![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/99281920/rectangle_large_type_2_a14670e332187cd771daef324da40e9e.jpeg?width=1200)
第二章1985年~現在 トレーナー活動期第十回 日本代表チーム帯同 1989年 ワールドカップ予選vs北朝鮮@平壌
6月25日ワールドカップ一次予選、最終戦vs北朝鮮を平壌で行うために21日に日本を旅立ちました
まず向かった先は平壌ではなく中国の北京です
日本から北朝鮮には直接入国できないので、中国経由になりました
21、22日と北京でトレーニングを行い23日に平壌に入りました
平壌国際飛行場でチームの荷物は順調に手元に届きましたが、同行記者さん達の荷物がなかなか出てくるのにかなりの時間がかかったと後で聞きました
23,24、と平壌でトレーニングでしたが、宿泊地が当初の予定から変更されパスで1時間半位かかる場所に変更されました
理由は、歓迎の意を込めてリゾートホテルにしてくれたらしいです・・・
実感としては決してリゾートではなく、今となれば単なるアウエーの洗礼だったと思います
![](https://assets.st-note.com/img/1677738563027-zB1LvYwozV.png?width=1200)
ホテルからのバス移動中は車窓からの写真撮影は厳しく禁止されました・・・が
![](https://assets.st-note.com/img/1677738340015-YVJpFxHj4O.png?width=1200)
平壌の外国人用スーパーマーケットに案内されショッピングをすることが出来ましたが、インスタントラーメンなど、ほぼ日本の商品が並んでいました
店員に促されるままに朝鮮ニンジンを購入したことを思い出します
北朝鮮は香港とインドネシアとのホームゲーム2試合を7月に延期することになっていたので、日本が自力で1次予選を突破する為には、敵地でのこの一戦を絶対に勝利することが必要でした。
試合は平壌にある50,000人収容の金日成競技場で行われました
スタメン
松永成立 (Cap.) ▼74' OUT
堀池巧
信藤克義
井原正巳
梶野智幸
佐々木雅尚
柱谷哲二
名取篤
水沼貴史
長谷川健太
吉田光範 ▼65' OUT
サブ
森下申一 ▲74' IN
黒崎久志 ▲65' IN
森正明
草木克洋
望月聡
堀直人
平川弘
大榎克己
前田治
池ノ上俊一
通常試合会場に到着した時、観衆のザワザワ感が伝わってくるのが常でしたが・・・
ほぼ満員になると聞いていた金日成競技場はシーンと静まり返っていました。
「今日は無観客試合だっけ????」
試合前のピッチコンディションチェックに出たとき、異様な光景を目の当たりにしました。
聞いていたとおり競技場はほぼ満席でしたが・・・
「もしかして全・員・人・形????」
というぐらいにシーンと静まり返って、人の気配がほとんどしませんでした
キックオフから5分位が過ぎたときに、客席の通路に置いてあったと思われる大きな旗が競技場の数か所で振り上げられました
すると同時に
「ドッカーーン」
競技場が一瞬動いたかのような大歓声が一斉にわきあがりました
独特な雰囲気の中で行われた試合は・・・・
前半36分、後半84分に失点
後半74分にはキャプテンであるキーパー松永選手がハイボールキャッチ時に相手選手のアフター気味のヘディングによる鼻骨骨折で交代などもあり
0対2 敗戦・・・・
今まで何回も敗戦を味わった経験はありましたが・・・・
今回の敗戦は・・・・
試合後のロッカールームは・・・・
選手、スタッフ全員が男泣きでした
一国を代表して闘う重さを痛感させられました
悶々とした一晩を過ごし、帰国するため平壌から北京までは朝鮮民航を利用しました
離陸後にコーヒーなどのサービスはなく、北朝鮮製のガムが配られました
「これガムだよね??」
という感じの物体でした(笑)(笑)
試合後、初めて皆で笑ったかもしれません
この一戦の結果、90‘イタリアワールドカップ予選は一次予選敗退で終了しました
ワールドカップ予選を闘いながらアジア各国を回ることができ、その土地の文化、風土、歴史、人々などを体験し知ることが出来ました
また、当時アジアにおける日本の立ち位置などを実感できました
残念な結果に終わりましたが、サッカーという競技が世界中行われ、そして愛されているのかを目の当たりにできる貴重な時間でした
次回からは、1990年後半~1991年の代表活動を振り返ります
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?