極端な 100-0 思考


前に書いた記事


ずっとこれを読んでいる方で

「あらっ?この人言ってることおかしくない?」

と思った方がいらっしゃると思う。

「この前まで批判してたのになんで?」って。



確かに自分はここで、この方の批判をした。

「専門家が精神障害の誤った知識を世間に広めるのはおかしい」

「もしも特定の精神障害についての知識が乏しいなら発言するべきでない」

この主張は今でも持っているし、間違ってないと思う。

専門家である人間がその立場を利用して誤認識を広めるのはよくない。

それは心理分野だけの話ではないと思う。

自分も一人の社会人として専門職を持っている人間なので

その立場を悪用することがいかに恐ろしいかをよく知っている。

だからある1つのことについて口に出す時

いいことばかりを必要以上に誇張するとか

リスクの説明を一切しないとか

自分が知らないのに知ったかぶりするとか

比較対象について知識もないのに無理やり比較するとか

そういう言動を一切しないように自分で禁じている。

プロだからこそやっていいことと悪いことがあると思っている。

だからと言って、「自分はプロだから」と高を括るのも違って

自分は正直なので

知らないことは知らないと言い、逆に教えてもらうこともあるし

自分では気が付かなかった、いいこと・悪いこと

それも同様に逆に教えてもらうことがある。

これはダンスをやっている時に身に沁みて感じてたんだけど

一つの自分の作品を披露する。

それをダンスの同業者と一般人の両方が見ている。

終わった後に感想を聞くと

同業者はほぼスキルの話しかしない。

このターンがどーたらこーたら、ここの振りがどーたらこーたら。

で、一般人はどうかというと全く目線が違って

「全体的にどうだったか」という印象の話が多い。

こういうテイストが好きだった、この曲の踊りがよかった。

で、頭が固い同業者はその一般人の発言をないがしろにする。

「一般人にはわからない」どっかそういう高を括る所がある。

自分はそういう人間が嫌いだったのでそうはなりたくないと思った。

だから寧ろ一般人の発言は大事にしたし

専門技術を極めていけばいくほど見方が狭くなる時期があるので

出来るだけそれを避けたいと思っていた。

この見方がダンスを引退した後も活きていて

今の専門職では大いに役立っている。





それで、「なんで?」と思った方というのは

おそらく100-0思考なんだと思う。

いいか悪いか、極端に振り切った思考をされるんだと思う。

自分は上の部分を批判しただけであって

この方自体が好きだとか嫌いだとかの話はしてない。

オカルト宗教については自分が過去に執拗な勧誘にあって

撃退しまくっていたのでいい印象がないというだけで

この方がオカルト宗教が好きなことに対して批判したわけではない。

別に他人の好みにまで口出ししなくていいと思う。

多分、「なんで?」と思った方はその辺を全部混同されてるのではないか?

とは思う。






最近はなにかあるたびにいちいち騒ぐ人間が多いけど

あれは極端な一方通行の見方をしているからそうなるんだと思う。

一つの出来事、一つの発言を見て

いいか悪いか、その2つの見方しか許されないような風潮さえある。

その風潮を作ったのはSNSがひとつ原因だと個人的には思っている。

人間というのは自分の意見が否定されればされるほど自我を強める。

多分自分だけではないと思う。

SNSはわりとチャット感覚で意見を言い合うことが出来る。

やりとりのスパンが短くなるにつれて

思考することなく感情だけで発言をしがちになる。

発言の瞬発力は高いけど、内容は感情任せで薄いものが多くなる。

早いレスポンスで内容の濃いものを発言出来る人間もいるけど

それはごくごく一部だと思う。

その場所で自分に対して否定的な意見を言われると感情がより大きくなる。

そして本来は内容についての意見を言い合っていたはずだったのに

途中から内容でなくその人間自体の批判が始まる。

そして取り返しのつかないところまで来てそれっきりになる。

この両者は100-0思考になる。

それがどんどん広まって極端なモノの見方しか出来ない人間が増える。

その流れだとかノリでマスメディアも報道するから

余計なコメンテーターの私的発言がクローズアップされがちになる。

個人的にニュースを見る時は報道内容しか見ないようにしている。

自分が知りたいのはあくまでも報道内容であって

コメンテーターの見解というのはあくまでも参考意見にすぎず

その報道内容についてどう意見を持つかは最後に自分で決める。

それが自分のモノの見方なので

「ここはいいけど、ここはよくない」というものも出てくる。

それで自分はいいと思っている。

多角的にひとつのモノを見た結果

100%良い、100%悪い

そう言い切れるほうが逆に少ないんじゃないかとさえ思う。






あと、100-0思考が進んだせいか?

人の話をよく聞けない人間が増えたんじゃないかと思う。

自分は仕事柄、同業者よりも圧倒的に一般人と接触する。

数がハンパじゃないのでその分自分に対して好意を持ってない人間も当然多くいる。

中にはいきなり理不尽な言いがかりをつけてくる人間もいる。

そういう時はとりあえず聞く。

「この人は一体どうして怒っているんだろう?」

話を遮ぎることもなく、聞き流すこともなく

話している最中のごくごくわずかなリアクションを見逃さないように

ちゃんと顔を見ながら、丁寧に聞く。

聞いているうちにその人の話すスピードとか間合いとかが分かってくる。

それでタイミングを図りながらこっちも発言していく。

むやみに口を開けばいいというものでもなくて

場合によっては余計に怒り出すこともあるからそこは細心の注意を払う。

そうやって”会話”していくうちにだんだんとわかってくる。

本当は自分に対して怒っているんじゃなくて

自分と顔を合わす前に何かしらの出来事があって怒っているんだ。とか

自分はどうでもよくて自分の前にあるモノに対して不快感があるんだ。とか

スペースをとっていることで通行の妨げになっているんだ。とか

人によって怒りの理由が、よくよく聞いてみると違う。

それは人の話を聞かない限りわからない。

一方的に怒っているからといってこちらも嫌悪感を抱くのは簡単だけど

それではなんの解決にもならない。

人がアクションを起こすときは必ず理由がある。

だから人の話を聞く。

それで最初理不尽な言いがかりをつけてきた人はどうなるか?

不思議と会話が終わるころには笑顔になる。

多分、「あーこの人は理解してくれたんだ」という証なんだと思う。

そして笑顔で去っていく。

こういうことが自分の場合しょっちゅう起こる。

だから慣れているというのもあるのかもしれないけれど

丁寧に話を聞き、出来るだけその人を理解する

これは自戒としていつもある。

ちょっと特殊な仕事なので他の仕事の人間がどうなのかはわからないけど

こういう100-0思考が進んだ世の中だからこそ強く思う所ではある。






自分は先にも書いた通り「謎の一般人」だから

有名人のようなド派手な影響力もないけど

「謎の一般人」なりに思うことを、少し真面目に書いてみた。






拙い文章お読みいただきありがとうございました。






 #ライフスタイル #メンタルヘルス #自己愛 #パーソナリティ障害 #人格 #多重 #障害 #批判 #専門家 #100 -0 #思考 #極端 #専門職 #プロ #ダンス #モノ #見方 #SNS #感情 #レスポンス #報道 #内容 #多角的に見る #人の話を聞く #理不尽 #怒り #理由 #笑顔 #丁寧 #謎の一般人  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?