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かつての自分へのアンサーART

【かつての自分の絵のアンサーART】

ふと、下地のキャンバスからマリア様のような人物が浮かび上がってきて、急いで色鉛筆で印をつけました。
赤子を抱える女性の姿に想いを馳せると、高校3年生18歳の夏に描いた公募展の絵を思い出しました。

私は、高校2年生の時に描いた自画像で最高賞を取りました。タイトルは「乾き」でした。どうしようもない虚しさ、辛さを自画像にぶつけました。

3年生になり、美大受験も控えている中、周りの期待は大きくなりました。今年の長友の絵はどのくらい成長してるのか、と。県の悲願「東京芸大現役合格」という声にも苦しみました。

そのプレッシャーで全く絵が書けなくなりました。一筆入れるごとに呪いのように絡みついて、何を描いているのかわからなくなりました。

完成した絵は、「絶望している妊婦」でした。
どうしようもなく暗くて不幸な絵です。生み出すことの苦しさなのか、自分自身の存在への疑いなのか。技術も未熟さが顕になりました。

公募展の結果は「入選」。応募したほぼ全員が得られる結果。その年の最高賞や三賞は、また別の世代に光が当たって、私はすでに忘れ去られていました。

無論、受験も失敗し、経済的に浪人も出来ず、実家に置き手紙を置いて、失踪するという未来が待っていました。 

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今、45歳になろうとして、こう思うのです。18歳の自分に「よくあの絶望を描いたね」と。
自暴自棄になって、約束の道をぶち壊してしまいましたが、それでも、その時にしか描けない絵を描き切ったことは、27年たっても後悔してません。

絶望した妊婦さんなんて、誰も見たくはないでしょう(汗)。
しかも青春真っ只中で。それでも、描きたいもの、ではなく、描かざるを得なかったものを描けた、ということは、その後の人生を支え、何度も挫折しながらも、こうして画家の道を歩む原動力になったのです。

多くの仲間が筆を折り、新しい道を見つけて、絵画以上の表現で世の中に貢献していきました。
しかし、私には絵画しかありません。家族ができて、愛犬も迎え、両親の死、仲間、友人たちを見送り、大地震や世界の感染症を経験しても、私が私を表現する手段は、絵画しか残されていないのです。

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私は今、マリア様的な女性と赤子を描こうとしています。
あの時に描いた、絶望した妊婦さんが、赤子を産み、どのような表情をしているのか。彼女は幸せになったのか。それともさらに苦渋を滲ませているのか。

どちらでもよいのです。
今の自分自身の心の声であれば。18歳の自分に向けての、アンサーアートです。

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