作品への想い


(動画を拝借します。)


”ダンサーとして”

自分がステージに立つ時間というのは、ほんの一瞬である。

刹那の輝き

その一瞬のためだけに

その何百倍もの時間をかけて、人が見えないところで練習し創作をする。

圧倒的に人の目に触れないところで過ごす時間のほうが、長い。








自分は、独りでしか創作が出来ないダンサーだった。

とにかく誰かが傍にいると創作がまったく出来ず

他人との共作では、必ず独りで創ったモノをプレゼンしていた。

だから、自分の本当の創作過程を目にしたことのあるダンサーは

ほとんどいない。

ソリストになってからは特に、

その創作過程を知りたいと、

たまに見学っぽいことをしにくるダンサーがいたが

とにかく人がいると集中が出来ず、その人に気を遣ってしまうので

結局何もわからないまま帰っていく、

というのがお決まりのパターンだった。

”ダンサー”としては、かなり過敏で繊細

創作中は人の声が届かなくなるほど

集中力が研ぎ澄まされ、感覚が常軌を逸するので

それもあって、独りでしか創作が出来なかった。







自分は作品を量産することは決して好まず

「しっくりくるモノ」しか創作しなかった。

適当に振付して量産することはいくらでも出来るけど

そういうものは一過性で消費されて終わる。

そうはなりたくない

もっと普遍的でずっと記憶に残り続けるモノを作りたい

ずっとそう思ってやってきたので作った作品の数はそんなに多くはない。

年間に5作品あればいいほう。

だいたい一年で3作品ぐらいのペースで仕上げていた。

これはカッチリ仕上げる作品のことで

これにプラスして完全即興作品もやっていた。

どちらかだけに偏るとどちらかが不足しがちになる。

そのバランスにも気を付けていた。

あと、「作品の使い回し」も自分は基本的にせず

「一作品は一つの場所でしか披露しない」と決めていた。

例外が何作品かあったけど、「全く同じ」ものはひとつもなく

必ずアレンジを加えたりアドリブを即興で加えたりしていたので

基本的にその作品は、その日、その場所でしか見れない。

これは「アウェーが主戦場」だった自分ならではの考え方かと思う。

作品の使い回しをすると、

やるほうとしては慣れも出てきて、安定感も出てくる。

また、ファンのほうも「あぁこれね」という見る方の安心感も出てくる。

それが使い回しの大きなメリットだけど

デメリットとしては「新鮮さに欠ける」というのが付いて回り

「まっとうな反応を受けにくくなる」というものも同時について回る。

作品の生の本当の評価というのは、初出しでしかなされない。

初見でどう思うか。

初見で唸らせることができるかどうか。

その「ホントの生の手ごたえ」が欲しかったので、使い回しを嫌った

かなり珍しいタイプのダンサーだと思う。

だから過去に自分の作品を見たお客さんから

「またあれをやって欲しい」と言われても一切応じないという

頑固さも持ち合わせていた。

そう言ってもらえる作品が作れたというのは凄く嬉しかったけれど

自分の”ダンサーとして”のポリシーには反することになる。

だから「映像として自宅で何度も楽しんでください」と

その都度お伝えはさせていただいた。

実際に生で観たダンスと、映像で観るダンスでは

お客さんの楽しみ方が変わってくる。

自分の場合は「再現性のないダンサー」で

その作品もまた「再現性のないモノ」なので

生の場所でやった作品というのは

また別の場所で全く同じように再現は出来ない。

でも、映像として「何度も楽しむことは出来る」

自分だけかもしれないけれど

「本当にいいモノ」というのは、

たとえ映像になったとしても

「噛めば噛むほど味が出る」

そういうものではないかと思っていて

何度も観ることで味わえる楽しみというのもあるように思っている。

これは、生の場所では味わえない楽しみ方。

本当にいい作品なら、そういう楽しみ方が出来る。

本当にいいモノは、いつだって普遍的なものである。






そういう自分が創った作品は

結構パクリや盗作なんかが多かったりした。

物凄く影響力のある作品のときは

作品だけではなく、衣装や踊り方、テイスト感まで勝手にアレンジされて

「あーねー」となる時が多かったりもした。

腹立たしく思うこともよくあった。

でも、結局そういうものは消費されて、終わる。

それだけは確信していたので

特にパクった人間にあれやこれやと直接モノ申すことはしなかった。

そして自分はそういう表現者を反面教師にしていた。

同じ表現者としてはとてもリスペクト出来ない。








表現者は誰しも「産みの苦しみ」を経験している。

そこから目を反らさず

かといって背伸びすることなく

「自分と真摯に向き合っていいモノを作る」

これを人知れず続けるというのは、結構大変なことである。

でも、そうやって作った作品が日の目を見た時

大きな輝きをもたらす。

それがあるから、表現することをやめないのだろう

そんな風にも思う。






拙い文章お読みいただきありがとうございました。






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