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「神様のひとさじ」第六話

ラブは、一人で鼻歌を歌い、トートバッグを振りながら歩いた。
曲がり角に差し掛かったとき、それは手から飛んで逃げた。

「あぁー!」
バッグは、歩いてきた誰かに踏まれた。
「何だ?」
現れたのは、驢馬だった。
必要以上のガニ股の足が、未だにラブのバッグを踏んでいる。足をどかす気が無いようだ。ニヤニヤと笑い始めた。

「おー、新入りの女じゃねぇか」
「足、どかして。鞄、踏んでるよ」
ラブは、駆け寄って驢馬の足下を指さした。

「はぁ? 知らねぇよ。お前が飛ばしてきたんだろ。もう少しで当たる所だった。申し訳けありませんだろ」
驢馬の言葉に、ラブは口をとがらせて考えた。

(今のって私が悪いのかな? 確かに、ぶつかちゃったかも知れないけど、うーん?)

「おい、聞いてんのかよ!」
驢馬は、ラブの長い髪を掴んで引いた。

「ご、ごめんなさい?」
ラブは、同じくらいの目線の驢馬を見つめて言った。
「最初っから素直に謝れよ。しょうがねぇな、許してやるよ」
そう言うと、驢馬は意地悪く笑い、右足で踏んでいたラブのバッグを、後ろに蹴り飛ばした。
中に入っている、歯ブラシや櫛、ペンやハサミなどが廊下に散らかった。

「あー!」
慌てて広い集めに行こうとしたラブだったが、驢馬がまだ髪の毛を掴んでいて進めない。
「ちょっと、離して!」
「ああ? お前、学ばねぇな。離して下さいだろ」
顎を突き上げて目を見開く驢馬に、ラブは思った。

「貴方、意地悪な人なのね!」
理解したことが嬉しかったラブは、手を叩いて喜んだ。

「何だと、てめぇ‼」
「おい、女と遊んでるな」
驢馬がラブの髪を強く引くと、土竜が声を掛けた。

今日も土竜は、手下を引き連れて歩いている。
群れのボスとしての存在感は格別だ。年齢を感じさせる皺を刻む肉が、硬く厚い。声を張るわけではないのに、有無を言わせない力がある。常に左の口角が少し上がり、微笑んでいるのに、目は少しも笑っていない。
驢馬がラブの髪を離した。

「だってよぉ、親父」
驢馬は、歩いてくる土竜に道を譲るように動いた。土竜の後ろからは、彼の手下達が続く。一番後ろには、鳩が居た。

鳩は、事態に気がつくと、腰を低くし頭を下げながら、すいません、すいませんと、床に散らかったラブの日用品を拾い集めた。

「行くぞ」
「はい……覚えてろよ、クソ女」
土竜たちが立ち去ると、驢馬はラブを殴るような動作をして、付き従っていった。
「大丈夫ですか? はい、コレ。 ごめんね」
鳩は、集めたものをラブに差し出した。

「ありがとう、鳩」
「あのね、ラブさん。彼らには逆らわず、出来るだけ関わらない方がいいよ」
「意地悪だから?」
「ま、まぁ、それもあるけど……とにかく気をつけて、ごめんね」
鳩は、自分は何も悪くないのに、何度もラブに頭を下げて、彼らを追いかけるために走って行った。

ラブは、暫く彼らの消えた方を向いたまま、佇んだ。
そして、踏まれた袋の足跡を確認した。

「お洗濯、どこだろう」


「洗濯物は、ここに入れて支払いをすると、終わった頃に端末が教えてくれるから、取りに来て部屋で干すと良いわ。その袋だけなら、そっちの水道で手洗いする方が良いわ。無料だから」
「へー、ありがとうアゲハ」
ランドリールームには、壁に埋め込まれた扉が並んでいた。
扉は、端末を認識して、支払いをすると開く。

「このコロニーの水は、山の地下水をくみ上げて使ってるらしいんだけど、今は水、余ってるらしいけど、将来人口が増えた時の為に、無駄なく使ってるらしいわ。洗濯の一部の水が、トイレに流れて行くとか。よくわかんないけど、イルカが言ってたわ」
「イルカ?」
ラブは、案内された水道に袋を置いて、アゲハを振り返った。

「今の男」
アゲハは細い顎に、指を当てて答えた。
「今の男?」
「そう、今、繁殖ごっこしてる相手」
「繁殖ごっこ?」
ラブは、すっぱい顔をして考えた。

「繁殖行為を教えてあげて楽しむ、繁殖ごっこよ」

(繁殖行為を教えてあげる?繁殖ごっこ?繁殖って、そんなに難しい行為なの? えっ、どうしよう、ヘビに繁殖しようって何度も言ったけど、全然わかんない)
汚れた袋に、オリーブの石鹸を擦りつけながら、ラブの顔が、虫を追うように彷徨った。

「繁殖って、そんなに難しいの?」
ラブは、真剣な顔で聞いた。
すると、答えはアゲハでは無く、少し離れた場所から聞こえてきた。

「簡単よ。新人、その誰彼構わない女と付き合うのは止めなさいよ」

ラブが振り向くと、そこには一人の中年女性が立っていた。
白くガッチリした体は、胸を強調する紫のノースリーブと、紫のパンツスタイルで締め上げられている。少し薄くなったロングの茶髪は、ダメージを蓄えて、広がっている。
この存在感の強烈な女性は、このコロニーの女ボス、キボコだ。土竜の女で、驢馬の母だ。

「誰?」
ラブの言葉に、アゲハが吹いて笑った。すると、キボコが黒く縁取った目で、ギロリと彼女を睨んだ。

「ここの女を仕切ってる、キボコよ。覚えておきなさい」
キボコは、腕を組んだ。彼女は驢馬と同じく、土竜の威を借りて大きな顔をしている。
「あんたが、勝手に言ってるだけじゃない」
「だまんなさいよ、弾かれ者」
コロニーの女性達は、キボコの不興を買うことを恐れている。
彼女は、気に入らない女に厳しく、AIに制止されない程度の嫌がらせをする。
アゲハは、服作りでAIに認められている。そして魅力的な容姿と、割と容易に繁殖行為を許すので男性に絶大な人気がある。その為、キボコは手が出せず、仲間内の女性を囲って、アゲハとの接触を禁じていた。

「すぐに、来ると思ってた」
「何ですって」
キボコの中では、女性のカースト一位は、クイナだ。そして、次点を争っているのが、自分とアゲハだと思っている。アゲハを孤立させることで、自分の優位性を保とうと考えている。キボコにとって、男に人気が出そうなラブが、アゲハに付いてしまえば、面白くない。
「別に、予想通りだったってだけよ」
アゲハが、呆れたように言った。
ラブは、二人の不仲の様子に、オロオロと泡のついた手を彷徨わせた。

(何だか、凄く仲が悪そう。どうしよう、メスの群れってこんな感じ?)

「とにかく、あんた、何て名前だったかしら?」
「へい!」
突然話を振られ、焦って妙な返事をした。そんなラブをアゲハが笑っている。
「何なのよ、あんた」
短気なキボコは、イライラし始めた。
「あの、えっと……」

(怒ってる、この女の人、怒ってるよ!凄く嫌な顔してる。やっぱり、ヘビは、怒ってなかった。全然イライラしてるの感じ無かった!)

「名前、さっさと名乗りなさいよ!ウチのグループに入れなくするわよ!」
ラブは、キボコに怒鳴られ、ギュッと目を瞑って
「それで、いいですぅ」
情けなく呟いた。ラブは、怖かった。今すぐヘビの懐に飛びみたいと考えていた。
「はぁ⁉」
「あっ……」
つい、言ってしまった。ラブは口を押さえ、泡が唇について苦かった。
「良く考えなさいよ!アンタが困っても、誰も助けてくんないわよ!」
「大して役に立たないくせに良く言うわ」
「はあ!」
キボコは、アゲハの肩をどついた。アゲハは、フラつく事も無く、澄ました顔をしている。しかし、ラブは半泣きになっていた。
「今は、アンタに用があったんじゃないの、そこの新人!」
キボコの手が、今度はラブの肩をガッシリと掴んだ。
「ひゃい!」
「まだ状況が分かってないだろうから、いいわ。少しの間、良く考えなさい、どこに属すれば、このコロニーで平和に生きられるか」
「ラ、ラブはヘビの女になります!」
ランドリールームにラブの声が響いた。すると、凄い剣幕で乗り込んでくる女がいた。

「はああ⁉ このクソガキ!」
キボコの娘、稲子だった。
稲子は、ヘビに惚れていた。今まで、ヘビに手を出そうとする女、全てを母、キボコの後ろ盾を得て牽制してきた。
「あっ、うあっ、あー」
稲子がラブの胸ぐらを掴んで睨み付けた。稲子の顔が目前に迫る。稲子の容姿は、まさに普通だった。父、土竜にも、母、キボコにも、兄の驢馬にも似ていない。彼女だけが、凄く薄い、普通の顔をしていた。
睨み付けられても、キボコほどの迫力がなかった。
「やめなさいよ」
アゲハが、稲子の腕を掴んだ。

「お前は黙ってろ!おい、クソガキ、ヘビに色目使ったら、ぶっ殺すわよ」
「うっ、うー」
「アンタ、そんなだから、男にモテないのよ」
「ああ⁉」
アゲハは、稲子の注意をラブから逸らそうと、話し始めた。
「顔は至って普通で、胸がデカいのに、全然モテない。大体の男が、俺でもイケるって思うから、一番男が寄ってきそうなのに。でも、アンタは性格が最悪すぎて誰も関わりたくない」
稲子は、ラブを投げ捨てるように腕を離して、アゲハに向かって行った。

「もう一回言ってみろ! 私は、ヘビ以外のしょうもない男共に興味は無い。こっちから願い下げよ!それに、アンタが知らないだけで、いつだって誘いを断ってるのよ、馬鹿にすんな! お前も一緒に殺るぞ!」
いきり立った娘に、キボコも呆れたように溜め息を付いている。
「コロニー内で殺人なんて起こしたら、アンタの親父と同じよ。耳切り落とされて、二年間、幽閉。全財産没収。その後の報酬のレートも下がる。おすすめしないわ」
アゲハの言葉に、稲子は、ギュッと拳を握りしめた。そして、殴り掛かろうかとしたとき
「バカ、稲子、その辺にしておきなさい」
キボコが声を掛けた。
「でも、ママ!こいつ、パパのことも馬鹿にしてるじゃない!」
「ここで殴れば、また男共が、この女に可哀想って貢ぎ出すだけよ。アンタの評判も地の底よ」
「くそが!」
「行くわよ……また来るわ、新人」
キボコが、ラブの肩を叩いて、意地悪く微笑んで行った。

二人がランドリー室から消えると、ぐわん、ぐわんと、ホワイトノイズが室内を満たした。

ラブは、どっと疲れを感じた。
泡だらけだった手がヌルヌルして、息を吐き出して蛇口を捻った。

「アゲハ、これって宿敵現るって感じかな?」
濡れた手の水を振り払いながら、ラブは真剣な表情で言った。
「は? 宿敵?」
「ヘビの、繁殖の宿敵」
「そういうの恋のライバルって言うんじゃない?」
「恋?」
「だって、あんたヘビが好きなんでしょ? そういう気持ちを恋って呼ぶのよ」
「好き?」
「そう、私は繁殖行為を楽しむだけだから、恋したことないけど。あんた……ラブは、ヘビとずっと一緒に居たいとか、一緒に居るとドキドキするとか、そういうんじゃないの?」
「私と、ヘビは二人で一つだから、一緒が良いよ」
「……あの男も大変ね。性格最悪な女と、頭の中お花畑と。まぁ、私は、ラブの方が良いと思う。うん。まぁ、何か困ったら言いなさいよ」
「うん、ありがとう」


午後になり、端末が『昼食の時間です』と、ラブに告げた。
ラブは、部屋を片付ける手を止めて、天井を見上げた。
「ねぇ、神様」
『私は、AIのハジメです』
「ねぇ、AI神。赤い実は何処にあるんですか? ラブの男さんは、赤い実を持ってなかったよ」
『このコロニーで栽培されている、食用の赤い実は、サクランボ、トマト、ミニトマト、唐辛子です。ラブさんの実は、ヘビが提供することになっています』
「だよね、ラブの男さんは、ヘビだよね。そのトーガラシ食べたい!」
ラブは、ベッドに腰掛けて、足をジタバタ動かした。
『唐辛子は、味付けに最適です。単体で食べる事はおすすめいたしません』
「いーの、だって、どれも味がしないもん」
『それは、味覚障害でしょうか。午後の検診でクイナに診察して貰って下さい』
「ねぇ、AI神」
『ハジメと、気軽にお呼び下さい』
「恋って何?」
『恋とは、様々な定義がありますが、特定の人物に対して、特別な感情を抱き、一緒に居たい、触れあいたい、などと精神的、肉体的な一体感を共感したい気持ちだと言われています』
ラブは、口元に手を当てて考えた。

(もともと、私とヘビは、一つだったのに、一つに戻りたい気持ちが恋?)

『恋は、人類の再びの繁栄に重要な感情の一つだと思います。当コロニーでは婚姻制度はありません。恋した全ての男性と繁殖が可能です』
「ん⁉」
ラブは、目を見開いて手首の端末を睨んだ。

「貴方やっぱり、悪魔ね!」
『私は、生命体ではありません。生きていませんので、死すら訪れません。神でも悪魔でも、人でもありません』
「いやああ!」
ラブは、恐れおののいて腕輪を取ろうとしたが、抜けなかった。

(私、生きても、死んでもいない何かと会話してた⁉それって、やっぱり悪魔なの⁉)

「へ、ヘビー‼」
腕輪を取って貰おうと、ドアに向かって走り出した。そして、ドアを開けると、ソコには、思い描いた男が立っていた。
「呼んだか? 俺は、アゲハに言われてだな……」
面倒だが仕方ない、そんな体でヘビが立っていた。今日も黒のツナギ姿だ。
彼が、何と言って呼び出しボタンを押そうかと悩んでいると、室内から自分を呼ぶラブの声が響き、ドアが開いた。

「ヘビー、やっぱりコレとって、悪魔だよ」
「お前、まだそんな事を言ってたのか。昼食に来なかったのも。診察を受けないつもりだからか?」
ヘビは、食堂でラブの姿を探したが見当たらなかった。現れたアゲハに聞くと、誘ったけど赤い実がないならいらない、そう言われたと。

「もしかしたら、キボコや稲子に絡まれて気分が滅入ってるのかもね、見てきてやんなさいよ」とアゲハに言われ、ヘビはひとまず無視をした。
無視をして、いつもより早く食事を終え、歩き出した。

「お昼ご飯、トーガラシある?」
「唐辛子? 無い。お前、辛いものが好きなのか?だったら診療後の菓子は、クルミではなく、唐辛子せんべいにしろ」
「トーガラシせんべいってなに?」
「せんべいに赤唐辛子が振ってある。丸くて、赤いと言えるかもしれない」
ラブには、せんべいもピンと来なかったが、ヘビの言葉に目を輝かせた。
「食べる。ねぇ、ヘビ。この悪魔、追い払う呪文とかない?」
ラブは、ヘビの目線に自分の腕を翳す為に、背伸びをした。

「……ハジメ、この女の個別のアシスト機能を最低限に変更してくれ」
『この女では、個別認識できません』
ラブの腕輪を通してハジメが話した。ラブは反対の手で、バシバシとヘビの胸を叩いて急かした。
「……」
ヘビが押し黙った。
「ヘビ?」
「……ラブ、の個別アシストを無しに変更してくれ」
ヘビは、ラブから顔を逸らして言った。
ラブは、ヘビに名前を呼ばれ、喜びが広がった。

「ヘビが、名前で呼んだ!ラブって呼んだ!」
「五月蠅い。黙れ」
「私……ラブのこと好きになった? 恋した?」
ラブは、目を輝かせてヘビを見上げている。
「ならない。恋なんて感情は持ち合わせていない。俺には、お前を此処に連れてきた責任があるだけだ」
「ラブ、ラブだよ」
「時間だ。作業に行くついでに、クイナの診察室まで案内してやる」
ヘビが、素早く方向転換をした。

「ラブ、おいで。一緒に行こうだよ」
「黙れ。それ以上騒ぐなら置いて行く」
ヘビは長い脚で、先を歩き出したので、ラブが急いで追いかけた。

「ねぇ、ヘビ。群れの生活って大変なんだね」
無言で先を歩くラブが、思い出したように呟いた。
ヘビが一瞬止まり、歩く速度が緩やかになった。
「何故だ」
「私、あっ、ラブはね、沢山人が居て、栄える事が良い事だと思ってたんだけど」
「ああ」
「それだけじゃないんだなぁって、ヘビは大変だね。皆の事考えなきゃならないんだもんね」
ラブは、驢馬の意地悪や、キボコと稲子の怒りを思い出した。
今まであった人数は、そんなに多くない。それでも色んな人間が居た。

「俺は、AIの分析を元に、最適解を提示しているだけだ」
ヘビの声が、硬くなった。
ヘビは、生まれた時から、AIに将来の指導者だと言われて育った。誰よりも優秀で、誰よりも正しくあろうと思ってた。

「愛される指導者じゃなくても、ラブはヘビの事を愛するよ。恋もするし、繁殖するよ」
「……」
ヘビの顔が、歪んだ。ラブを振り返り、何かを言おうとして、言葉を噛みしめた。
「ヘビ?」
「お前に、お前なんかに……何がわかるんだ」
ヘビの暗い目が、ラブを冷たく見下ろした。
ピリピリと刺激のある空気が、ラブの心を縮めた。しかし、同時にヘビの心も震えているように見えて、足を踏み出した。

「何を分かって欲しいの?教えてよ」
「……何も、何もない」
すっと、ヘビが体を引いて、再び歩き出した。
ラブは、目の前から消えたヘビの心が、まだ此処にあるようで、掌を包むように握った。
ヘビの背中を目で追って、駆け出した。

(ヘビ、怒ってる。何が駄目だったんだろう)
ぐうう
無言で歩く二人の間で、ラブのお腹の音が響いた。ヘビが呆れた顔で、一瞬ラブを振り返った。

ラブは、お腹は空いたし、ヘビとの関係は上手くいかないし、心の中がモヤモヤとしていた。
俯いて歩いていると、クイナの診察室に到着した。
向き合ったヘビが、ツナギのポケットから、何かを取り出した。

「……何?」
ヘビは答えず、彼の大きな手から溢れる麻の巾着を、ラブの手を取って置いた。
「俺にとっては、不要品だ」
「ん?」
「いらいない物ということだ。お前にとって価値があるなら喰え。お前の腹の虫が五月蠅すぎる」
「食べ物?ありがとう」
ラブは、お腹を押さえてぺこりと頭を下げた。
頭を上げた頃には、ヘビは、もう遠くまで歩いていた。
ラブは、気分が浮上し、ニコニコ笑いながら、巾着を開いた。
覗き込むと、サクランボと、赤い丸い飴が入っていた。

「へへへ……」

(何でだろう、嬉しいのに、ちょっと泣きそう。なんでだろう……変なの)

ラブは、コレを詰めてくれたヘビを想像して、目がジワジワと熱くなった。手の中にある巾着を、そっと抱きしめた。


ヘビの事を考えていたら、クイナの診察もあっという間だった。
「ラブさん、ご苦労様。もう、お終いよ」
「全然痛くなかった」
ラブが、針を刺された指先を、ジッと眺めている。
今日は、身体検査と血液検査、問診を行った。
「そう? それは良かったわ」
身を起こしたラブのお腹から、掛けていたタオルを回収し、クイナが畳んだ。
「それじゃあ、ご褒美のお菓子を用意しないとね」
席を立つクイナの腕をラブが掴んだ。
「いらないの」
「あら、遠慮しなくて良いのよ」
「ヘビに、もう貰ったの」
ベッドサイドに置いておいた巾着を手に取り、誇らしげに掲げた。
嬉しそうに笑うラブに、クイナが優しく微笑んだ。

クイナにとって、ヘビは弟のような存在だ。

「ヘビは、ラブさんのお陰で、本当に良い表情をするようになったわ」
「ん? ヘビ、いつも怒ってるよ」
「怒ってないわ」
クイナは、首を振った。
「そもそも、ヘビが怒っているのは見たことが無いわ。いつも冷静で、心が一段、上にあるみたいだったの。このコロニーの指導者として、沢山反発もあったし、問題もあったけれど、いつも同じ顔してた。見ている方が、苦しくなるくらいね」
「ラブに、ヘビを助けられることある?」
ラブは、クイナに詰め寄った。
ヘビの助けになりたい。その気持ちで、力が湧いてくる気がした。

「私にも分からないの、でも、ラブさんと話しているヘビは、ちゃんと二十代の男の子で、年相応に見えて、ちょっと安心するわ」
クイナの言葉に、ラブが首を傾げた。
「それは、良いこと?」
クイナは、大袈裟に肩を上げて微笑んだ。

「そういえば、さっき、ヘビからメッセージが来て、唐辛子せんべいは有るかって聞かれたんだけど、今きらしてるのよね。てっきり、黒糖クルミかと思ってて、こっちを持ってきたわ」
クイナは、デスクの引き出しから、半透明の小さなケースを取り出した。

「クイナ! やっぱり、それ貰っても良い?」
ラブの両手が、クイナに向かって伸ばされた。
「ええ、そのつもりで持ってきたわ」
どうぞ、ラブの手にケースが渡った。ラブは、急いでサンダルを履いた。
「ねぇ、クイナ。ヘビはお仕事? どこに居る?」
「今、制御室だから会えないわね。音声メッセージ送る? 後で会いに来てって」
「うん」
クイナが、ラブの赤い腕輪をカタカタと押した。そして、話して、と口を動かした。
「ヘビ! 赤い実いっぱいありがとう。御礼がしたいから、ラブの部屋に来てね」
再生時に音が割れてしまいそう――クイナは苦笑し、ラブの腕輪から手を離した。
「これで良い?」
「ええ」
「ありがとう、クイナ」
ラブは、黒糖クルミのケースを大事そうに掌で包み、頭を下げた。
「どういたしまして」

ラブは、居住区まで走って帰ってきた。

(ヘビ、喜ぶかな? このお菓子は、ヘビの好きなお菓子なんだよね。私は、ヘビに食べ物貰うの嬉しい、ヘビも嬉しいかな)
笑顔が溢れる。ラブは、目に映る物が、キラキラしているように見えた。早くヘビに会いたかった。ヘビが喜ぶ顔を想像して、ワクワクが止まらなかった。

(これって、恋?)
ラブは、足を止めて片手を胸に当てた。

「何よ、それ」
「うぁ!」
二階部分の廊下から、稲子が驢馬と歩いてきた。彼女の視線が、ラブのお菓子のケースに注がれている。ラブは、それを背後に隠した。
「何でも無いよ」
「何でもないなら隠さないじゃん、見せなさい!」
稲子が、足音を立てて階段を下ってきた。驢馬もニヤニヤと彼女の後を追ってきた。

「クイナに貰ったお菓子だよ」
ラブは、稲子に胸を押され、後ずさって俯いた。
「大した物じゃないなら、なんで隠すんだよ」
驢馬は、ラブの背後に回った。
「何だ? 本当に、ただの菓子じゃねーか」
「か、返して! ヘビにプレゼントするの」
驢馬がケースを奪い取ったので、ラブは、ソレを取り返そうとした。しかし、稲子に髪を引かれ、手が届かなかった。
「痛いっ」
「バカじゃん! ヘビが、こんな物貰って喜ぶとでも思ってんの? 子供じゃねーんだよ」

稲子は、ラブの髪を放して、大袈裟に笑った。
そうなの?
ラブは、今まで昂ぶっていた心が、しぼんでいった。

「あははは、良かったわ、相手がバカで。私だったら、ヘビにもっと良い物を贈れるし!」
「……」
「じゃあ、仕方ねえから、俺が貰ってやるよ」
「だ、駄目、やめて!」
ケースを開けて、黒糖クルミを食べようとする驢馬の手を掴んだ。
「離せよ!」
二人の身長は、変わらないが、驢馬もそれなりに肉体労働する男だ。力の差は歴然としていて、ラブは片腕で抱き込まれ、動きを封じられた。

「いただきまーす」
稲子が驢馬の手のケースから、見せつけるように食べた。余った分は、驢馬がケースごと口元へ運び、中身を放り込んだ。
「別に、普通。良かったじゃん、恥かかなくて、感謝しなさいよ」
「んー、まぁ、また何か貰ったら持ってこいよ。御礼に、俺が遊んでやるぜ」
「やっ!」
驢馬が顔を近づけてきたので、ラブは、その頬を叩いた。
「痛てぇーな、オイ」
「アンタ、ヘビなんて高望みしないで、驢馬で良いじゃん、お似合いじゃない」
稲子は、笑いながら兄、驢馬の背中を叩いた。

『何か、問題が起こりましたか?』

三人の頭上で、ハジメの声がした。居住区の共用スペースは、昔、殺傷事件が起きてから、ハジメの監視の目が光っている。

「何でもねぇよ」
「新人が喧嘩売ってきたのよ、無視するし」
驢馬がラブを離して、両手を広げた。稲子もラブから一歩遠ざかった。
「……」
ラブは、ケースの蓋を閉めて、駆け出した。
悔しくて、悲しくて、恥ずかしくて
誰もいない所に行きたかった。体を硬くして、俯き、呼吸が苦しくなるくらい走ると、畑までやってきた。

ワンワン
サルーキが尻尾を振って寄ってきた。
遊んで貰えるかと喜んで、ラブに鼻を擦りつけたサルーキだったが、暗い顔して黙っているラブを見上げ、彼の尻尾も垂れた。
ラブが、フラフラと歩き出すと、心配そうに見守り、サルーキも寄り添って付いてきた。

「もう、人間の群れなんて嫌い」
ラブが木の下にしゃがみ込むと、サルーキがラブの涙をなめた。

(頭がパンパンになって、体から出て行っちゃいそう!)
ラブは、握りしめた、空のケースで手が痛んだ。
もう、こんなのいらない。思いっきり投げ捨てようとしたけれど、手はそっと、ソレを地面に転がした。
クーン
サルーキが転がったケースを咥えて戻ってきた。
「……」
ラブは、首を逸らして、膝の下に手を隠した。いらない、とアピールする為だ。

「よぉ、バカ女」
「っ⁉」
また、誰かに絡まれた。ラブは、恐る恐る顔を上げた。

「なんだ、小さい男さんか」
「バンビだっつーの、なんだよお前、ベソかいて泣いてんのかよ!」
バンビは、囃し立てるようにラブを指さして笑った。
「そうなの。バカだし、恥ずかしいし、悲しいの」
「は、はぁあ?」
言い返して来ると思ったのか、バンビは困惑して瞬きを繰り返した。そして気まずそうに、横を向くと、困った様子のサルーキと目が合った。

「何だよ、虐められたのか?」
バンビは、サルーキが咥えていたケースを受け取った。
「わかんない」
ラブは、立てた膝に顔を埋めた。

「何だよコレ、食い物でも取られたのか?」
「ヘビにプレゼントしようとしたけど、そんなの喜ばないって」
「はっ、あの男の何処が良いんだよ」
バンビの声が冷たくなって、ラブが顔を上げた。

「アイツは、人の心なんて無い、女を見殺しにする奴だぜ」
不思議と自分より辛そうな顔をしている子供を前にして、ラブは自分に起きた出来事がよそへ行ってしまった。
「何があったの?」
バンビの表情を見逃さないように、じっと見つめた。
「……」
バンビは、ケースをラブに投げた。うわぁ、辛うじて受け取ったラブが顔を上げると、バンビは、するすると木を登っていた。

「俺と母さんが……外で獣に襲われた時、アイツ、助けに来たのに、母さんを置いて逃げたんだ」
バンビの話は、断片的でラブには情景が想像出来なかった。
「何度も、助けに戻ってくれって言ったのに」
ラブは、目線より高い位置に座ったバンビを見上げた。
「あいつは、母さんを見捨てた」
バンビの顔は、泣き出しそうに目が潤んでいるのに、瞳は強く遠くを睨んでいる。

ラブは、バンビの小さな背中に、そっと手を当て「だっこしようか?」と聞いた。

「はあ⁉ いらねぇよ!」
「そうなの? あのね、ラブ知ってるけど――この地に蔓延る命は、木になって、実ができて、新しい命になるんだよ」
ラブは、目をつむって、いつか見たような景色を思い浮かべた。
ラブと、番う男の上に枝を広げる大きな木。その周囲には、人間達が栄えている。

「何だよ それ、お前の所の宗教か何かか? そういうの求めてねーし。母さんは帰ってこないだろ!」
バンビの怒りは、ラブに向かった。今まで散々、お母さんは、貴方が助かって喜んでいると慰められたり、もう母親は居ないから甘えるなと叱られたりした。どれもこれも、バンビには無神経に心を削っていく敵のように思えた。だれも母を自分に返してはくれない。
「帰って来るよ」
「嘘つくなよ! お前、そんなんだから、虐められたんだろ」
バンビは、枝から飛び降りた。もうバンビは十歳になった。死んだ人間が帰ってこないことくらい。頭ではちゃんと理解している。なのに、そんな夢見がちな慰めをしてくるラブに腹がたった。バンビは、振り返り、ラブをキツい目で睨み付けた。
「ごめんなさい」
ラブは、バンビの表情で、自分が何か間違えた事を察した。
「何で謝るんだよ」
「だって、怒ってるから……あっ、そうだバンビ、声を送る方法知ってる?」

バンビは、怒りをアピールするように眉間に皺を寄せて、ラブの腕を掴んだ。
「相手は? あいつか?」
「うん、ヘビだよ」
腕輪がら、カタカタと音がして、ラブの顔に近づけられた。
バンビが、早くしろと顎をしゃくった。

「ヘビ、やっぱり、来なくて良いです」
努めて冷静に言ったけれど、不自然に単調な声になった。

「ありがとう、バンビ。お母さん、早く また会えるといいね」
「お前、そんな発言してると、鳩みたいにアイツらの奴隷にされるぞ!」
「きゃあ」
バンビは、ラブの足に蹴りを入れた。もちろん彼なりに手加減をしたので、大した衝撃は無かったけれど、ラブは驚いてよろけ、サルーキが、バンビを窘めるように吠えた。

「いいか、そういうバカな発言、もうするなよ!」
バンビは、走り去った。
残されたラブは、どっと気持ちに蓋が被さってきた。


「みんな、難しいなぁ」
深いため息を吐き出し、空腹を訴えるお腹をさすった。


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