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第四章 トヨタ自動車サッカー部 コニカカップ優勝
1991年11月3日
トヨタ自動車vs本田技研
国立競技場に当時としては多い観衆25000人を集めて第二回コニカカップ決勝が開催されました
コニカカップは、その後のナビスコカップ、ルヴァンカップの全身です
試合は
トヨタ自動車 本田技研
前半
20分 ゴール 1対0
23分
第四章 Jリーグ 名古屋グランパスエイト トヨタ自動車サッカー部出向
1990年イタリアワールドカップを目指し代表チームで活動していた時に何人かのサッカー関係者から
「現状ワールドカップに出るには、予選を通過するより日本で開催する方が早いよ・・・」
「アマチュアリーグの選手達じゃ無理だよ・・・」
といった会話を耳にしながら
「そんなこと言わないでよ・・・」
「こっちは今、必死に闘ってるのに・・・」
とはいえ、実際には日本代表チームの選手を取り巻く環境は、当時
第三章1989年後半~1991年 トレーナー活動期第十三回 日本代表チーム帯同 1990年 第一回ダイナスティカップ
1998年はワールドカップ予選と親善試合28試合を6勝10分け12敗という成績で終了し、さすがに代表卒業かと思っていたところ6月なかばにまたもや日本サッカー協会から
「7月~10月頭まで空けといて!!」
という軽い感じの電話がありました
「まだ代表卒業できないの・・・・」
「今度は何???」
「っていうか、次のワールドカップへの新チーム始動しなくていいの???」
今回の帯同は7月にダイナス
第三章1989年後半~1991年 トレーナー活動期第十二回 日本代表チーム帯同 1989年 親善試合4試合
7月30日に帰国したのもつかの間、8月4日、7日、10日、13日に中二日で親善試合が4試合組まれていました
「時差ボケだ・・・」
「強化??」
「何のため??」
当時の日本代表サッカーチームは強化目的だけではなく、“親善大使”のようなミッションも重要な役割だった気がします
例えば
1988年6月から7月のドイツ遠征中にも予定になかったトルコに渡りオリンピックチームと親善試合をしました
この時
第二章1985年~現在 トレーナー活動期第四回 日本代表チーム帯同 1989年 中東遠征
1989年は中東遠征からのスタートでした。
メンバーは
スケジュールは
またしても豪華、約一ヵ月の中東旅行・・・
日本に近い環境のヨーロッパでもイロイロと大変だったのに・・・
未知の中東って・・・
最初に行ったイランは、昨年までイラクと約8年間の戦争(1980~88年)が終わった直後の状況でした
街の中には私服なのに機関銃を担いだ人たちがウロウロして、街全体が殺気立っている異様な雰囲