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感じる、考える、知る、考える、文章にする。

塩谷舞さんのエッセイ「ここじゃない世界に行きたかった」のなかのエピソード。


先に答えを知ると、本質に辿り着きにくくなる


「このお茶、何度で淹れて、何分蒸らせばいいですか?」
そう聞いていた自分が、ちょっと恥ずかしくなった。

正解を簡単に手に入れてしまうことは、その先の曖昧で自由な可能性を、ピシャリと閉ざしてしまうことでもあるからだ。

感じる、考える、知る、考える、
そして文章にしていく。

遠い国へ旅をしたときにも、美術館や博物館を訪れるときも、できるだけ、この順番を
大切にしようと思っていた。


というのも、最初から頭に情報を与えてしまうと、なにを見ても「情報との答え合わせ」になってしまって、 自由気ままに空想するという楽しい時間が失われてしまう。

だからまずはこの目で見たり、耳で聴いたり、肌で感じたりした上で、好き勝手にあれこ空想し、脳内に物語をこしらえていきたいものだ。それが間違っていても、誰にも迷惑なんてかけないんだし。

確かに、私たちはスマホがすぐそばにあり、分からないことは、すぐに調べられる環境になった。

でも、まずは自分で、五感を使って感じたり、頭で考えて想像したり予想したりしてから、調べる。
そして、調べた結果から、さらにまた自分で何を感じたのか、考えたのか。
この流れが大事なんだなって思った。

自分の頭で予想したり、調べたことから考えるから、心に残る。

頭を使うことを怠っちゃいけないね。



そんな考えに至ったのも、茶畑で茶師にであったのがきっかけだったそう。

よく、何度でお茶を淹れればいいですか?と聞かれるけど、年齢によっても、身体の調子によっても、それはまるで違ってくるんですよ。


手っ取り早く答えに辿り着いてしまうと、そこから先に進みにくくなってしまうからすごくもったいないですよ、ということらしい。


まったく同じ品種のお茶であっても、その年の気候によっては表情が変わってくる。
ックに詰められ、お店に並んでいるとついつい忘れてしまうが、
茶畑の真ん中で、茶葉たちと同じ土を踏んでいると、相手が自然の産物だということを思い出す。

そして、いただ側の人間も、まったく同じ状態の日はない。 夜の良い日悪い日、寝不足の日、生理の日、全身が疲れ切った日、寒くてちぢこまってしまう......。

「お茶に向き合っていることは、自分に向き合っているようなものなんです」
田口さんは、お茶を媒介として自分をよく知っているようだ。


お茶も文章も近い。

お茶も、文章も、きっとその他いろんなことも、自分の調子を知るための鏡になる。

私は気持ちがイライラしてくると、決まって文章を書くのだが、言葉にしているうちにイライラの居所がわかってくるので、「なんや、そういうことかぁ」とスッキリしてしまうのだ。

書くことは、自分で自分を癒してあげる、まるでセラピーのような行為なのである。
対してお茶は、心身のトリートメントのようなものだろう。

自分の身体の調子を聞いてから、飲みたいものを、飲みたいときに、飲みたい温度で淹れてやる。

感じて、試して、試行錯誤して。 

毎日ころころと変わる、つかみどころのない自分の状態を確かめていく行為は、正解もないし、終わりもない。

お茶を飲みつつ文章を書いて、自分の内側を確認してやるといった"ご自愛"をおばあちゃんになっても、続けてみたい。



お茶や、文章や、今していることを通して、
しっかりと自分を知る。
五感を、使って"今自分が何を感じているのか"に目をむける。


感じ、
自分が本当に求めてること知ることを通して、試してみる。
その繰り返しなんだね。


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