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#画家

道半ば

道半ば

「道半ば」という絵を描く。

地平線と人の絵を最近よく描いているような気がする。

道半ばで倒れ、朽ちていく存在。
まるで自分のようだ。

魂もどこへ向かったのかわからない。ただ、跡だけが残る。
それだけの世界。

修行15日目(最終日)

修行15日目(最終日)

今日15時に、家族が帰ってくる。
洗濯と掃除に余念がない。
午前中も絵画教室展のメール打ち合わせ。そのあと整体。首と背中の凝りが激しい。

家族の生活が再び始まってから、また新たな修行となるだろう。
心穏やかに。そして、絵画のイメージも深めつつ。

今回はっきりわかったこと。やはり絵画制作において、深い瞑想状態からイメージを拾うには、完全に俗世から離れた環境が必要だ。
かといって、今回の大規模な展

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自己表現(自我)よりも大切なこと。

自己表現(自我)よりも大切なこと。

タイトル通り。
以上!!

と終わりたいくらいですが、少し補足を。独り言にお付き合いくださいませ。

2022年9月の展覧会以降、ぽっかりと生まれた空白が、なんなのかをずっと考えてきました。
自己表現をずっと追求してきた画家人生だったと言えます。その対極にあるのが、他者表現というものでしょうか。デザインなど社会表現よりももっとミニマムで個人的な、相手の物語を紡ぎ出す絵画。
似顔絵だったり、絵画教室

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深海魚と出会えるまで。

深海魚と出会えるまで。

深く深く潜っていく
息が続くまで
光も届かない底の底
暗闇に住む深海魚に出会えるまで
深く深く

迫り来る声は届かない
思念情念も届かない
すべてから解放されて
目の前の深海魚に手を伸ばす

遠くで雷鳴
春と修羅
世界につながるこの魚と
共に過ごしている

エゴン・シーレとの対話2023

エゴン・シーレとの対話2023

本日、上野の東京都美術館まで、「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展」を観に行きました。

10時に美術館に入り、出たのが14時半(笑)。4時間半があっという間でした。あと1.2回は行こうと思います。原画を観る機会なんてないんだから。
思い起こせば、2015年、今から7年も前にウィーンに旅行に行った時に、レオポルド美術館とウィーン美術史美術館にて、エゴン・シーレの絵画と出会いました。

今回は、有名

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かつての自分へのアンサーART

かつての自分へのアンサーART

【かつての自分の絵のアンサーART】

ふと、下地のキャンバスからマリア様のような人物が浮かび上がってきて、急いで色鉛筆で印をつけました。
赤子を抱える女性の姿に想いを馳せると、高校3年生18歳の夏に描いた公募展の絵を思い出しました。

私は、高校2年生の時に描いた自画像で最高賞を取りました。タイトルは「乾き」でした。どうしようもない虚しさ、辛さを自画像にぶつけました。

3年生になり、美大受験も

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相互共存というイメージ

相互共存というイメージ

たくさんのものが影響されあって、一つの存在がある。
逆に言えば、一つの存在から、いろんなものを見出すことができる。
波のような、波紋のようなもの。伝達されるエネルギー。変化を伴いながら。これからまた描いていく。

帰ってきた。このキャンバスに。

帰ってきた。このキャンバスに。

慌ただしく日々は過ぎて行く。
生きている証。大切な時間。
それでも少し、自分の呼吸を取り戻すことは必要。

私は今、絵の具を混ぜている。
私は今、キャンバスに塗っている。
私は今、ささやかな雨音を聴いている。
私は今、満たされていると感じている。

感じたままに描く。
無常のままに変わりゆく気配。

なにものにもなることはない。
私が私である必要もない。
感じているのは、私のそれぞれの部分。
心は

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子供の絵。

子供の絵。

ポートレートは、ずっと昔から描いていました。
一番最初は、高校二年生の時に描いた、自画像の大作でした。
それから、個展のたびに、自画像的なポートレートを描いてきました。

今回も、🇺🇦の子供を描くことにしました。
どんどん表情が変わっていき、最後は、影でよく見えない感じに。
これで完成ではなく、もう少し描き続けますが、この絵の終点はないかもしれません。

順序が逆か?と思うくらいに、どんどん曖

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