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たとえ愚かでも、私は人を信じたいんだ。

今の私になるまでの去年の不安と葛藤と信念。
私の個性が「気持ち悪い」と、たくさんの人が離れて行った時の話。


今日は朝から冷静になり、感情的になることをやめようと思う事柄について大人として動く気持ちになれた。もとから、まあ色々と探ってはいたのだけど。

今、私にはこの家から出ることが難しくて、どうしてもネットの世界と繋がっていること以外で他人に触れることができない。

自分がやろうと思っている更新は毎日ずっと続けている。

それは自分の中で自信に繋がっている。

まだ何も枠組みが出来ていない状態だから、とりあえず広げることを目的にいろんなことやってる。色々なものが広がっていっている。

でも、友達がたくさん反応してくれて、やりとりしてたときのTwitterが一番楽しかったな。

もうあの頃には絶対に戻れなくて、色んなことがたくさん起きて、本当はもっと人と話したい、今まで喋ってた人と話したいけど、タイミングもうまくいかないし、話せないかんじだ。

人を信じられないことがいっぱいあって、いっぱい嫌われて、そんなことがたくさん私の人生では起きてきた。たくさん裏切られて、私も逃げるように切るしかなかった人もいる。それは、きちんと理由も説明してあった。

人がとてもこわいと思う。でも、信じたくない、と思いたくない自分もいる。

私は、つらかったとき。苦しかったとき、助けてもらったから。

色んな人にたくさん支えてもらって、あんなに私はおかしな状態だったのにそれでも、どうしようもない出来事が起きて無理だ、と感じたときでも助けてもらった。何とか命を繋いでこれたのは、「人」との繋がりがあったからだ。それがなければとっくに野垂れ死んでいる。

そのことを、私は忘れることが出来なくて、嫌いになることも、信じたくないと思うこともできない。

たくさんの変化がとても不安を煽ってしまうから、とても苦しくて、でもそれでも私は人が好きだ。人を信じたい。だから私は人を嫌いになることが、嫌いだ。

昔から嫌われ者の人を「もしかしたらいいところがあるかもしれない」って思って探すようにしてた。

学生の頃バイト先のみんなに嫌われている店長がいて、言い方がきつかったり、たしかに少し嫌な感じの人だった。でも、携帯の待ち受けが生まれたての赤ちゃんの画像だった。私はそれを見てからは、嫌いにはなれなかった。

みんなはいつも悪口を言っていたけれど、私は「でもこの人には、大切にしている赤ちゃんがいて、仕事の間にきっとその待ち受けを見てストレスを解消しているのかもしれない」と思うようになっていた。

そうすると「じゃあ私が嫌わなければひとつストレスが減るかもしれない、だから、嫌いにならないでおこう」と思った。

これは10代の頃の話だ。

いい大人の社員も、同世代のバイトの子たちもみんな店長の悪口を言っていたけど、私はその一面を見ていたから、言わなかった。もともと、悪口大会には参加したことはなかったけれど。

そうやってずっと思いながら、大人になってきた。そうやって大人になってきたから、人間を嫌いになれない。人間が好きだ、私は。

でも利用されたり、裏切られたり、そんなことがたくさんある。

でも捨てられない「人を愛したい、癒したい」の想いはどこへいけばいいんだろう。自分がとても愚かに感じる。

「人間なんてすぐ裏切るよ」

「人なんて信じても傷つくだけ」

「ネットなんてそんなもん」

そう、たくさんたくさん言われた。

きっとそうなんだろうと思うけれど、私はどんな出会い方をしても人間であることは変わらないし、裏切る人ばかりではないことも知っているし、思いたくない、思いたくなかった。そんなこと。

人を嫌いになれれば、人を諦められれば、楽になれるのかなぁ。

私はそんな風に、簡単に人間を諦められないよ。できれば嫌いな人なんて、作りたくない。でもそれが無理な人もいる、それは理解してる。

人を嫌うこと、諦めること、裏切ることが得意な人が存在することも、理解している。

でも、それでも私は。

人を信じて、愛していたいよ。


山口葵


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