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神奈川のこと

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#横浜市中区

【神奈川のこと102】平成、昭和それぞれの象徴(横浜市西区/インターコンチネンタルホテル、中区/ホテルニューグランド)

【神奈川のこと102】平成、昭和それぞれの象徴(横浜市西区/インターコンチネンタルホテル、中区/ホテルニューグランド)

生暖かい風が吹く1月最後の日曜日。昼下がりのJR桜木町駅に降りた。

よって、これを書く。

職場同僚の結婚披露宴に出席するため、インターコンチネンタルホテルに向かって歩く。

新郎新婦は共に在日韓国人。席次表を見ると、日本の苗字が圧倒的に少ない。女性の出席者にはチョゴリ姿が目立ち、美しい。そして、気になる司会者は、日本語と韓国語の両方で進行する。聞けば新郎の大学時代の先輩という女性。素敵だった。

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【神奈川のこと78】はじめての引っ越し(横浜市中区→鎌倉市津)

【神奈川のこと78】はじめての引っ越し(横浜市中区→鎌倉市津)

78回目なので、これを書く。

昭和53年(1978年)1月21日、初めての「引っ越し」を経験した。

正確には2回目だ。1回目は昭和46年(1971年)の暮れ、つまり1歳半の出来事であったから、記憶に無い。生まれた場所である鎌倉市二階堂から横浜市への引っ越しだった。

記憶にあるその「初めて」の引っ越しは、約6年間住んだ横浜市中区根岸旭台の根岸台ハイツから、鎌倉市津の一戸建てへと向かった。

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【神奈川のこと71】1998年(横浜市中区/横浜スタジアム)

【神奈川のこと71】1998年(横浜市中区/横浜スタジアム)

石井琢朗、斎藤隆、鈴木尚典。

かつてのV戦士たちが、コーチとして、愛するベイスターズに戻ってきた。

よって、これを書く。

今夏、北海道の球団に属する選手が、突如、東京の球団に移籍するというニュースを見て、すっかり日本のプロ野球界に愛想が尽きた。

ベイスターズもびりっけつだし、もういいやという気分であった。

そんな折、飛び込んできたこのV戦士たちのコーチ復帰のニュース。

心が沸き立った。

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【神奈川のこと69】ばっちいスープ(横浜市中区/根岸台ハイツ)

【神奈川のこと69】ばっちいスープ(横浜市中区/根岸台ハイツ)

数年ぶりにかみさんが買ってきてくれた。

よってこれを書く。

「人生の最後に食べるとしたら何か?」

「明日、死ぬとしたら何を食べたいか?」

この手の質問がよくある。

明確である。

唯一無二でこれである。

キャンベルのクリームマッシュルームスープ。

昭和50年(1975年)前後、物心のついた時に暮らしていた根岸台ハイツのダイニングでの朝ごはんによく出てきた。

「ばっちいスープ」。

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【神奈川のこと56】初めてのタクシー(横浜市中区)

今週は、久しぶりにタクシーに乗った。

ちょっと疲れていたので、オフィスから四ツ谷駅まで歩くのが億劫になり、「来月から節約する」と自らに言い訳をして、新橋駅まで利用した。タクシーを使うと、15分ぐらい通勤時間を短縮できるのだ。

「こんばんは~。新橋駅までお願いします。外堀通りをずっと行ってください。〇時〇〇分の電車に乗りたいんですけど、間に合いますかね~?」

とまあ、こなれたもんだ。

よって

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【神奈川のこと55】八角の風薫る、午前4時の中華街で(横浜市中区)

こないだ、横浜ユーラシア文化館というところで開催されていた、「横浜中華街160年の軌跡」という企画展を観に行った。

よって、これを書く。

あれはまだ相模大野に住んでいた頃だから、平成10年(1998年)~13年(2001年)の間のはずだ。

いつもの仲間、ひのちゃん、のり、要司、山田のおっさんの5人で、県民ホールに佐野元春のコンサートを観に行った時のこと。

コンサート終了後、県民ホール裏手に

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【神奈川のこと54】マイカル本牧と、ブルースと(横浜市中区)

昨日の朝、最近の土曜ルーティン、大船での五十肩リハビリテーションの帰り道。自宅までウォーキングで柏尾川沿いをゆく。耳には、NHK-FMの音楽番組。ふと一瞬、日本のブルースバンド、「憂歌団」のボーカリスト、木村さんの名前が出た。

よって、これを書く。

大学生の頃と社会人となった20代、たまにマイカル本牧へ行った。

バブル時代の絶頂期とも言える、平成元年(1989年)にマイカル本牧は誕生。すなわ

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【神奈川のこと34】with コロナ(横浜市中区/根岸不動下)

世はコロナ禍。よってこれを書く。

物心ついた頃、家の車はトヨタのコロナだった。

グリーンのボディに2ドア、オートマチック。なかなかイカしていた。

そのコロナに乗って、色んな所に行ったな~。

まず、毎週日曜は山手教会から元町でしょ。それから、野毛山動物園にもよく行った。園内にはね、クジャクが放し飼いにされてて、時折あの鮮やかな羽を開いてるんだ。爬虫類館では、ワニがいつも口を開いたまま固まって

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【神奈川のこと26】日本の学校には行きたくない!(横浜市中区根岸旭台)

今日は、5年前に亡くなった母の誕生日なので、このことを書く。私が、母を最も困らせたであろう出来事の一つである。

昭和51年(1976年)9月に、父の母校である山手のセント・ジョセフ・インターナショナルスクール(センジョ)に入学した。

私は友達も出来て楽しく通っていたし、両親の教育方針で入ったわけだが、しばらくして、母はどうもその教育環境に疑問を持ったようだ。

父が通っていた1950年代と、私

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【神奈川のこと18】FIRE STATIONでついに迷子(横浜市中区根岸台)

【神奈川のこと18】FIRE STATIONでついに迷子(横浜市中区根岸台)

最近、「思い込みが激しいな」と感じることが多いので、このことを書く。

あれは、昭和49年(1974年)、4歳ごろの話だ。

母と2歳下の弟と横浜駅に出かけた。多分、髙島屋にでも行ったのだろう。

その帰り道での出来事。

横浜駅から帰るときには、いつも市営バスの103系統に乗る。終点の「根岸台」というバス停で降りれば、自宅マンションまで約100mの距離だ。

その日、根岸台のバス停で降りた私は、

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【神奈川のこと13】幻の初恋(横浜市中区根岸旭台)

根岸旭台のマンションに住んでいた、昭和50年(1975年)前後のこと。

隣にちょうど同い年ぐらいの女の子がいる家族が引っ越してきた。

そして、その女の子のことが好きになった。

今はもう名前も顔も思い出せない。顔を思い出そうとすると今は、NHKのチコちゃんが出てきてしまうのだ。

ただ、話した時や触れ合った時の、胸の奥がじわ~んとなる、温かくてくすぐったい感覚は覚えている。

その子は、おてん

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【神奈川のこと12】初めてのテレビ出演(横浜市中区/根岸森林公園)

あれは、今は無きサンタマリア幼稚園に通っていた、昭和49年(1974年)頃だったと思う。

人生で初めてのテレビ出演をした。

その撮影は、自宅マンションのすぐ近くにある根岸森林公園で行われた。

ちなみに、当時は森林公園ではなく、皆、「けーばじょー」と呼んでいた。何せ、日本初の洋式競馬場の跡地に作られた公園だったから。今でも残っているあの当時の観客席の建物が、この公園の象徴であり、また、何とも言

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【神奈川のこと10】22系統の運ちゃん(横浜市中区/根岸不動坂上)

根岸に住んでいた頃、不動坂上というバス停から、横浜市営バスの21系統に乗り、元町で降りて、センジョ(セント・ジョセフ・インターナショナルスクール)に通っていた。

この不動坂上というバス停には、主に21系統というバスが来るのだが、朝だけとか、ごく少ない本数で、22系統と55系統もやってくる。

22系統と55系統は、元町には行かない。確か22系統は、山元町の信号を左折して、伊勢佐木町方面へ向かい、

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【神奈川のこと9】「野生の王国」トムソンガゼルの回(横浜市中区山元町)

まだ横浜の根岸に住んでいた昭和50年(1975年)前後、5歳ごろの話。

その日は、母と弟と一緒に、浅間下にある母の実家を訪れた。

木曜日だった。なぜ曜日を覚えているかというと、それは、野生の王国の放送日だからだ。

野生の王国とは、木曜日19:30からの30分、毎回様々な動物を特集するテレビ番組だった。

今なら、さながら「ダーウィンが来た!」だが、野生の王国は、アメリカかイギリスの番組の吹き

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