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天国の食卓

つい先日、息子が帰省していたある日の夕方の出来事です。

いつものように散歩に付き合ってもらいました。
海岸を歩いたり、桟橋から水面を眺めてカワハギの子供が泳いでいる姿を楽しみ、今度夜中から行く釣りの計画を話し合いながら小一時間ほど心地の良い汗を流して家路に着き、「さぁ、晩御飯の支度に取り掛かろう!」とエプロンをつけていました。

「パパ、パパー!ちょっとごめん、このバッグのなんか変なところにさ、なんか分からんけど『何か変なもの』が入ってる!ちょっと見て欲しいんだけど!」

と隣の部屋から声がします。

娘の暗号投げかけは日常茶飯事なので慣れていますが、息子がとんちを仕掛けてくるのは非常に稀なので、これは何かの遊びかなと思い、

「なんね?どうかしたと?」

と、お肉を切りながら軽く受け答えをしていると、どうやら息子も真剣な様子で、「なんかさ、不思議な場所に不思議な何かが入っとる。前からこんなん入ってたっけ?これパパに買ってもらったバッグやけん」

さすがに台所で料理をしながらという状況下では、いかにエドガー・アラン・ポーの小説や、金田一少年の事件簿が大好きな元探偵志望の、部屋着のお父さんには推理の荷が重く、手を休めて息子の部屋へ向かいます。

「これこれ!見てん!不思議やない?江戸川乱歩の小説なら密室事件かも知れんよ!(息子も私に似て推理小説が大好きである)」

「どれどれ、ん!?どうなってるんだこりゃ?」

バッグの中身を一旦外に出し、よくよく観察してみるとなるほどなるほど、息子の表現し伝えたい事柄が理解出来ました。

バッグの底の部分、裏地の奥に高さ約十センチ、太さ約三センチ位の筒状の「何か不思議なもの」の存在が視覚と触覚で確認出来ます。

「これさ、裏地に何か入りこんでるね。バッグの隅とか底のどこかに隙間があって、そこから何かの拍子に入ってしまったかも知れんね!」

「なるほどね!」

「結構な大きさだけん、穴も大きいかもね」

真剣な眼差しの息子がまずはバッグの中身をいったん外に取り出し、異空間への入り口を念入りに調査します。

床に並べられたアイテムは、香水二点、ピアスケース、鎮痛薬、歯ブラシセット、眉整えセット、絆創膏、財布、携帯充電用バッテリー二点、タバコケース、アイコス(いつの間に!?)、プルーム・テック(贅沢やなぁ)、キシリトールガム、顔拭きシート、布マスク、携帯用リセッシュなどなど・・

このバッグにこんなにも日用品が収納出来るんだなぁ、まるで異次元ポケットやん!?と感心していると、

「パパ、どこにも隙間とかないんだよね・・」

と、息子が不思議そうにため息を漏らします。

ここで元探偵志望、江戸川乱歩やアガサ・クリスティーも読破した部屋着のお父さんの出番です。

なるほど、確かに中にはなんの隙間もない、しかしこれほどの大きさの物体が侵入するにはそれなりの穴が必要になる、初めから混入していた可能性は限りなくゼロだろう、どこかに必ず手掛かりがある、諦めるな、必ず犯人(ホシ)を挙げる!!と気合充分です。

数分間の捜査と検証の末、事態は意外と言えば意外、想定内と言えば想定内の結果となって解決するに至りました。

慣れない手つきで
応急処置!

バッグの内側にあるサイドポケットの隅っこが見事なまでに破れており、そこから裏地へと侵入してしまい、元の場所に戻らなくなっていたようです。その愛すべき正体がこちらです。

確保!

息子いわく、前に友達と肝試しに行った際に、帰りのコンビニで購入したお清めとお祓い用の塩だとのこと。

「あ、それ無くなってたけん最初は気になってたけど、いつの間にか忘れてしまってた!」

なんとも呑気というかマイペースというか、旅行にも温泉にも飲み会やデートにも、まさかバッグの一番奥に塩を忍ばせて出掛けていたとは、ある意味頼もしいねと笑うと、息子も恥ずかしそうにしていました。

私は裁縫はあまり得意ではないのですが、一応手縫いで応急処置を施し、事件は無事解決しました。

いつも使っている、相棒のお世話になりました。

これは妻が生前いつも使っていた、年季入りの裁縫セットです。
まだ子供の頃、お母さんからもらったらしく、引越しの度にお供をしていたみたいです。

新潟~東京~熊本と、長旅にも関わらず、今でも第一線で元気に活躍してくれています。

子供達の体操服のゼッケンを縫い付けるのにもお世話になった、私にとっては絶対に手放せない、少し大袈裟ですが、妻の形見、生まれ変わりの裁縫道具です。

裁縫と言えば、新婚の頃、まだ子供が産まれる前、妻と東京の桜新町で生活していた時の懐かしい思い出があります。

私は高校時代を熊本で過ごしました。
当時熊本は空前の古着ブームで、中心地のアーケード街、下通、上通にはたくさんのショップが並び、特に上通奥の並木坂と呼ばれるお洒落な通りには、小路に入るととてもマニアックな古着屋さんがたくさんありました。
私も毎日のように友達と学校帰りに遊びに行っていました。
手頃な値段のTシャツやトレーナー、ネルシャツやスタジャンなどが所狭しと並んでいます。
お店は洋服大好きの学生でいつも溢れており、店員さんは古着の話をいつも楽しく話してくれて、お兄さん的、憧れの存在でした。ケースににはとても高価なデニムジャケットが保管されていて、私はそのGジャンをいつか買おうと心に決めていました。

福岡の大学に進学し、数ヶ月ぶりでこの古着屋さんを訪れて憧れのデニムジャケットを購入しよう胸躍らせてお店に入ったのですが、何年も憧れ続けていたそのGジャンは既に売れていました。
私は仲良くしてもらっていた店員さんのオススメもあり、別のモデルのGジャンを購入しました。
それでも数万円はする年代物のデニムジャケットなので、袖を通した時はどことなく初めてスーツを来た時の様な程よい緊張感がありました。

大学時代、社会人になって東京に越してからも、このGジャンをずっと大事にしていました。

いつだったか、確か赤のチェックのネルシャツを羽織っていた、今と同じ秋の終わりの季節だったと思います。
家に帰ると、「あ、お帰りなさい!」と、妻がいつも通りニコニコして出迎えてくれました。

「今日さ、豚肉が安かったから、角煮作ってみたよ。味がまだ染み込んでないと思うけど、たくさん作ったから明日には味が馴染んで美味しくなると思うよ。明日休みでしょ?今日はビールも買ってきたよ!」

「豚の角煮?凄い!!おれ大好物なんだよね!」

生姜のたっぷり入ったその美味しい料理に舌鼓をうちながらビールを飲み、何気にふと壁に目をやると、いつもの場所に私の宝物のGジャンが掛けられています。

少し酔ったのかな?
どことなく様子が違って見えます。
少し違和感を感じます。
なんだろう?
このなんとも表現出来ない不思議な感覚は。
えっと、いつものデニムジャケットだよな。
毎日そこに掛けてある、見慣れたGジャンだよな。

え?
ん!?
どういう事?
これは普通じゃない!
えらいこっちゃ!

立ち上がってよくよく観察すると、なんと両腕の袖が見事なまでに切り取られ、ベストのような形に様変わりしています!!

「あ、それ気付いた?この前二人で雑誌読んでる時さ、背の高い外人さんのモデルがデニム生地のベスト羽織ってるの見て、かっこいいねーって話してたじゃん?要らなくなった洋服を再利用してお洒落上級者に!みたいな特集だったよね!だからさ、同じようにリメイクしてみたんだよね。新しいの買うのもなんかもったいないからさ、家にある服を使ったら経済的だし、ね!お洒落でしょ!?」

私は一瞬、二瞬、三瞬、言葉を失ってしまいましたが、妻ももちろん悪気はないだろうし、古着の価値なんて理解出来ていないだろうし、知らない人から見たらただの汚れた古いデニムだしと、自分を自分で慰め、励ましてなんとか立ち直りました。

あの時食べた角煮、それはそれは最高の味であったと息子に話すと大笑いしていました。

「ママ、可愛いやん!そこで怒ってたらパパさ、男じゃないね。え、そのGジャンが高いやつってこと、ママには伝えなかったと?」

後日、妻と二人で居酒屋に行った時そのデニムジャケットの話をしてあげると、妻は言葉を失い、ハッとした表情から顔を真っ赤にして下を向き泣き出してしまいました。

「いいよいいよ、何も話してなかったおれが悪いし良かれと思ってやってくれたことだしさ。」

妻によると、ただ袖を切っただけでは糸がほつれてくるので、針と糸を使って念入りにリメイクしたそうです。切り取った二本の袖は、すぐに捨てるのはもったいないからキッチン周りを拭きあげる際に利用したそうです。
スポンジ以上に汚れが落ちたよと、泣きながら笑ってくれました。

その思い出にちなんでという訳ではないのですが、晩御飯に当時妻が作ってくれた豚の角煮に挑戦してみました。

梅でさっぱり
寒い季節に!

トマトのマリネ、白菜の梅おかか和えと、あご出汁を加えた水炊きも作りました。

我が家の食卓には年中無休で鍋料理が出てきます。
残ったスープにちゃんぽん麺を入れたり、ご飯ととき卵を加えて雑炊にしたり、スープをそのまま翌日の肉じゃがやカレーのベースに利用したりと、子供たちは鍋料理で大きくなったと言っても過言ではありません。鍋を囲んでたくさんの話をして、部活や受験を乗り越えて来ました。

「しゅんはさ、もしかしたら『コナン』っていう名前になってたかも知れんとばい。ママがさ、この名前にしたら頭が良くなるかもって、パパは最初冗談やと思ってたけど結構真面目に言うもんやからさ、もう一回考えようかって。いろんな候補の中から最終的に『瞬』に決まったんよ」

「パパ、ナイス!!コナンやったら名前負けしてたわ。」

と、ハイボールを飲みながら息子が笑いました。

人は産まれ、やがて死んでいく存在です。

それならば世界中の人がもっと手を取り合い、支え合い、助け合って生活していければいいのになぁと思います。

怒りではなく愛情を、暴力ではなく敬意を。

やがてこの命が尽き、天国の妻のところへ行ける日が来た時、

「久しぶり!生きている間にさ、やるだけのことはやってきたよ。しゅんもわかなも一人前になったから、安心してこっちにやって来た」

そう言って再会したいと思っています。

その日まで、鍋料理を作り続けようと思っています。そして妻が残してくれたこの裁縫セットで、思い出と笑顔をたくさん縫い合わせていきたいです。


あなたが生まれたとき、
あなたは泣いていて
周りの人達は笑っていたでしょう。
だから、
いつかあなたが死ぬとき、
あなたが笑っていて
周りの人達が泣いている。
そんな人生を送りなさい。

ネイティヴアメリカンの教え









私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。