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「老い」について真面目に考える~認知症の母を前に今、感じること

こんにちは、OgAzです。

今年に入って急に視力が低下し、健康診断の結果でも視力に△が入っていました。ああ、いよいよ私にも来たのね、老眼が。そういえばここ数年で筋力もすっかり衰えたし(ある意味昔からではあるのだけど)、白髪も目立つようになってきたし、一生懸命洗顔しても消えない目の下のクマ。「ママ、顔にシミがたくさんあるよ、美白クリーム塗ったら?」悪意のない次男「ちびた」の一言が、痛恨の一撃となって私を撃沈させてくれる今日この頃です。覚えてろよ

ふと振り返ってみれば、実家の母はパンデミック直後あたりから認知症になり、父は元気だけれど母の介護で大変そう。実家で一緒に暮らす兄は一生懸命働いているけれど、ふと「父と母がいなくなったらどうなるんだろう、あの人(私は面倒見切れないんだけど)」と不安に感じたりします。自分だけでなく、老いは割とすぐ目の前まで来ているものです。

「老い」は未知の世界。だからこそ不安が多い世界。でもそれで暗い気持ちになるのもなんか悔しいなと思っている私です。ということで今日は、母と自分を含めた「老い」について考えていきたいと思います。

「老い」の定義

個人的には「老化」って言うより「老い」のほうがマイルドでいいなと思っています。まあそんなに変わりはないんですが、なんか「老化」ってすごく、それこそ老け込んでしまうような圧迫感があると思うのです。だからあえて「老い」と使いたい。

「老い」の定義的な意味を調べてみようとググったところ、「あなたの言葉を辞書に載せよう。2018」というキャンペーンの応募作品を発見。こんなキャンペーンがあったなんて今の今まで知りませんでした。

コトバンク」に紹介されていたものが秀逸だなと思ったので、一部ご紹介します。

◆わが子に𠮟られるようになること。
◆一時期は敵と感じるが、受け入れ、友になると人生が豊かになる。
◆筋肉痛が2日遅れでやってくること。
◆忘却のための時限機構。
◆白くあってほしい所は黒く、黒くあってほしい所は白くなっていくこと。
◆恐ろしいことが少なくなること。
◆過去が増えること。
◆動けるのに動かないこと。考えれるのに考えないこと。

コトバンク「老い」の解説

読んでいて一部切なくなるのですが、後半の3つが特に「確かにな」と感じました。経験が増えると、未知のものは減り、恐ろしいことは減る。そうすると、必要以上に動かなくなる。必然的なことかもしれませんが、いくつになってもあがき、もがき続ける人生でありたいなと感じずにはいられませんでした。

母の認知症

パンデミックで自粛生活が続いていた時期、名古屋の実家にいる母から突然泣きながら電話がかかってきました。仕事が終わって一息ついていた夕暮れ時、何事かと思って聞いたところ、支離滅裂な話をされました。要約すると、こうです。

  • 母は家とは違うところに閉じ込められている

  • 家具の配置などは家と全く同じで、家のすぐ隣にある部屋

  • 家の駐車場(マンションの集合駐車場)に部屋がある

  • 知らない男の人が母に勉強を強制してくる

  • 知らない女の人もいて母のことをきつく叱ってくる

  • 早く家に帰りたい

え、なに?誘拐!?超怖いんだけど知らない男の人って何なのと動揺しながら聞いていたのですが、結局よくわからないまま電話は終了(というか気が済んだらしく一方的に切られた)。謎すぎて大混乱の私。何?何がどうなってるの?と慌てて父に電話しました。

結論として、認知症の初期症状によって空間認識能力が低下しているからなんだということが判明。よかった誘拐じゃなくて。「家のようなところ」と母が言っていたところは当然ながら家そのもので。おそらく母が、自分の実家(三重県にあります)を懐かしむあまり「ここは私の家じゃない」と心のどこかで思っていたせいで、家なのに別の場所と認識しているのだろうとのことでした。「知らない男の人」「知らない女の人」はともに父のことらしく、父のことをときどきふっと忘れてしまうのだとか。え、目の前にいる人を忘れるとか何それ怖い。「勉強を強制してくる」は、老化防止のために父がナンプレやパズルなどを進めたことが、そのように捉えられてしまったらしいです。

認知症の何たるかも全く知らなかった私、何事かととにかく大慌てだったわけですが、本を買ったりして症状について勉強しました。まさに未知の世界なもんで。Twitterで私がたくさん参考にさせてもらっている「病理医ヤンデル」さんが紹介していた本が良かったです。とってもわかりやすい。

母の生き方から見る「老い」

母は典型的な専業主婦。私が「育児をしながら働く」という話をしたら「夫が甲斐性なしだ、子どもが可哀そう」とか言われるくらい、「女が子どもを放り出して働くなんて!」という考え方を今でも持っている人です。時代錯誤も甚だしいんですけど。まあ、私が就活で精神を病みながら必死に得た内定に対して「どこそれ?聞いたことないけど」と鼻で笑った母なので、仕方ないのかなとも思います。

母の実家はそれなりに格の高い家だったようで(本人談)、それゆえ母は根っからのお嬢様です。厳しかった父親(私から見た祖父)の言いつけを守って育ち、初めて言いつけに背いて夫(私から見た父)と結婚し、その後は夫の言いつけを守り従順に生きてきた人です。いや、言いつけではなく「顔色を窺いながら」と言ったほうが正しい。母は昔から自分の両親に、そして夫に対して顔色ばかり窺っていたように思います。そんな従順な母に育てられながら、私は父にそっくりな、こんな批判的な人間に育ちました。これは遺伝子の勝利です(謎)。

父が定年退職で家に毎日いるようになってからも、相変わらず父の顔色を窺いながら過ごしていた母は、あるときからずいぶんと情緒不安定になっていきました。泣きながら夜中に電話をかけて来たり、外出先でお漏らししてしまったり。たぶん四六時中父に気を遣っていて、ストレスが限界に達したのではないかと思うのです。自分の夫に対してどうしてそんなに気を遣うのかは謎ですが。

情緒不安定になってからは、電話でたびたび父の悪口を聞かされました。自分もそうなのですが、年を取ると昔の話をしがちになるものですね。私が子どものときの出来事を急に出してきたと思ったら「あれは本当は私は嫌だったのに」「行きたくなかったのに」「興味がなかった」などとまくしたてて悪態を付いていました。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことなのかなあと思いつつ、私の中では子どもの頃の「楽しかった思い出」だったものを悪く言われると、少し悲しく感じました。母にだって楽しいと思った思い出は、たしかにあるはずなのにね。

いつか忘れられてしまっても

母の話は夫や子どもたちにもちゃんと共有するようにしています。隠すことでもないかなと思うので。長男がボソッと「ばあば、俺のことも忘れちゃうのかな・・・」と言っていて、泣きそうな気持ちになりました。

実は母の母、私の祖母も認知症の末に亡くなりました。亡くなる直前にお見舞いに行ったら、祖母は私に向かってにこやかに「あなた、だあれ?」と聞いてきました。高校生だった私、ものすごく驚いて、でもすごくショックで、そのまま何も言えなくなってしまいました。決しておばあちゃんっこだったわけではなくて、むしろ割と疎遠だったほうなのに、「誰かの記憶から存在がなくなる」という事実にただただ愕然としました。

その時の感覚は、今も覚えています。だからこそ、我が子たちにその時のことを今話すようにしています。とてもショックだったこと、でも母にもその可能性はあるし、病気だから仕方ないんだよと言って聞かせるのです。悲しいけど、悲しいからこそ、私たちはちゃんと覚えていてあげようね。自分に言い聞かせる気持ちで、子どもたちに伝えています。

結び|「老い」とは削ぎ落していくこと

年を取るということ、老いとは、これまで積み重ねてきた過去の経験から、不要なものを削ぎ落としていくことだと私は思います。小さな記憶のカケラは削ぎ落して、心に刻まれた数少ないものだけを抱えて、旅立つための準備をすることだと。ただ、削ぎ落とされるものは、本人にとって悪いものだけでなくいいものも含まれていて、悪いものだけ残ってしまうと、老いてなお悲しい日々になってしまうんじゃないかな。老いによって多くの記憶が削ぎ落とされても、楽しい思い出だけ残っていれば、たとえば家族のことを忘れてしまったとしても、きっと幸せに生きられるんじゃないのかなあ。母はきっと、楽しい思い出ばかりを削ぎ落してしまったんだろうと思うのです。

40を過ぎてしばらく経ち、私にも目立って「老い」を実感することがあります。子どもの問題集の計算がパッとできないこととか。言いたい言葉がパッと出てこないこととか。きっとこれからの私の人生に、それらはあまり必要ないということなのでしょう。「老い」とは、悲しいこと?そうではないと思います。老いた部分も含めて、自分を愛してあげることができれば、きっとそれは悲しいことにはならない。体のあちこちは衰えてきているけど、それって私の体が40年ちょっともの長い間、頑張って働いてくれているからってことです。ありがとう、私の体。お疲れ、私の体。と思うことにしています。

衰えたところも含めて今の私で、今の私にしかできないことがある。そうやって思いながら、母の「老い」と自分の「老い」と、じっくり向き合っていかなければいけないんだろうなと考えています。家族の介護で苦労されている方もたくさんいる中、介護する人もされる人も笑顔でいるために、何ができるのか。今も、考えています。

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