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たんぽっぽの冒険

熊本地震から、ちょうど六年が経過した。

「十年ひと昔」という言葉があるが、あの地震からもう六年も経ったのかという思いと、まだ六年なんだなという気持ちが混じり合い、とても不思議な感覚に陥ってしまう。

私は月に一度、パニック障害の治療のため自宅から車で約二時間の場所にある病院に通っており、その帰り道、当時住んでいた場所に立ち寄ってみた。

余震と本震、その後の数回に渡る大きな揺れの影響で半壊したアパートは、新しく建て直されいつもの日常が戻っていた。
ヒビの入ったアパートの前の道路も、亀裂のため立ち入りが禁止されていた公園も、今では復旧し地震の名残を少しだけ残していた。

当時単身赴任で使用していたワンルームの部屋は、二階の部屋からの水漏れや、自室の水道管の破損などによりプールのようになってしまった。
漏電の恐れもあるので部屋に入れたのはかなりの時間が経ってからだった。

電化製品はもちろん食器、家具、洋服など、生活に必要な全ての物が使い物にならなくなっていた。
大切にしていた日記も水浸しになりカビが繁殖していた。
その日記は、妻と東京で出会ってから一緒に書いたものだった。
結婚を機に引っ越した思い出や、妊娠、出産、子育て、妻の入院時の生活や、妻が他界するまでのたくさんの記録や感情を二人で綴っていた。
また、二人の子を連れて実家の熊本に戻ってからの子育ての日々の生活を、十年以上欠かさず記録した大切な思い出でもあった。

日記にはたくさんの写真を添えていて、私にとっては辛い時に開くことで、勇気と栄養を与えてくれる原動力であった。
そういう全ての支えが一瞬で塵となり、やがて灰となっていく中で、自分の胸や心の中にある一本の支柱が大きく崩れていくような気がしていた。

地震は建築物のみならず、人の心までも砕いていく恐ろしいものだと、あの時に思った。
全てを飲み込み破壊しつつ、無責任にも無残な残骸の爪痕をしっかり残してゆく。

私はあの地震以来、狭いシャワー室に入ることが出来なくなった。
またエレベーターにも乗れないし、飛行機や長距離のバス、電車などにも乗車が出来なくなった。
ちょっとした揺れを感じると、眩暈や吐き気、頭痛に襲われるので、数種類の薬が常に必要な体になってしまった。
一人で部屋にいると、たまに不安から発作が発症し、誰かに電話して気を紛らわさなければ意識を失うような感覚に襲われることもよくある。
そしてこれからもこういう数々の後遺症とは切っても切れない仲なんだろうと思っている。

少し話が変わるが、私の趣味のひとつにプラモデル作りがある。

まだ家庭用のゲーム機などが一般的でなかった子供の頃、友達の間でアニメのガンダムのプラモデル、通称「ガンプラ」が大流行していた。

みんなで持ち寄って集まり、工具や塗料を使用して熱心に作っていた。
お小遣いを貯めてやっと買えたプラモデルをすぐに作ってしまっては楽しみがなくなるので、みんな箱を眺めたりモビルスーツの絵を描いたり、説明書を何度も読んで頭の中で組み立てたり、各々が少しでも長く楽しめるように工夫していたのも懐かしい思い出である。

子供の頃から大切に集めていたもの、大学生や社会人となってから作った本格的なものもあの地震で全て壊れてしまい、その無慈悲な姿を見た時は大きなショックで、幼い頃からの自分の宝物まで奪われ否定されたような気持ちだった。

アニメのラストシーンさながらに、頭部だけ残ったプラモデルをひとつだけ持ち帰った時、当時中学生だった息子が、

「パパ、プラモデルさ、また最初から作って集めたらいいんじゃないと?」

言ってくれた。

「ガンダムは今でも新しいのが出てるし、大人にも人気でかっこいいと思うよ」と。

それを聞いていた娘も負けじと、

「写真とかさ、またたくさん撮ればいいんじゃない?日記だって今日からまたつけ始めなよ!」

と励ましてくれた。

あ、なるほどな!!と、目が覚めた。

私は今もプラモデルを作り、こうしてnoteに日記を綴っている。

私はこれまでの人生において、たくさんの大きな何かを失った。
それらはもう二度と手には入らない、かけがえのないものだ。

と同時に、小さな幸せや宝物をいっぱい見つけることが出来た。
それらのひとつひとつは形こそないが、時に言葉として、またある時は行動として、自分に命の息吹を与えてくれている。

世の中の人に、偉いも偉くないもないのだと思う。

誰もが弱くて強い生き物なんじゃないだろうか。

たくさんの人の笑顔や喝采を求めつつ、時としてひとりの孤独に憧れる。

余裕がある時は、他人の成功や幸福を祝福出来る聖人なのに、卑屈な時は自分以外の誰かの笑顔を偽善者だと非難してしまう。

自信や誇り、謙遜や卑屈が、
宙を舞うコインのようにくるくる回っている。
一体どちらが自分の本当の顔なのか本人にも分からない、不安定で道に迷う生き物だ。
明日は全く別の他人に、気付かぬままいつの間にか様変わりしてしまう。

人は、日々何かに支えられ、知らず知らずのうちに誰かを救い支えとなっていると思う。

誰かが発した些細な言葉や、陰に咲く名もない雑草のような目立たない行動が、たまたま通りかかって見てくれた誰かの人生や命を救うことだってあるかも知れないと思っている。

地震の時避難したスーパーの駐車場のアスファルトの隙間から、可愛らしいタンポポが顔をのぞかせお日様を見上げていた。

そう言えば息子が言葉を覚え始めたころ、何を見ても「ぞうざん、ぞうさん」と指をさして得意気な顔で言っていた。
その次にどこかで覚えたのが「たんぽっぽ」という単語であった。
どれだけ教えても、なかなか「たんぽぽ」と言えなかった。
そのふたつの言葉を口にしながら、
いつも保育園の入口に走って向かっていた。

私は毎日その姿に背中を押され、今、こうして生きている。

あなたが産まれた時、誰かが笑ってくれただろう。

あなたが笑った昨日、きっと誰かが生きる勇気をもらっただろう。

今日、あなたが流した涙は、誰かの幸福の種が小さな芽を出す尊い助けとなっただろう。

あなたがいてくれるだけで、
笑顔のつぼみがやがて大きな花を咲かせるだろう。

風に揺られ、飛ばされていく綿毛のように
今もどこかで。




私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。