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「神様のひとさじ」第九話

朝が来て、ラブはクイナに呼び出された。
小さな部屋には、机がコの字に並べられていた。正面にクイナ、右側にキボコ、彼女の後ろに不機嫌そうに足を組んだ稲子が座っている。

「おはよう、ラブさん。そこに座って」
「おはようございます」
ラブは、左側の机に座った。稲子が威嚇してラブを睨んでいる。キボコは、面倒くさそうにラブを見ている。

「今後のラブさんの役割について考えていこうと思うの。ラブさん、食事全然しないし、お金は減っていないだろうけど、何をするにも使う事になるし、何か担当があった方が良いかなと思って」
「要は、働かざる者、食うべからずよ」
キボコが、ラブを指さして言い放った。

「ヘビに取り入ろう、なんて思うんじゃねぇよ!」
稲子は、キボコの肩を掴んで立ち上がった。クイナが、鋭い視線を稲子に向けると、稲子は少し身を引いた。
「ラブは、働き者になります。外で食べ物を探しに行く役割が良いです」
ラブは、机に身を乗り出した。
「アンタ、戦えるの?」
キボコは、脂肪ののった上腕二頭筋を隆起させた。キボコは、強い。銃器の取扱も心得ているし、襲ってくる獣を撃つ事に躊躇いがない。そして。女性の中では泥臭い戦いをさせたら、右に出る者は居ない。女性で単独外出を許可されているのは、クイナとキボコだけだ。キボコは、強く根性のある女には一目を置いて、戦い方の指導もしている。

「これから強くなります」
ラブは唇を噛みしめてキボコを見つめた。
(私が思ってた世界とは、何だか違うの。ラブの外を守ってくれる男さんは居ない。ラブの実を採ってきてくれる男さんも居ない。ヘビは、AI神に洗脳されて、ちょっと違くなってるの。だから、ラブもそれに合わせて進化するの!)

「ラブさん、人間には得手不得手があるの。ラブさんの筋肉量は、コロニー女性の平均を大きく下回っているわ」
クイナの冷静なツッコミに、稲子が手を叩いて笑った。
「お前は、鳩と、動物の世話と雑用でもしてなさいよ」
「稲子さん。鳩も立派に役割を全うしているわ、優劣を付けるような発言は感心しないわ」
クイナに注意され、稲子が顔を逸らした。
「アンタ、今のままじゃ、外に行っても囮にしかならないわ。体鍛えるか、もっと頭使いなさいよ。その外見で脳筋なの?どっかの死んだ女みたいに、男に頼んだら良いじゃない」
キボコの物言いに、クイナが溜め息をついた。
「男さんは、ラブが思ってたのと違うの」
「どう違うって言うのよ」
キボコが好奇心を丸出しにして聞いた。
「それは……」

『クイナ、アダムが帰還しました。メディカルチェックに向かってください』

クイナの端末を通してハジメが声を掛けた。
「アダムが帰って来た」
稲子が目を輝かせた。キボコは、気の多い我が子に、呆れた顔をしている。
「ごめんなさいね。また今度、この話をしましょう」
「はーい」
部屋を出て行くクイナに、稲子が「アタシも行くわ」と付き従っていった。

ラブは、キボコと二人、部屋に残され、自分の椅子を持ってキボコの隣まで近づいて行った。
「何よ、アンタ」
女性達を影で纏めるキボコは、いつも恐れられ、顔色を窺われている。ラブも、気まずくなり直ぐに逃げていくだろうと思っていた。
「あなたは、たった一人の男さんと結ばれて、子供も二人産んだんでしょ?」
「まぁ……そうね」
キボコが、痛んだ長い髪を、見せつけるように払った。
「あの、土竜に会った時に、直ぐに自分の男さんだって分かった?」
「はぁ? 初めて会うも何も、同じコロニーで生まれてんのよ、物心つく前から一緒よ。まぁ、アタシが若かった頃、ここを牛耳ってたのは土竜だった。絶対に私の男にするって思ってたけど」
「すぐに上手くいった?」
「舐めんじゃないわよ。コレでも昔は女王よ。上手くいくに決まってんでしょ」
キボコの微笑みは、少し自嘲気味だった。
「何か違うな、とか思う事なかった?」
「別に、全部が思い通りになるわけじゃない。男に求め過ぎてんじゃないわよ。アンタが、ヘビに覚悟が決まらないなら、やめなさいよ」
キボコの目は、いつになく真剣で、ラブは息を呑んだ。
「……覚悟」
「そうよ。その男と終わる覚悟よ。どんな惨めな最後になろうと、裏切られようと、この男と行くって覚悟よ。その腹さえ決まってれば、何か違うなんて甘っちょろい悩みなんて無いわよ」
かつて、このコロニーは土竜とキボコによって支配されていた。暴力と理不尽に溢れていたが、出生率は高かった。

「ラブ、覚悟、まだ決まってない。お腹空くの切ないの。それに、ヘビはラブの事、あんまり好きじゃないの。多分、AI神に洗脳されちゃったの。でも、ラブはヘビの事ばっかり考えてるし、ヘビといると安心するし、楽しくて嬉しい。これって恋?ラブだけ恋してる?」
「はっ」
真剣な顔で考え込んだラブを、キボコが笑った。いつもの険のある笑いとは違い、表情が緩んでいる。
「面白そうだこと」
「面白くないよ! 困ってるの。だから、相談してるの」
ラブは、ワンピースの胸元を掻きむしった。
「あんた、アゲハとクイナと仲が良いんでしょうが、何でアタシなんかに聞いてんのよ」
「だって、唯一の男と成功してるのは、貴方でしょ?」
「あははは、馬鹿かと思ったら、意外と分かってんじゃない。稲子なんて、アタシの話に耳を貸さないっつーのに。で、何に困ってるのよ」
キボコに問われ、ラブは俯いた。

(何だろう。何に困ってるんだろう。ただ、何か違うの。決まってるものだったのに。唯一無二で絶対なはずだったのに、与えられた役目に身を任せれば良いと思ってたの。でも、ヘビとは、ピッタリと填まらなくて。だから、ヘビと ピッタリ くっ付けるように、足らない部分を自分で、どうにかしようと思ったけど)

ラブは、思考の沼から浮上し、キボコを見据えた。

「何にも無いの。ヘビと上手くいく自信も無いし、頑張ろうと思ったこと、違ったみたいだし、最後まで行く道が全然見えないの。私、一人で歩いてる気がする。このままじゃ、二人で一つの木になれない。沢山実を付けられないの」
ラブは、キボコへと身を乗り出した。
「はぁ?ヤレる気がしないってことね。っていうか、アンタ達、出会って数日じゃない。どれだけ、さっさと決着つける気よ。気が早い!」
キボコは、ラブの頭を軽く叩いた。
「そうなの?」
「そうよ、押したり引いたり、他の男と比べたっていい」
ラブは、口を尖らせて不満そうな顔をしている。
「でも、運命だよ、決まってるの」
「たまげたわ。あんた、二十歳くらいかとおもったら、十三くらいなの? 何よ、運命って。笑わせないでよ。誰が決めるのよ」
「神様」
「はああ?随分、宗教思想の強いコロニーから来たんだこと!洗脳されてるのは、アンタの方よ。いいわ、今日から、アンタの運命は、ウチの驢馬よ」
「違うの!ヘビは、ラブのこと迎えに来てくれたから運命なの」
「そんなの、誰でも良いと一緒じゃない!その頭、バンバン叩いてやるわよ。壊れた機械は、叩けば直るってもんよ」
キボコが立ち上がり、拳を握って、息を吹きかけた。
「やっ!大丈夫。ラブ、壊れてないから!」
ラブは、急いで立ち上がり
「ありがとう、バイバイ!」と部屋を逃げ出した。

「鳩、ラブもお仕事しようか?」
フラフラと畑までやってくると、鳩がニワトリ小屋の中を覗いていた。
「ラブさん、おはようございます」
鳩がラブを振り返り、大きな体を二つ折りにして頭を下げた。
「何してるの?」
「いやぁ、卵を採りたいんですけど、俺、凄くニワトリたちに嫌われてて、攻撃されるし、糞かけられるから、頃合いを見計らってました」
「そうなの?じゃあ、ラブやるよ」
ラブは、言い切る前に、扉の前に置かれた籠を手に取って、ニワトリ小屋の扉に手を掛けた。
「あっ、ラブさん」
「お邪魔します、卵下さい」
ラブが小屋の中に足を踏み入れ、鳩は、ギュッと目を瞑ったが、いつまで経ってもニワトリたちの鳴き声がしないので、ちらっと瞼を持ち上げた。
「卵、何個貰えばいいの?」
金網の中から、ラブが聞いた。
二十羽のニワトリたちは、小屋の端に大人しく座っている。
「えっ、あっ、有るだけ採ってください」
「わかった」
ラブは、籠を手に小屋の中を歩き回り、卵を採取した。
「他には何かやる?」
「あっ、じゃあ、ついでに水を替えるので」
「うん」
ラブと、鳩は役割を分担し、動物たちの世話を行った。動物たちは、ラブの指示に従い、大人しくしている事に、鳩は驚き、感心した。
「じゃあ、最後に、このダストシューターに燃やせるゴミを全部入れちゃいますね。落ちないように気をつけてください。戻って来られませんから」
鳩は、畑の壁に埋め込まれている、鉄扉を開いた。扉は一メートル四方の大きさがある。
「何処へ行っちゃうの?」
「詳しくは知りませんが、細かく切り刻まれて、堆肥にされたりするみたいです」
「へぇ~、よく分からないね」
「そうですね。それより、ラブさん、凄いですね」
作業が、予定より早く終わったので、二人は木の根元で、お喋りをすることにした。ラブの膝には、サルーキが頭を乗せて寛いでいる。
「そうなの?」
「はい、こんなに動物に好かれるなんて、特技ですよ」
鳩に拍手されて、ラブは嬉しくて、はにかんで笑った。
「鳩は特技ある?」
「えっ、特技ですか? 頭も良くないし、気も弱いし。あえて言うなら、体が大きくて頑丈なことぐらいですかね」
鳩は、昔から人一倍、大きかった。不幸なことに、それは自分が小さいことを気にしていた驢馬のコンプレックスを刺激し、嫌がらせを受ける対象になった。
同じく、昔からヘビも背が高かったが、余りに出来が違う彼は、妬み嫉妬の対象にはならなかった。
「鳩は強い?」
「残念ながら、強くは、ないですかね」
「どうして?優しいから?」
ラブは、ヘビよりも背が高く、ウェイトもありそうな鳩を見上げ、首を傾げた。鳩は、ラブに対しても腰が低い。
「それは、コイツが馬鹿で、気が小せぇからに決まってんだろ」
「驢馬……」
二人の背後の木陰から、驢馬が現れた。背後には彼の取り巻きの同世代の青年がニヤニヤ笑って立っている。サルーキが、ラブの影に隠れて唸りだした。
「そろそろ、お前の仕事が終わった頃だろうから、俺達を手伝わせてやろうと迎えに来てみれば……女とお喋りとは、偉くなったなぁ」
驢馬が、体育座りをして居た鳩の背中を蹴りつけた。
「ちょっと!意地悪やめて!」
「はっ、意地悪って何だよ、コミュニケーションだろ」
「意地悪だよ!」
更に蹴ろうとする驢馬を止めようと、ラブが立ち上がり、驢馬に腕を伸ばした。
「ラ、ラブさん、大丈夫です。全然、問題ないです」
鳩は、困ったように笑いながら立って、二人の間に立った。相変わらず、姿勢が悪く前屈みの為に、小さく見える。
「だろー、ちょっとじゃれてるだけだ」
「じゃあ、ラブも あなたの事、蹴る!」
「やれるもんなら、やってみろよ」
驢馬は、ラブを馬鹿にしたように笑い、手招きをした。

ラブは口をヘの字に曲げて、拳を握り、驢馬に一歩近づくと、取り巻きの男達が、囃し立て始めた。畑の動物たちが、鳴き声を上げたり、騒がしく飛び回っている。
「ろ、驢馬さん、もう、行きましょう」
不穏な空気を感じ、鳩が驢馬の腕を引こうとすると、驢馬は鳩の腹を殴った。鳩が前屈みになり、尚も笑っている。
「最低!」
頭にきたラブは、驢馬に向かって行った。驢馬のツナギに掴みかかろうと腕を伸ばしたけれど、手は届かずに両手首を掴まれた。
(あれ?全然、手が動かせない!)
ラブは、目線が同じくらいの驢馬を、敵わない存在だと思っていなかった。しかし、現実的に力の差を思い知らされて、ショックを受けて呆然と驢馬から目を逸らした。
「おい、さっきまでの威勢はどうしたんだよ」
「……」
ラブは、一歩足を下げて、驢馬の腕を引き剥がそうと藻掻いたけれど、腕を引くことも出来なかった。
怖い――初めて直面した感情に、ラブの顔が泣きそうに歪んだ。
「気の強い女は嫌いじゃねーぞ」
驢馬は、ラブを引き寄せて顔を近づけた。ラブは、必死に仰け反った。
「キボコは嫌いじゃないけど、貴方は嫌い!」
「あぁ?」
「ワンワン!」
けたたましく吠えていたサルーキが、駆け出した。
すると、そちらから、ヘビとクイナが歩いてきた。
「何を揉めているんだ」
いつになく低い声のヘビが聞いた。彼の鋭い視線が、ラブの腕を掴む驢馬に向けられ、目が合った驢馬は慌ててラブの腕を離した。
「なっ、何でもねぇよ。この女が殴り掛かってきただけだ」
「……」
「行くぞ!」
ラブが言い返すことなく、俯いてワンピースの裾を握りしめていると、驢馬たちは、いそいそと、その場を立ち去ろうと歩き出した。
「驢馬」
目の前を通り過ぎる驢馬に、ヘビが声を掛けた。驢馬は、ぎくりと体を揺らし、足を止めるもヘビを見ようとはしない。
「AIも、執行部も同性間の諍いや、多少の暴力には介入せず、ペナルティは科さないが、異性へのそれは話が違う。疑われる行動は控えた方が良い。周囲で傍観していた者たちもだ」
「……」
「ヘビさん、今のは本当に何でも無いんです」
「本当に誤解ですよ、気をつけます」
取り巻き達が情けなく笑い、押し黙った驢馬を促し、去って行った。

以前、彼らは若気の至りで、粋がって執行部に楯突き、暴力に訴えたが、一瞬で制圧され、一週間ほどコロニーから追い出された。それ以来、言動は少し大人しくなった。

「ラブさん、大丈夫?」
驢馬たちが去って、クイナがラブに寄り添った。
鳩と、サルーキも心配そうに様子を窺っている。
「……おい」
ギュッと目を瞑って俯いているラブの様子が気になって、ヘビも歩み寄りラブの顔を覗き込もうと体を倒した。

「男さん、ラブと全然違った」
「は?」
ラブが顔を上げて、ヘビに掴みかかる様に迫った。
「ラブの方が、全然弱かった!」
「あ、当たり前だろう。お前、驢馬に勝てると思ったのか?」
「どうして勝てないの⁉」
ラブは、怖くて、悔しくて目に涙が浮かんできた。
「どうしても、何も……」
ヘビは、どうしたら良いのか困惑した。ラブが本気でこんな質問をしているのか、精神的な動揺から言っているのか、両手を広げ、目を泳がせた。
「ずるいよ、男さんのが強いのずるい!」
ラブの無茶苦茶な訴えに、クイナが目を見開いていた。
「か、必ずしもそうとは限らない」
「ん?」
ラブは、ヘビを下から睨み付けた。
「俺は、お前に何時も振り回されてる。それに、考えてみると、俺はお前の手下のような行動をとっている。なぜ、俺はお前の機嫌を取るような行動を?」
ヘビが、首を捻りだした。
「恋愛は惚れた方が負けだと聞いた事があります。あっ、すいません何でも無いです。黙ります」
口を挟んだ鳩が、ヘビに睨まれて小さくなった。
「ラブ、男さんが良かった。なんで女なんだろう」
「それは、私にも少し分かる感情だわ」
クイナが同意すると
「それはちょっと!」
と鳩が再び口を挟んで、顔をそらした。
「思考が短絡的すぎる。困ったら助けを呼べば良い」
「AI神に?」
「俺でも良い」
ヘビの声は、小さく掠れていた。
「ん?」
「俺は、このコロニーの出来事に責任がある」
「それで、ヘビがいつも通り、ご機嫌悪い感じで、嫌々ラブの面倒見るの? ラブにしてあげたいと思わないこと、しなくて良いって言った」
ラブは、握っていたヘビの服を離した。
「お前が、困っていれば、個人的に気がかりにはなる」
「どういうこと?」
ラブが眉を顰めた。クイナは、すっと二人から離れ、鳩に この場から離れようと目配せをした。鳩が頷き、クイナの後を追った。

「だから――お前に何か有れば、確認したいから、呼び出せ」
「確認してどうするの?」
「いや、違う。何かある前に言え。お前に何か有るのは、あれだ……」
ヘビは、ふと自分の前で亡くなっていった女性を思い出した。
バンビが外に出たいと言い、外で運悪く獣に遭遇した、彼の母親、蛍を。ヘビが駆けつけた頃には、獣は集団で彼女に噛みついていて、助からない事は明白だった。彼女の望みを優先し、バンビを連れて撤退した判断は、間違っていない。
バンビの感情も、母を失った子供と思えば、どんな悪しく罵られても、仕方ないことと割り切っていた。
ただ、もしも、その襲われていたのが、彼女ではなくラブだったら。自分は撤退しただろうか。

ヘビは自分の想像に、心臓が重くなった気がした。

「ヘビ?どうかした?」
暗い顔で黙ったヘビが心配になって、ラブがヘビの目の前で手を振った。
「今から、コールの仕方を教えるから、ちゃんと覚えろ」
「え?」
「いいか、妙な発想をもって、行動をする前にも、必ず知らせろ。俺は、お前に危険な目に遭って欲しくない」
「それは、ヘビがそうしたい?」
「……ああ」
「えへへ、じゃあ、ヘビが困った時や、ラブに側に居て欲しい時は、ヘビがラブを呼んでね」
「それは、無い」
「何でよ!もー、なんか、上手くいかない!」
ラブは、文句を言いながら、キボコのことを思い出した。
自分は、早く何とかしようと、しすぎているのだろうか? ラブは、大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

「どうした?」
「ううん、何でもない。ラブ、ヘビが呼んでくれるの待ってるよ」
「……」
ヘビは、ラブを見つめ押し黙った後、ラブに端末の使い方を説明し始めた。ヘビの大きな手に腕を取られ、ラブは先ほどの驢馬との違いを感じた。
ヘビの手は、ラブに礼儀正しく触れていて、くすぐったいほどだった。思わずラブが微笑むと、ヘビが顔を逸らした。でも、彼の手は離れなかった。

気を利かせて、その場を離れたクイナと鳩は、共に廊下を歩いていた。
「前々から疑問だったんだけど、どうして貴方は、いつもやられる一方なの?」
「えっ……」
「やられてばかりでは駄目よ。貴方の方が、大きくて強いはずよ」
鳩は、人一倍、力仕事の雑用をしている。持って生まれた体格の良さと、仕事で作られた体は、驢馬や取り巻きぐらいなら何とか出来ると、クイナは思っていた。
「クイナさんは、強い方が良いと思いますか?」
「それは、時には必要だと思うわ」
「そうですよね」
鳩には、寄り添って生きる相手が誰も居ない。親も、兄弟も、友人も居ない。常に孤独だった。唯一の身の置き所が、驢馬の下僕という役どころだった。もし、それすら失ってしまったら。
でも、最近では新たに話しかけてくれるラブも現れた。彼女がヘビと上手くいけば、彼女の此処での地位は、それなりのものになる。そうなったら、ラブが自分を友人にしてくれないだろうか、そんな想像が鳩の頭を巡った。

「まぁ、私も男性達のコミュニティーには理解が薄いから、あまり勝手なことは言えないけど」
「ありがとうございます。嬉しいです、気にしてもらって。あの、もしも俺が……」
鳩が立ち止まり、何かを言いかけると、通りがかったドアが開いた。
「フクロウ!」
「おっ、丁度良いところに。クイナ、手伝ってくれないか」
グローブを真っ黒にして、工具を手にしたフクロウが、クイナに向かって微笑んだ。
「ええ、良いわよ」
「鳩?悪い、邪魔したか?」
「いいえ、全然。じゃあ、俺、もう行かないと」
「そうか?」
「一体、今度は何を始めたの?」
クイナは、鳩に会釈し、早々と室内へ足を踏み入れた。
鳩は、目を伏せて足早に歩き出した。

ラブは、ヘビと別れ、鼻歌を歌いながら居住区へ向かった。
途中、鍵の掛かる部屋から、寄り添ったアゲハと、イルカが出てきた。アゲハは、今日もボディラインのハッキリと分かる服を着ている。刈り上げた襟足からうなじ、露出された胸へは、つい目線が向かってしまう。
「アゲハ!」
「あー、ラブ。その服気に入ったのね。そればっかり着てない?」
アゲハは、ラブの白いワンピースを指さしてニヤリと笑った。
「うん。とってもお気に入りだよ。ありがとう」
「いいわ、また似たパターンで作ってあげる」
アゲハが、うんうんと頷いた。
「そこ、イルカのお部屋?」
居住区までは、少しあるが、イルカとアゲハから、ソープの良い匂いがしてきた。ラブは疑問に思って首を傾げて聞いた。
「あれ? ご存じないのですか?」
イルカが、黒目がちな目を見開いた。
「ここは、繁殖のお部屋よ」
「繁殖のお部屋?」
「まぁ、詳しい事はヘビに聞きなさいよ」
アゲハは、魅惑的に微笑んでイルカの胸に頭を寄せた。

「そういえば、ラブさん。アダムさんに、赤い実の話を聞きましたか?」
「あー、まだ諦めてなかったの?赤い実」
「まだ、会ってないよ」
「そうですか、アダムさんが、ご存じだと良いですね」
「うん。その、アダムは……」
「あっ!」
ラブが、アダムの所在について尋ねようとすると、アゲハが声を上げた。
「そういえば、明後日は、イベントじゃない!」
「あー」
手を叩いたアゲハに、イルカが頷いた。

「何ソレ?」
「年に一回ある、イベントよ。くじ引きしてペアを作って、女たちの行きたい場所に、男達がエスコートするイベントよ」
AIは、人間達の繁殖のために色んな機会を作っている。
過去の人類に習い、コロニーでは、いくつかのイベントがある。女性からアピールするイベント、男性からアピールするイベント、どちらも参加すると、報酬が貰えるうえ、娯楽に飢えた人々は、楽しんで参加している。

「アダムが、赤い実のありかを知ってたら、イベントで、ソレを穫りに行きたいって、ペアになった男にお願いすれば?」
「う、うん」
「なにその、微妙な感じ。どうしたの?」
「キボコが、男さんに求めすぎるなって」
「キボコに恋愛相談したの?キボコに? あの、キボコに?」
「凄いですね、ラブさん」
イルカとアゲハは、呆れたような驚いた顔でラブを見つめている。
「キボコ、良い事言ってた気がする。だから、ラブ、赤い実、赤い実っていうの暫くやめるの」
ラブは、ペコペコに空いているお腹を押さえた。
「じゃあ、イベントには参加しないの?」
「あっ、個人的に、そのアダムさんに、こっそり、お願いすれば良いのかな!」
ラブは、自らの閃きに歓喜して、両腕を突き上げた。
「いや、いや、駄目ですよ!ヘビさんが好きなら誤解させてしまいますよ。男女が二人っきりでお出かけですよ」
イルカがブルブルと首を振った。アゲハが、その顎を掴んで止めた。
「良いアイデアよ!嫉妬と競争心を煽るのよ。ヘビの気持ちも確かめられるでしょ。コレは、またとないチャンスよ」
「アゲハさん……」
イルカが情けない顔で言った。彼は、いつもアゲハに振り回され、遊ばれている。
「アダムは、いつも皆と食事しないから、夕食の時間になったらコロニーの出口前に行きなさい。何でも、恋人が来ないか外で見張りながら食事しているらしいわよ」
「わかった!」

ラブは、夕食の時間近くになり、部屋を出た。空腹を紛らわす為に、ヘビに貰った飴の袋を取り出して、口の中に放り込んだ。
「……」
味はしない。何となく甘い気がするのは、ヘビの心遣いの味かな?ラブは首を傾げた。

(そういえば、アダムの外見がどんな感じか聞かなかった。どんな人だろう?)

まだ見ぬアダムを空想しながら、コロニーの出入り口付近へと歩いた。夕食時なので、誰にもすれ違わない。
「あれ?」
ラブの手首に填まった、端末が震えだした。樹脂で出来たリングに『C』の文字が浮かび上がって、着信をしらせている。ラブの指が、虫を潰すように文字を押した。
『おい、お前は強制しないと、食事をしないのか』
「ヘビの声だ」
端末から聞こえてくる、不機嫌そうなヘビの声に、ラブは喜んで、端末を誰もいない空間に見せびらかした。
『さっさと、食堂に来い』
『ラブさん、今日もヘビが、ラブさんの為に色々用意してるわよ』
『違う』
端末の向こうからクイナの声もした。
「ラブ、今から用事があるの」
『は?何の用だ』
「アダムって人に会いに行くの」
『……何故だ』
ヘビの声は、一層低くなった。
「えっとね、それは……」
赤い実についてヘビに言うのをやめる。そう決めたのに、それを言葉にするのに躊躇いがあった。
『何の用だと聞いている』
『何の用でも良いじゃない。何故、問いただすの』
クイナがヘビに問いかけた。
『別に、問いただしていない』
ヘビとクイナの空気が悪い気がして、ラブは焦った。

「あの、赤い実の事、知らないかと思って聞きに行くの」
『それなら、必要ない。先ほど、もう聞いたが、アイツは知らないと言っていた』
「そうなのぉ」
ラブは、ガックリと首を垂れた。
(やっぱり何処にもないのかな? あぁ、お腹空いたなぁ)
期待した気持ちがしぼんで、フラフラと壁に歩み寄り、腰を落としてしゃがみ込んだ。
『納得したら、さっさと来い。待ってる』
ヘビは逃げるように通話を終わらせた。
「待ってる?」

ヘビが、自分を?待ってる?

ラブが、嬉しくなって立ち上がろうとすると――


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