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偽の純情を携帯する


 
 想いを寄せる相手の家に住むだけでなく、共に外出して「おはよう」から「お疲れ様です」まで聞き、帰宅後は幾らか構われて、決まった時間に彼女を寝かし付け、自分はいつでも傍に居る。
 同棲を超えた仲、だがしかし、交際はしていない。相も変わらず、あちらにとって都合のいい男であり、恋愛対象外だった。
 毎晩「おやすみなさい」に期待を懸けては裏切られ、虚しく朝を迎えていた。
 切ない片想いの話、と言うより今現在、ほのかのスマートフォンだ。


 6月、恋人と別れたばかりでどうにか喪失感を埋めたい彼女から『寂しい。げんちゃん慰めて』との連絡が入る。
 俺とほのかの付き合いは半年程だが、こちらの方が年下だからか、弱った時に頼ってくるのは初で、いつもの如く褒めちぎり、自信を取り戻させる、または、とにかく聞き役に徹し、傷心を癒すつもりが先走る気持ち、
「もうさ、俺にしとけば」
よりによって最悪の台詞が溢れ出た(どこ目線だよ)。


 不幸中の幸いは自宅のバルコニーで、電話越しに口説き、向こうの表情が見えなかったことくらい。ついさっきは涙声で甘えてきても、この時点でシャットアウトされ
「梅雨の湿気かな?」
遠回しに鬱陶しいと振られる。除湿完了。
 友人止まりを卒業できる絶好のチャンスかも知れない、などと勘違いした自分のせいで関係が壊れてしまった。


 バルコニーのモダンな手摺をぐっと掴んで、暗闇に包まれた隣家の庭に目をやり、途方に暮れ、振り返ると同時にたたらを踏み、エアコンの室外機にぶつかる。


 ほのかの〈彼氏〉になりたかった。
 思わぬ痛みで動けず、通話を切られ、スウェットパンツのポケットに突っ込んだスマートフォンを取り出して『フラれたのに諦められない』『まだ好き』といったワードで調べる。
 カッコ悪くとも間違いを正解に変える方法を探し続け、何ヶ所も蚊に刺された。
 すると『恋が叶うおまじない☆』とやらを見つけ、普段の俺なら気にも留めずに指を滑らせるが、切羽詰まってページを開く。
……
…………


 ほのかとの出会いは高校。ダンス部の気が強そうなギャル、やたら同性のファンが多い人、モデル並みのスタイルを持つムードメーカー、個性的なファッショニスタ、夏祭りのような目立つグループに混じった清楚で控えめな子にうっかり一目惚れして、2つ年上と判る。

 淑やかな振る舞い、微笑みを絶やさず、言葉遣いが綺麗、丸顔、斜め前髪、ボブ、垂れ目の下にほくろ、忘れ鼻、ふっくらとした唇、ほんのりピンクがかったナチュラルメイク。
 可憐に見えるも、不思議とクラスメイトは口を揃えて「ほのか先輩はムリ!」と言った。

 
 遠くから眺め、幻想を抱くのみで儚く終わったと思いきや、俺がアルバイトしているコンビニエンスストアの駐車場にて、妙に厚着、且つニット帽を深くかぶる怪しげな中年男性にほのかが絡まれており(実際のところは彼女の父であった)、誤解をきっかけに友となる。
 じっくり交流を深めるうちに大学のサークルで知り合ったらしい〈あらたくん〉に掻っ攫われてショックを受けたけれども、最終的には俺を選ぶだろう。
 恥ずかしながら、信じて疑わなかった。


…………
……
「あー、やっと電源入った。突然落ちるとか何、あいつの呪いかよ」
 目が覚めてすぐ、缶チューハイ片手にこちらを睨み付ける低い声の、いかにも機嫌が悪そうな女に全身を突かれる。
 度の強い眼鏡、てかてかと光る肌、首回りがよれたTシャツにショートパンツ、橙の常夜灯、床を埋め尽くすような衣類、凄まじく荒れ果てた、だだ広い部屋(えっ)、どちら。

 
 パニックに陥り、震えるとひょいと持ち上げられて『返信遅れてごめんなさい』『いつもありがとう、一番頼りにしてる』『失恋って辛いんだね、立ち直れないの』『どうしよ』『相談に乗ってもらってたら告白されちゃった』素早く指を動かして入力、送信。器用に切り替えてアプリを使い分け、複数の違う男に似た内容で泣きつく。


 恐ろしいまでの真顔にも拘らず、よくもまあ〈私は落ち込んでいますアピール〉ができるーー俺の好きな女は『ほの』と、皆に呼ばれて囲まれ、常時ちやほやされていた。
 まるでショーケースの煌びやかなパフェが食品サンプルだと教わった幼き日のよう。

 まさか「スマートフォンになりたい」とは誰も言っていない。
 されどページで飛んだ(?)、おまじないが別の方向に効き、アクセス先はここ、メッセージの履歴、写真・動画、主に愚痴を吐くつぶやきアプリの非公開アカウント等々が、目を逸らしたくとも、自分の中にある。

 コピーアンドペーストの『げんちゃんには何でも話せる』に騙されたままで良かった。
 酒とつまみで散らかった、雲の形のローテーブルで俺を使い、欠伸しつつ猫を被って異性に擦り寄り満足げな、ほのかの実態を知る。
 どの道、掌で踊るのだ。


 流石にあらたとの交際期間中は遊びをやめていた。しかし、デートの際にそこそこ親密な男友達が割り込み、修羅場と化す。
 従って居づらいサークルを抜け、彼女が捨てた筈の自業自得で痛い目に遭ったエピソードすら、容易く読める。

 それはさておき。
 午後4時を過ぎた頃、ようやく本人がむくりと起きて〈いつもの私〉を作るべく、ヘアメイクに90分かけ、爽やかな淡いブルーのブラウスとフレアのシルエットが美しいスカートのセットアップを扉が半開きの汚れたクローゼットから掘り起こし、足元はメタリック、秘密を握った俺は鍵、ポーチ、ハンカチ、財布と一緒にリボンがあしらわれたポシェットに詰められ、週末の飲み会に連れて行かれる。


 巧みに気を持たせて操り、こちらが愛を告白すればやんわりと断るどころか用済みはあいつ呼ばわりの表裏が激しい点を彼女の仲間たちは
「演技力高くて逆に清々しいわ」
と認めて、
「ひーっ、笑い止まらん」
面白がり、カクテルの氷みたいにかつての憧れを打ち砕かれた。
 クラスメイトの言葉が頭を掠める。嫉妬と捉えた鈍感な自分は元々20歳未満、どちらにせよ微酔さえも不可能、お喋りに夢中で忘れられるマルゲリータと同様に、薄暗い個室の端で踏ん張った。


 他人の恋心を摘み食いして生きていくと、いずれ誰にも相手にされなくなる、それでも、ほのかはきっとその前に、肉はたまた魚、とびきりのメインを決める。
 とはいえ、かわいいを演じる一方でどこか冷め切っており、結局は自分以外を愛せないのだろうか。
「ね、無理矢理うちらに合わせなくたっていいんだよ」
「うん?」
少なくともスパイシーな本音の欠片を語れる分、友情は確かなもの。


 7月の訪れ、人間には戻れなかった。
 雨が恋しいくらいに蒸し暑い日々、貴重な高校三年生の夏をスマートフォンとして過ごす間に、授業の欠席やアルバイトの無断欠勤が続けば必然的に(職業柄、なかなか帰って来ない)保護者に連絡が行く。 
 行方不明の俺は夜間に自宅のバルコニーで通話していたので、恐らく相手のほのかが警察に呼び出され、事情聴取を受ける。


 が、どうもおかしい。
 そもそもの本体が消え失せたのか、何の音沙汰もなく生活を送り、彼女に添って通学、街角の洒落た喫茶店で働く気分も味わった。

「家事もしなきゃ、溜めちゃう。学校とバイトで精一杯なんだよな」
 大学生の一人暮らしとは思えないマンションをぽんと与えられる程の裕福な家庭で育ったものの、名高い美容家の母がSNSに載せるのは必ず息子、娘や夫の存在はとことん世間に伏せられている。
 不要と判断されてしまい、親代わりの愛を求めて少しずつ歪んだ、ほのかはひとりごとが多かった。
「お腹空いた、けど、眠いや」


 枕元のガラクタを退け、ベッドに横たわって、綿がはみ出たカエルのぬいぐるみ(俺が好きなキャラクター、もっと可愛がってくれ)を抱き締め、唐突にぽつりと
げんちゃん
何で今更、こちらが欲しい言葉をくれる?
 扱いに困ると、純度5%の大好きが充電ケーブルを伝って駆け巡り、ぐいっと引っ張られ、結論に至った。

 相棒ならば悪くない。
 いつかは手放す幸せを、あとちょっと。
 〈ハイスペックな〉俺のまま、恋人、友人、及び家族よりも近距離で、危なっかしい女を寝ても覚めても見守る。


 しかも、実は恋愛に悩む者がおまじないを境に集まるアットホームな職場で、各種機能・アプリ全てに親切な従業員が揃っており、大勢に支えられ、仕事が予想外に楽しかった。
 あなたがお使いのスマートフォン。ひょっとすると、ただの携帯型端末ではないかも知れません、なんてな。