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#横浜市中区
【神奈川のこと102】平成、昭和それぞれの象徴(横浜市西区/インターコンチネンタルホテル、中区/ホテルニューグランド)
生暖かい風が吹く1月最後の日曜日。昼下がりのJR桜木町駅に降りた。
よって、これを書く。
職場同僚の結婚披露宴に出席するため、インターコンチネンタルホテルに向かって歩く。
新郎新婦は共に在日韓国人。席次表を見ると、日本の苗字が圧倒的に少ない。女性の出席者にはチョゴリ姿が目立ち、美しい。そして、気になる司会者は、日本語と韓国語の両方で進行する。聞けば新郎の大学時代の先輩という女性。素敵だった。
【神奈川のこと78】はじめての引っ越し(横浜市中区→鎌倉市津)
78回目なので、これを書く。
昭和53年(1978年)1月21日、初めての「引っ越し」を経験した。
正確には2回目だ。1回目は昭和46年(1971年)の暮れ、つまり1歳半の出来事であったから、記憶に無い。生まれた場所である鎌倉市二階堂から横浜市への引っ越しだった。
記憶にあるその「初めて」の引っ越しは、約6年間住んだ横浜市中区根岸旭台の根岸台ハイツから、鎌倉市津の一戸建てへと向かった。
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【神奈川のこと56】初めてのタクシー(横浜市中区)
今週は、久しぶりにタクシーに乗った。
ちょっと疲れていたので、オフィスから四ツ谷駅まで歩くのが億劫になり、「来月から節約する」と自らに言い訳をして、新橋駅まで利用した。タクシーを使うと、15分ぐらい通勤時間を短縮できるのだ。
「こんばんは~。新橋駅までお願いします。外堀通りをずっと行ってください。〇時〇〇分の電車に乗りたいんですけど、間に合いますかね~?」
とまあ、こなれたもんだ。
よって
【神奈川のこと55】八角の風薫る、午前4時の中華街で(横浜市中区)
こないだ、横浜ユーラシア文化館というところで開催されていた、「横浜中華街160年の軌跡」という企画展を観に行った。
よって、これを書く。
あれはまだ相模大野に住んでいた頃だから、平成10年(1998年)~13年(2001年)の間のはずだ。
いつもの仲間、ひのちゃん、のり、要司、山田のおっさんの5人で、県民ホールに佐野元春のコンサートを観に行った時のこと。
コンサート終了後、県民ホール裏手に
【神奈川のこと34】with コロナ(横浜市中区/根岸不動下)
世はコロナ禍。よってこれを書く。
物心ついた頃、家の車はトヨタのコロナだった。
グリーンのボディに2ドア、オートマチック。なかなかイカしていた。
そのコロナに乗って、色んな所に行ったな~。
まず、毎週日曜は山手教会から元町でしょ。それから、野毛山動物園にもよく行った。園内にはね、クジャクが放し飼いにされてて、時折あの鮮やかな羽を開いてるんだ。爬虫類館では、ワニがいつも口を開いたまま固まって
【神奈川のこと26】日本の学校には行きたくない!(横浜市中区根岸旭台)
今日は、5年前に亡くなった母の誕生日なので、このことを書く。私が、母を最も困らせたであろう出来事の一つである。
昭和51年(1976年)9月に、父の母校である山手のセント・ジョセフ・インターナショナルスクール(センジョ)に入学した。
私は友達も出来て楽しく通っていたし、両親の教育方針で入ったわけだが、しばらくして、母はどうもその教育環境に疑問を持ったようだ。
父が通っていた1950年代と、私
【神奈川のこと18】FIRE STATIONでついに迷子(横浜市中区根岸台)
最近、「思い込みが激しいな」と感じることが多いので、このことを書く。
あれは、昭和49年(1974年)、4歳ごろの話だ。
母と2歳下の弟と横浜駅に出かけた。多分、髙島屋にでも行ったのだろう。
その帰り道での出来事。
横浜駅から帰るときには、いつも市営バスの103系統に乗る。終点の「根岸台」というバス停で降りれば、自宅マンションまで約100mの距離だ。
その日、根岸台のバス停で降りた私は、
【神奈川のこと10】22系統の運ちゃん(横浜市中区/根岸不動坂上)
根岸に住んでいた頃、不動坂上というバス停から、横浜市営バスの21系統に乗り、元町で降りて、センジョ(セント・ジョセフ・インターナショナルスクール)に通っていた。
この不動坂上というバス停には、主に21系統というバスが来るのだが、朝だけとか、ごく少ない本数で、22系統と55系統もやってくる。
22系統と55系統は、元町には行かない。確か22系統は、山元町の信号を左折して、伊勢佐木町方面へ向かい、