僕らは二人で一つなんだとか、自分にピッタリの女性だとか、慈愛に満ちた素敵な女性だとか、そういうフワッとした事くらいしか」
「そうか」
ヘビは、ラブを見て、意味ありげに首を振りながら笑った。
(何?なんだか、馬鹿にされている気がする)
ラブは、ヘビを睨んだ。

「それで、此方の女性は?」
「ラブです」
「外で拾った変な女だ」
ヘビの雑な紹介に、ラブが怒った顔をしている。
「サルーキ、行こう」
ラブが、ふんっと そっぽを向いて歩き出した。
「サルーキ、お前の その仲間を食堂まで連れてってやれ」
サルーキは、困ったように二人を交互に見て、ラブの後を追いかけていった。
イルカは、そっとクイナに寄っていき
「ヘビさん、どうかしたんですか?いつもと違いません?」
小声で聞いた。クイナは、質問に微笑みで返した。

ラブは早足で進んだ。目的地はない。
ズンズン足を進めていくと、イライラした気持ちも、程よく剥がれ落ちていった。

食堂の前を通り過ぎると、サルーキが、寄っていかないの?と吠えたけれど、歩くのが楽しくなって進み続けた。

(分かってる、ヘビは何にも悪くないし、ヘビの言ってる事は、全部あってる。私が勝手なこと言ってるのも分かってる。でも、何でこんなに上手くいかないんだろう?愛ってこんなに難しいんだ。どうしたら、仲良くなれるんだろう)

グルグルと思考を巡らして歩いていると、前から土竜とキボコが歩いてきた。
道の真ん中を、我が物顔で歩く土竜の腕に、キボコがしなだれかかっている。
(あの二人って驢馬と稲子の、ご両親なんだよね)
ラブは、二人の事を羨ましく思い、ジッと視線を送った。土竜の失われた右耳は見ないように気をつけた。
「何よ、なんか用なの?」
キボコが顎を上げて、言った。土竜の暗い目がラブを見下ろした。ラブは、土竜に見られ、ギュッと自分の腕を抱いた。
「昨日、うちの馬鹿が、君の物を盗ったらしいな」
土竜の口調は、今日も顔に似合わず、囁くように落ち着いている。
「あっ……えっと」
昨日、稲子と驢馬に黒糖を盗られたことを思い出した。
「すまなかったな」
土竜に謝られて、驚いたラブは目を見開いて彼を見つめた。
何か言わないと、そう思うのに、予想外で声がでなかった。
「ちょっと、聞いてんの?」
キボコが、顔を突っ込んで来て、土竜に「黙っていろ」と制された。
「君にお詫びがしたい。これから時間はあるか?」
土竜の口角が少しだけ上がった。彼の皮膚は厚く硬い。表情が変わることは珍しく、キボコがチラリと見て、目を逸らした。
「お詫び?」
「ああ、今日は多くの男達が休息日だ。君も俺達の集会に招待しよう」
土竜の発言に、キボコが不機嫌そうな顔をしている。
「休息日って、お休み?」
「ああ、俺達は仲間内で集まってる。君を、おもてなししよう」
土竜の厚い掌が、ラブに向けられた。
ラブは、言い知れない恐怖を感じ、後ずさりした。サルーキも俯いて、尻尾を足の間に挟んでいる。

(どうしてだろう。行きたくない。何故だか、とっても怖い)

「あの、大丈夫。ラブ、ヘビとお約束してるから」
「嘘言ってんじゃないわよ」
キボコが嘲笑した。
「ホントなの。食堂で会う約束してるの!だから、お詫びは大丈夫です」
「そうか、またの機会に誘うとしよう」
土竜の硬い手がラブの肩をポンポンと叩いて、二人が去って行った。
ラブは、叩かれた肩に目をやり、ブルルと体を震わせた。
「サルーキ……戻ろう」
土竜たちをやり過ごし、逃げるように食堂へ向かった。

食堂に戻ると、サルーキは駆け出していった。ラブが驚いていると、中からやってきたヘビに声を掛けられた。食堂には、もう人は残っていない。
「お前、食堂すら迷うのか?」
「ヘビ」
ヘビの顔を見て、ほっとしたラブは、情けない顔でヘビに近づいた。
「ヘビ……」
ヘビのツナギの肘の辺りを掴んだ。
別れた時には、怒っていたラブが、しおらしくてヘビは困惑した。
「どうした?」
「ヘビ、ラブはヘビと居ると安心するよ」
俯いて愁傷な事を言いだしたラブに、いよいよ心配がつのる。
「お前、本当にどうした。何があった?」
ヘビは、体を倒しラブを覗き込んだ。ヘビのうねる髪が、かけていた耳から広がっていった。
「なんでもない」
ラブは、ふるふると首を振った。そして頭でポニーテールが揺れるのを感じ、手を当ててゴムを取った。
それから、ヘビの髪に手を伸ばした。
ヘビは困惑しながらも、ラブの行動を見守った。
「ヘビ、小さくなって」
「無理だ」
直ぐに答えると、ラブがむっとした顔をして、ヘビは安心して微笑んだ。
「あっち、座って」
「食事しろよ」
「終わったらね」
 
ヘビは、用意していた皿を手にして、ラブの指定した席に座った。トレーには、丸く握ったお握りと、トマトがのっている。
「ヘビの髪の毛は、ラブの髪の先っぽと一緒だね」
楽しそうに髪を弄るラブと、固まって席に座っているヘビ。
ヘビの肩と首は、緊張していた。
「髪質が違う」
「そう?」
「お前の方が、柔らかそうだ」
ヘビのうねる髪を後ろで一纏めにした。そんなに長くない髪は、筆先くらいの量にしかならない。サイドの毛は逃げていった。
「ラブの毛、触る?」
ラブは、くるんとした毛先を掴んで、ヘビに差し出した。ヘビは、暫く固まり、右手をピクリと動かした。
「触らないよね」
ヘビの手が上がる前に、ラブの腕は下げられた。ヘビは数回瞬きをした。
「……良いから、食事しろ」
ヘビが隣の席の椅子を引いた。
「はーい」
ラブは席に着いて、いただきます、とトマトを手に取った。かぶりつくと、ボタボタと溢れた果肉を、ヘビがお皿で受け止めた。お握りは彼の手に取られている。
「おい、しいよ」
ラブの演技は、ヘタだった。
「嘘つくな。食べればそれで良い。不味くても。生きるために必要だ」
「怒らない?」
「ああ」
「味はしないけど、嬉しいよ。ヘビが私の為に用意してくれたから」
「ああ」
ヘビが、ラブの口に向けて、お握りを差し出した。
「えへへ」
ラブは、用意された物を最後まで、ニコニコしながら食べた。空になった皿を見て、ヘビが少し微笑んだ。

「あれ? お二人さん、お揃いで」
食堂の前を通りかかったフクロウが、顔を覗かせ、ニヤニヤと微笑んでいた。
「フクロウ、調査隊の収穫物はどうだった?」
「暫く食卓が豊かになること間違いなし。何と野生の牛が居たんだよね。どっかのコロニーで生み出されて自然繁殖したのかなぁ。他にも色々あるよぉ」
「確かめに行く」
ヘビが席を立って、フクロウに歩み寄った。
「いやいや、ヘビ今日は休息日だから、どうぞ、どうぞ、いつのも、ルーティーン通りやって」
「いつも何してるの?」
ラブが、目を輝かせて二人の元へ走った。
「お前には関係無い」
「パパが教えてあげよう。ヘビは、休みの日は、大体、無駄を楽しみにいくんだ」
「フクロウ」
「無駄?」
「そう、効率が全てみたいに生きてるけど、本当は無駄が大好きなんだよ」
フクロウは、面白いネタを披露するように、満面の笑顔で両手を広げた。
「違う」
ヘビの目は、鋭利な刃物のようだ。
「無駄って?」
「無くても良いものかな? このコロニーにも、無くても良いものが幾つかあるんだ。設計した過去の人類が、新たに生まれる人間に癒やしとか、楽しみを与えようと思ったんだね。ヘビ、そういうの好きで、ぼけーっと眺めてるんだよ」
可愛い所があるだろう、フクロウはオールバックの頭をヘビの肩にのせて、振り落とされている。
「何処にあるの? ラブも見たい」
「連れてって貰いなさい。それを、デートと呼ぶのだよ、娘よ」
「断る」
「でも、ラブ、さっき土竜に俺達の集会に来いって言われたのを、ヘビと約束があるって断ったの」
フクロウと、ヘビが目を合わせた。空気が張り詰めている。
「いいかい、娘。土竜たちの集会には顔を出さない方が良い」
フクロウが、言った。
「何、してるの?」
「あー、まぁ……酒を飲んで、男女で騒いでる。AIは、繁殖の実績に至っている、と規制しないが、色々とトラブルが多い。殺傷事件も起きた。暴力事件も多い」
フクロウが、言いにくそうに語った。ラブは、助けを求めるようにヘビに視線を送った。
「……良いか、今からお前と過ごすのは、あくまで保護だ」
「ん?」
「デートに連れてってくれるって」
フクロウは、口に手を当ててニヤニヤと通訳した。
「訂正しろ。保護した犬の散歩だ」
「わおーん」
犬の真似をしたフクロウに、ヘビが冷たい視線を送った。
「わんわん!」
楽しくなったラブも、フクロウに体を寄せて真似をした。すると、ヘビが無言で背中を向け歩き出した。
楽しんで来て、フクロウは親指を立てて、ウィンクをした。

ラブは、ヘビと歩き出し、土竜とキボコのように、ヘビとくっ付いて歩きたくて、ヘビの腕をじっと見つめた。
(べったり くっついたら、絶対に怒って振り払われる気がする。腕を組んでも嫌がられる気がする。手を繋ぐのも、無理だよね)
ヘビを追いかけながら、観察し、口を尖らせながら必死に考えた。

「ねぇ、ヘビ、手出して」
「何だ」
ヘビは、眉をしかめ、困惑しながらも、ラブが歩いている左手側の手を広げ差し出した。ヘビの長い指と大きな掌に、ラブの胸が高鳴った。
「えい」
ラブは、歩く歩調に合わせて、パチパチとヘビの掌を叩いた。
ヘビはいよいよ混乱し、首を何度も捻った。
「おい、コレは一体何なんだ……」
「え?本当は手が繋ぎたいけど、ヘビ嫌がるから、一瞬で離してるの」
トコトコ
ぺちぺち
すっ――
おっとっと
ヘビの手が引かれ、ラブの手が空振りし、ラブがよろけた。
「何で⁉」
「お前の思考回路が理解出来なさすぎて、恐怖すら感じた」
「ラブが、頭良いってこと?」
「いや――もはや、分類が違う何かかもしれない」
「もー、よく分からないけど、じゃあヘビが選んで良いよ、手を繋ぐのと、腕を組むのどっちが良い?」
「良いだろう」
ヘビが、ラブを見てニヤリと笑った。
「え?」
ラブは、期待に胸膨らませ、満面の笑顔を浮かべた。
「やれるものなら、肩を組め」
煽るようなヘビの言葉に、ラブが「言ったなぁ」と飛びつくように腕を伸ばした。
「ちょっと、届かない!ずるい、背伸びして歩いちゃ駄目!」
「……」
「歩くの速い!」
じゃれて飛びつく犬と、満更でもない飼い主のようだ。


コロニーの埋まっている山は、膨大な地下水を有する。その水をくみ上げて、コロニーで利用している。
くみ上げた水を一部、見えるように流している場所がある。幅四メートルほどのゲートから流れ出る水は、高さ六メートルほど落ちている。此処では、その人工の滝を上から眺める事が出来る。
「どどどー」
ラブは、滝に向かって叫んだ。
「落ちるぞ」
透明アクリル板の衝立に乗り出すラブの服を、ヘビが引いた。
「ラブ、きっと泳げるよ」
「昔、飛び込んで溺れた人間がいる」
「それは嫌」
ブルブルと震えて、ラブが乗り出した頭を起こしたので、ヘビの手が離れた。
「このお水は何処へ行くの?」
「飲食以外の場所に提供されている。ランドリーやトイレ、畑だな」
「へー、ヘビはこのお家の事、全部頭に入っているの?」
「ああ」
「凄いねぇ」
「逆に聞きたい。お前のその頭には、何が入っているんだ」
ヘビは、滝を見下ろして、力の抜けた顔をし、大して興味も無さそうだ。

「ラブが覚えてるのは、ラブの事を迎えに来る男さんと、愛し愛されて、助け合って生きるって事。ラブは、たった一人の相手と一本の木になるの。二人は一つになって絡み合って、男は枝を伸ばして、女は新たな実を実らせます。実は、真っ赤なの。人の血が赤くするんだって」
おいしい、おいしい実がなるの。ラブはお腹に手を当てた。
「……比喩表現なのに、逆に生々しいぞ」
「え?そうなの?」
ラブは、大きく息を吸い込んだ。
「ここは、気持ちが良いね」
「……そうだな」
「水の匂い好き」
「あぁ、俺も好きだ」
ヘビは、そっと目を閉じて、水の音や匂い、肌に触れる潤った空気を楽しんだ。
(変なの。触れてないのに、今までで一番側に居る気がする)
ラブは、空腹が満たされていく気がした。
この空気を壊したくなくて、流れ落ちる水を、静かに眺め続けた。

「楽しかったね。ラブ、凄く満足した。嬉しかった」
居住区に戻る途中、ラブは黙っていた分、五月蠅いくらいにヘビに話しかけたが、ヘビは嫌な顔をしなかった。
「また一緒に行こうね」
「お前が、人並みの食事をするようになったらな」
ヘビは、ラブの目を見て微笑んだ。


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