「神様のひとさじ」第七話
ピピピ……
ラブは、部屋に帰り、ふて寝を始めた。モヤモヤする気持ちも、グーグー鳴るお腹も、眠っている間は忘れられる。
夜になっても眠り続けたら、部屋の呼び出しボタンが押された。
起きるの億劫で、二度目の音を聞きながら「居ませんよぉ」とドアの向こうに気の抜けた返事をした。
「居るだろう、さっさと出てこい」
「ヘビ!」
ヘビの声に、条件反射で飛び起きた。ラブの顔は、綻んでから顰められた。
(どうしよう。もう、お菓子なくなっちゃったし、お菓子あげようとしてたのも恥ずかしいから、知られたくない)
ラブは、枕元に置いていた、空のお菓子ケースをポケットの中に隠し、足音を立てないように、そっとドアに近づいた。
「おい……聞こえてるか」
ラブの耳が、ドアにピッタリとくっついた。
コン コン
「っ⁉」
ドアが叩かれ、ラブは耳を押さえてしゃがみ込んだ。
「おい、夕食はどうした。お前、昨日から摂取カロリーが低すぎる、食事しろ」
(いらないもん。美味しくない。此処のご飯、全然味がしない。だから食べたくないんだもん! 運命の男さんなのに、ヘビの赤い実、間違いばっかり――お腹空いた!お腹空いたよ!)
ラブは、玄関でしゃがみ込んだまま、泣きだした。
怒られたくなくて、嫌われたくなくて、唇を噛みしめて泣いた。
(何を言ったら怒られるの? 何をしたらバカだって思われるの? 全然わかんない!)
ポタポタと、熱い涙が膝に流れ落ちるのを他人事のように眺めていると、ドアの向こう側、ヘビが一歩下がる音が聞こえてきた。
(か、帰っちゃう!)
会いたくないけど、居なくなるのは寂しい。
ラブは立ち上がって、閉まったままのドアに額を預けた。
「その……何だ、お前の食事に、付き合ってやらないこともない」
ヘビの言葉は、段々小さな声になっていった。ラブは、聞き取ろうと必死にドアに耳を当てた。
「……いくぞ、ラブ」
「う、うん!」
ドアから飛び出してきたラブを見て、ヘビは少しだけ笑った。
「ねぇ、ヘビ。赤い」
実はあるか、というラブの問いかけに、ヘビが食い気味に「無い」と答え、歩き出した。
食堂には、誰もいない。真っ暗だった。
ヘビが電気を点けると、手前のテーブルには、小さなお握りと、厚切りのハムが置かれていた。小さなお握りは、まん丸で、ハムも断面が円で、真っ赤なケチャップが塗られていた。
(美味しそうじゃないのに、また見当違いの食べ物なのに、どうして嬉しいんだろう。まだ食べてないのに、胸が苦しいよ)
ラブの目が潤んだ。
ヘビは、お皿の向かい側に座った。長い脚が、窮屈そうにテーブルの下に仕舞われている。ラブは、一瞬悩んで、ヘビの隣に座った。
「おい、普通、向こう側に座るだろう」
眉間に皺を寄せたヘビは、椅子を動かし、ラブの方を向いて座り直した。そして、お皿をラブの前まで引き寄せると、テーブルに肩肘をついた。
「まぁ、いい。さっさと食べろ」
「……うん」
ラブがお皿を覗き込むと、涙が二つ落ちた。
「お前、稲子と驢馬と揉めて、拗ねてたのか?」
ラブは、怒った顔をして、ヘビを睨んだ。
ヘビは、ハジメから報告を受けた。
「どうせ、アイツらが余計な事を言って絡んできたんだろ? 此処の人間関係は閉塞的で、一生涯続く。適当に流せ。大きな問題があれば報告しろ、必要なら介入する」
ヘビは、気まずそうに目を伏せた。彼は、人の気持ちを推測するのが苦手だった。
コロニーの人間関係の問題は、フクロウが解決していた。解決と言っても、殆どが、とりとめない話を聞くだけで、なぜ何も解決していないのに相手が納得しているのか、疑問だった。
ラブの不満そうな顔が、ヘビを責めているようで、彼は目を逸らし、お握りを手をのばした。それを、ラブに手渡そうと、差し出すと、ぱくり、ラブがお握りにかぶりついた。
「おい、だから自分で食えと」
ヘビの小言を無視し、ラブはお握りの味を探るようにゆっくりと噛みしめた。
どうだ?ヘビの目がラブに問いかけている。
「最初はつぶつぶしてるけど、そのうち居なくなる」
ラブの感想は、味ではなく食感だった。
どうやら、旨くはないようだと悟ったヘビは、小さく溜め息をついた。
「ほら」
ラブの心の問題から逃げた後ろめたさが、ヘビを甲斐甲斐しくさせた。お皿にのったフォークを手に取り、厚切りハムを切り分けて、差し出した。
「えへへ」
ラブが嬉しそうに、ハムに食いついた。
ラブのモグモグする顔を、ヘビが、じっと見つめている。
「ちょっと、くさいけど、上に塗ってる赤いのは、嫌じゃ無いかも」
「ケチャップだ。ミニトマトの仲間みたいなものだ」
「へー、ごちそうさまでした」
「まだ一口づつしか食べてないだろう」
ヘビの鋭い目が、くわっと見開いた。
「んー、貸して」
ヘビの手からフォークを取り上げたラブは、下手くそにハムを刺した。
やっと自分で食べる気になったのか、ヘビは、ラブの方に乗り出していた体を、椅子の背もたれに預けた。
「はい、ヘビ。あーん」
「は?」
「召し上がれ」
ラブは腰を上げて、ヘビの太股に手をついて、フォークをグイッと差し出した。ハムが今にも落ちそうだ。
「やめろ、お前が食え」
ヘビが仰け反って顔を逸らした。
「ラブ、もう良いから、ヘビがどうぞ」
「お前、本当に死ぬぞ。お前が今日、摂取したカロリーは、百に満たない」
ラブの握るフォークは、ヘビの大きな手に奪われ、「食え」と差し出された。
渋々、口を開いたラブが、複雑な表情で咀嚼する。
ヘビは、溜め息をついて、席を立って歩き出した。
「ヘビ?」
(ヘビ、怒ったのかな。ヘビがくれた食べ物、間違いだし美味しくないけど、文句言わなかったのに、美味しいっていった方がよかったんだ)
ラブは残った、ご飯を見下ろして、傷む胸に手を当てた。
少し経つと、ラブの視界にヘビのブーツが入り込んできた。
「ほら、これはどうだ?」
ラブの前に、お皿が置かれた。
これは、きっと。唐辛子せんべいだ。まん丸の、赤い、おせんべいだ。
「……どうした?」
目を丸くして、口を開いたラブが、時が止まったように動かないので、ヘビが屈んで覗き込んだ。
「ありがとう! ラブ、嬉しい。とっても嬉しい!」
「あ、ああ……そうか」
ヘビの口が引き結ばれ、顔が逸らされた。
「いただきます!」
ラブの手が、おせんべいを掴み、かみ砕いた。
「ひぃああ!」
「ど、どうした⁉」
ラブが、せんべいを皿に戻すと、両手で口の中を扇ぎだした。
「おく、おくひぃ、イタい!おくち、いたぁぁい」
ラブは立ち上がり、吸水機へと走った。
コップの水を、ゴブゴブと飲み干すラブを、ヘビが呆然と見守っている。
「バカ! ヘビの馬鹿、それ食べ物じゃ無い!」
「た、食べ物だ! 痛いじゃない、それは辛いだ」
「ラブのこと嫌いなの⁉ でも、酷いよぉ」
「別に嫌だとか、そういう感情はない」
「ラブは、ラブは……今日、ヘビに会いたくてワクワクしてた。ヘビの事ばっかり考えていた。でも、会いたくなくなって、名前呼ばれたら嬉しくて、ラブは、こんなにヘビの事で一杯なのに、ヘビは違うし、ラブのことが鬱陶しいの?」
言葉の波と共に、ラブがヘビに迫った。小さな体で威嚇するようにヘビの元までやって来たと思えば、目の前で頭を垂れて、しょんぼりしていた。
(太陽が昇れば、明るくて、雨が降れば地が潤うように、定められた相手って、絶対じゃないの? 誰に教えられた訳じゃ無いけど、私は、そうだって理解してるのに。まさか、あのAI神を名乗る悪魔に毒されて?)
ラブは、思考が止まらなくなった。その間、ヘビも物思わしげにラブの つむじを一点に見つめていた。
先に口を開いたのはヘビだった。
「俺は、この二日、お前の事で気をもんでばかりだ。お前は普通じゃ無い。言動も子供以上に突拍子も無いうえ、食事もしない。何か、やらかしているんじゃないか、今、何してるんだ……何なら食べるんだ。思考をお前に乗っ取られていた。こんなに疲労感を感じることは無い。だが」
「やっぱり、嫌いなんだよぉ」
ラブは、顔を上げて、八つ当たりで、ヘビの胸を強く押した。しかし、ヘビはビクともせず、ラブがフラついた。
「……おい」
直ぐ後ろの椅子に接触しないよう、ヘビが腕を回して、ラブを引き寄せた。
「すぐに騒ぐな。暴れるな。人の話を最後まで聞け」
ヘビの声も、表情も冷静で、ラブには冷たく拒絶しているように感じられた。
「聞きたくないもん。もう良いよ、ラブ、一人で頑張る!」
ラブは、ヘビの腕の中から抜け出した。
「おい!」
ヘビの顔を、睨み付けて、ポケットの中から、空のケースを取り出すと、ヘビのツナギの胸元にねじ込んだ。
「ごちそうさまでした!」
ラブは、逃げるように走りだした。後ろからヘビの困惑した声だけが追いかけてきたが、すぐに聞こえなくなった。
(もう良い、朝になったら自分で赤い実も探すし、何でも自分一人で、やる!ヘビになんて、頼らない)
悲しみと、寂しさが怒りにすり替わって、湧き上がる力になり、何でも出来る気がしていた。
置いて行かれたヘビは、胸元からケースを取り出した。
中には、少しだけ黒糖がついている。
食堂でクイナに会った時に
「もう、可愛い御礼もらった?」
と聞かれた。フクロウと、ハジメの報告を受けて、ラブが驢馬とキボコと争ったと知り
「あー、何か盗られてたって、バンビが言ってたなぁ」
とフクロウが呟いた。それが御礼か、と察した。
「これか……」
空のケースを、眺めていると、ヘビは自分が笑っていることに気がついた。
この程度の菓子なんて、いつでも手に入る。
「贈られる事が嬉しいのか? 何も無いのに?」
何度見ても、光に翳しても、ケースは空っぽだ。
目に見えない、何かは苦手だった。理解しがたい、他人の気持ちは、もっと苦手だった。
「形はないのに、気持ちが伝わったとでも言うのか?」
今まで、ヘビは他の女性にも色々な物を贈られた。しかし、貰う理由も、受け取る必要も無い物は断っていた。
フクロウは、贈り物は求愛行動の一つだから受け取ればいいと、呆れたように笑った。
「俺は……アイツを受け入れつつある? まさかな」
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