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第二章1985年~現在 トレーナー活動期第六回 日本代表チーム帯同 1989年 ワールドカップ予選vsインドネシア@ジャカルタ

対香港との第一戦を引分けで終わり、結果はムムムな状況でした
日本には帰国せず数日間、香港でトレーニングを行い第二戦vsインドネシアとの試合の為にジャカルタへと移動しました

インドネシアでのバス移動は常に白バイとパトカーの先導があり

選手
「VIP待遇じゃん!」
「俺たちスゴクね!」

当時の選手たちは先導が初体験で、ノー天気な声がバスの中から聞こえてきた記憶があります(笑)(笑)(笑)

でも、実際はジャカルタ市内の渋滞がものすごく、白バイやパトカーの先導が無ければ予定どおり移動できなかった交通事情が大きな理由だったと思います

5月のジャカルタは突然のスコールが断続的にやってきました、バスで移動中前方にどす黒い雨のカーテンがあり、その中を5分位走ると太陽が出る状況を繰り返しながら試合会場に向かいました

日本の“ゲリラ豪雨”と共存している感じです

5月28日予選第二戦は、ジャカルタのスタディオン・ウタマ・ゲロラ・ブン・カルノ(約77000人収容)

「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より引用

メンバーは

松永成立 (Cap.)
井原正巳 イエローカード
信藤克義
堀池巧
森正明
佐々木雅尚
柱谷哲二
望月聡
長谷川健太 ▼85' OUT
吉田光範
前田治 ▼81' OUT

黒崎久志 ▲85' IN
水沼貴史 ▲81' IN
森下申一
梶野智幸
名取篤
草木克洋
堀直人
平川弘
大榎克己
池ノ上俊一

旧国立競技場より収容人数が多いスタジアムに約77000人のサポーターが満員で完全アウエーの環境

当時、旧国立が満員の中で試合をした経験がない日本代表チームは完全にスタジアムの熱狂的な雰囲気に飲み込まれてしまったように感じます

選手が試合中、倒れたときドクターと共にピッチに入ります

その後、ベンチに帰るまでの道のりが・・・

ドクターと私めがけて、イロイロな物が飛んできます・・・

ペットボトル、ゴミなどなど手あたり次第・・・

その中でも一番怖かったのが単三電池でした

ペットボトルやゴミは軽いので飛距離が出ませんが、単三電池は結構な勢いでこちらに向かってきます

実際二発ほど直撃を食らいました

やっとのことで“安全なベンチ”(笑)に帰ってこられてホッとした後にその話をしたら、スタッフたちになぜか怒られました

スタッフ
「当たった時に何で倒れなかった!!!」


「こっちは、必死でベンチに戻ってホッとしているのに」
「何で怒られる???」

後々考えると
「国際試合では、勝つために役立ちそうなことは何でも利用するっていう事」
なんだ、闘いはピッチの中だけではないんだなと思い知らされました

私自身、強烈なアウエーの洗礼という経験を受けた初めての試合でした

結果は・・・
またもや0対0の引き分け

香港、インドネシアに対してアウエー連続引き分けでで勝ち点2・・・

アウエーで引き分けは御の字といわれますが・・・
ワールドカップ予選、早くも非常に厳しい状況に陥りました

次回は
第三戦 vs北朝鮮です

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