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「洋館の妖しい住人」恐怖ノート 其乃二

運動会は無事に終わった。
優勝は逃したものの、あの日々の充実感は記憶に刻まれている。
村田とは、あれ以来、大袈裟ではなく毎日のように一緒に遊んだ。

彼と仲良くなって1週間後、私は家に招かれた。
村田の母親が一度私に会いたいと言ったらしい。私は緊張した。
村田家は、金沢では指折りの富豪であると同時に、ゴーストハウスという噂もあった。
万引き達人でクラスメイトの白井は、小学校の頃に、一度村田の家に行ったことがあると言った。
その時は、リビングに通されたかと思うと、そのまま帰らされたらしく、私が村田の家に招待されたというと、「もったいない!オレも連れて行け」とせがんできた。
なにがもったいないのか、よく意味がかわからなかったが、嫌な予感しかしない白井を連れて行くわけにはいかなかった。
そんな事前情報が私をひどく緊張させた。

塀のような白壁が永遠と続いているようだった。
壁の向こう側には、杉や銀杏の木が覗いていた。私は、ようやく「村田」と書かれた正門らしき門のチャイムを鳴らすと、お婆さんの声で、「正門にお越しください」と言われた。
あとで聞いた話では、ここは裏門らしく、家政婦や業者が出入りする勝手口だった。

正門は3メートルほどの黒い鉄格子で、監視カメラが二台、私を捉えていた。
格子は観音開きをするようだったが、玄関チャイムを鳴らすと、格子の横の小さい鉄扉がカチリと開いた。
中に入ると、数台の高級車が右手のガレージに並んでいた。どれも塵一つなく磨きあげられ、優雅に日向ぼっこをしているようだ。
私は自転車を引きながら、中へと脚を進めた。左手側には、公園と見紛うほどの中庭があり、唐松や銀杏の木が古い洋館を覆い隠すように密集していた。
ようやく玄関に辿り着くと割烹着姿の家政婦らしき老婆が出迎えてくれた。
居間に通され、オレンジジュースとクッキーが出された。
しばらく1人にされた私は、クッキーや飲み物には口はつけなかった。
行儀が悪いと思ったし、白井の話が気になったからだ。それと、なにも口にしない理由は別にあった。リビングの豪華さに圧倒されていたのだ。高い天井には吊るされた白銀のシャンデリア。ベージュの大理石の床は、外の樹々から射し込む木漏れ日を受けて眩しく、壁には磨き抜かれたガラス棚が隙間なく設置されていて、さまざまな土地から収集されたであろう調度品が丁寧に飾られていた。
まるでNHKでみた現代美術館のようだった。
私は思わず「ヤバっ」と口にすると、白井の(もったいない)はこのことを言っていたのではないか?と合点がいった。
芸術や美術について無知な中学生の私にも、その怪しげなな輝きと優雅さに胸が高揚した。
絵画、壺、クリスタルガラス、剥製、変わった木彫りの人形、古めかしい石盤など、どこか薄気味悪いものもあった。
壁に一際目立つ一頭の鹿の剥製がこちらを睨んでいるようだった。
鋭角に伸びた角は、体長2メートルはあったであろう、雄大な風格を醸し出していた。
私は10分ほど待たされて、退屈のあまりに鹿とにらめっこをしていると、そこへ漸く村田の母親が姿を見せた。
着物を着た和風美人で、薄紫の入った眼鏡をかけていた。気になったことといえば、酷く痩せ細っていることだった。
私はすぐに立ち上がりお辞儀をした。
ジッと私の目を覗き込んでいるような気がした。お母さんは私の正面の椅子に腰を下ろすと、「清水くん、といいましたか」
と掠れた声で言った。
私は黙したまま頷いた。
「あの子にね、お友達ができたのは初めてなんです。あの子があなたを家に呼んでもいい?なんて言うものだから。それがとても悦ばしくて、あなたに一度ちゃんと会ってみたかったのよ」と、話してくれた。
「あとね、息子は少し変わっているけれど、誤解しないであげてね」と、付け加えた。
私はコクリと頷いた。
そう言うと、村田の母さんは表情を崩さず静かに立ち上がると、リビングのドアを開けてくれた。
「コウちゃんは二階にいます、行ってあげてください」と低い声がしたかと思うと、薄暗い廊下の闇に消えていった。
私はなんだか気味の悪い母さんだな、と思ったが、村田も幽霊と話ができるくらいだから、すこし不気味な母さんでもなんら不思議ではなかった。
私はリビングを出ると階段を上がっていった。
部屋のドアから、村田の好きなエアロスミスが漏れ聞こえた。村田の部屋だ。私はノックして中に入った。村田は机に向かっていたが、クルリと椅子を回して「おう!」と笑った。
だが、私は挨拶を忘れて、また驚かされた。

五芒星が描かれたパネルが巨大な額縁に収まり、壁に掛けられていた。
額の横幅は2メートルはあったが、それがなんの意味があるのかさっぱりわからなかった。
本棚には、オカルト本や白魔術や黒魔術の古書、クンダリーニヨーガのチャクラの新書、呪いの書や呪詛返しの方法などと書かれた本や、当時流行っていたオカルト雑誌ムーがぎっしりと詰まっていた。
とても中学生の趣味とは思えなかった。
ベットの上の天井には、鋭い爪で引っ掻いたような痕跡が無数にあり、それはなぜか人間の爪ではないのだと直感的に思った。
村田は、笑いながら「びびった?」と言った。
私は、エアロスミスの音量を下げ、大きく深呼吸をした。「かあちゃん、どうやった?あの人結構厳しくてさ、気に入らない友達は、みんなこの部屋には通さないんだけど、むっちなら問題ないと思ってさ」と、村田は私の肩を二回叩いて労を労ってくれた。
そうか、白井は面接に落ちてしまったのだな、と苦笑した。
私は、近くにあった古い椅子に座り、鏡に映った引きつった顔を修正した。
「しかしヤバいな村田の家、マンガみたいじゃん!ヤバいよ、マジ!」
私の心拍は思いのほか乱れていた。
すると村田は、「しー」と唇に人差し指を充てた。
すかさず真言宗の僧侶が使う、神具の三鈷杵なるものを手に取り、徐に私の頭上でなにやら呪文のような言葉を口にし始めた。
私は突然のことで目を瞑ってしまい、なにが起きているのかわからなかったが、一瞬、動物の呻き声が聞こえた。
驚いて目を開けると、村田は笑って「終わったよ」と言った。
私は意味がわからず問い詰めた。
「さっき、下の鹿に睨まれたやろ?」
あの剥製のことを言っている。
「あの鹿には面白い力があってさ、強い動物の霊が次々に入るのよ。で、来客した人に取り憑いてその人の生命力を試してるんだって、父ちゃんが言ってた」
意味がわからず、私は言葉を失った。
「むっちは平気みたい、なんか気に入られたみたいやね、簡単にでていってくれた、さすがやな」
なにが流石なのか全然解らないが、悪い気はしなかった。

かくして私は、村田家に出入りを許された初めての中学生になったのだ。

つづく


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