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頭の中の花かんむりを、どう表現していくのか。【自分らしく生きる】

年々老ける、という言葉と向き合うときが多くなってきた。

Quoraでも関連した質問に回答し、スタエフでも取り上げた「年齢」というものを、やはりふと考えることがある。

これら媒体への回答をを要約し、ざっくりいえば「年齢にとらわれない生き方こそ魅力的だ」という結論を書いた。

そもそも、年齢という指標が増えていくことは避けられない事実のため、まあ仕方ないが、実際問題見た目が老けるのはなるべく避けたいものだ。綺麗に歳をとりたいと思うが、できれば少しでも若々しく見えていたいもの。

しかし、この物質世界ではどうあがいても肉体は衰えて老けていく。

そうなると、この魅力的に感じる人たちの持っている「若々しさ」にはおそらく見た目だけでなく、中身も重要になってきているのだろうことが想像できる。

中身を生き生きと、しゃきっとさせないと、変にだらだらと子供のままになってしまう。

自分がたまに「増えていく年齢に置いてけぼりになる」感覚がある。それは、最近になり自覚し自分でもある程度気を付けないといけないと思っている部分だ。

なぜなら私が上記回答などで書いてきた「年齢に捉われないで自分らしく生きる」ということは、子供の頃と変わらず振舞っていることでは決してないからだ。

むしろ全く反対で、子供なんかではない、自分はしっかりと大人だということを自覚していながら、大人ということを楽しみながら生き生きと、地に足つけて生きていくことこそが、素敵だと私は感じる。

ここを少し取り違うと、変な方向に進んでしまうのだ。

いつまでも、駄々をこねる子供ではいられない。

「お姫様」や「お花畑」でいるのにも、そろそろ限度がきてしまう。自らを客観視の出来る大人であることが大前提で、それでいて自分らしく生き生きしていられることが一番だ。

いわゆる痛い大人に、私はなりたいとは思わない。

『ならば幻想は、夢を見ることは、大人になったらしてはいけないの?』

もちろんそんなことはない。心の中にたくさん花を咲かせて、違う形で出してこれたらいい。

色々な方法がある。色々な表現で自分の中に溢れる満開の花たちを、たくさんの形にして花かんむりにしよう。

幻想も、夢も、大人になってからでしか、はっきりと見えないものがある。

ここまで来るまでに必死で、汗水たらし、涙を流し、転んでは這い上がり。

もがくだけもがいて這いつくばってなんとかかんとか高いところまできた、見上げる空を見てからでないと、描けないものがある。

今ならきっと描けるはずだ、子供の頃に見たあの夢たちを。美しく無限大な創造性の世界の中で、どんな形にして息を吹き込んであげようか。

ひとりひとり表現のキャンバスは違う。

あなたはどこに何を描く?

山口葵

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